「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         父の生誕128年 ”坂の上”につぐ世代

2012-05-17 05:33:02 | Weblog
昨日は父の生誕128年であった。父は明治人らしく几帳面なところがあり、晩年自分の一生を綴り(未刊)写真を整理して特別なアルバムを残している。そのおかげで今、僕がブログを書く上で大変助かっている。

父は明治17年5月16日、東京の下谷区竹町(当時)に生まれている。祖父は徳川幕府の直参の武士で、維新後は東京府に勤めていたが、父が生まれた頃はすでに隠居していたようだ。幕末の文久3年(1863年)祖父が横浜で撮ったサムライ姿の写真が残っている。一度祖父が幕府で何をやっていたのか調べようと思っているのだが、まだ、そのままになっている。

父が生まれた明治17年とはどんな年であったのか興味がありwikepedia で調べてみたら面白いことが判った。僕ら戦中世代には忘れられない軍人二人がこの年生まれである。一人は連合艦隊司令長官だった山本五十六元帥、もう一人は開戦時の総理であった東條英機中将である。また戦後の政治家で総理を勤めた石橋湛山や”ヤミ将軍”といわれ自由民主党結党に功があった三木武吉も同じ年生まれである。

この世代は、言ってみれば”坂の上の雲”の登場人物につぐ世代である。日清戦争は子供だったが、ちょうど徴兵検査期に日露戦争が始まり、山本五十六は見習士官として巡洋艦「日進」に乗り日本海海戦に参加している。大東亜戦争で山本は59歳で南方戦線で戦死、東條は戦後の連合軍裁判で死刑の判決を受け65歳で刑死してる。

三木武吉は72歳、石橋湛山は86歳、父も84歳まで生きている。山本、東條二人の軍人に比べれば長寿を全うできたが、考えてみると文人でも一生のうちに日清、日露、大東亜と三つの戦争を体験、その波に翻弄されて一生を送った不幸な世代であった。