ビター☆チョコ

店じまい後も変わらずご訪問ありがとう。
新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

山形の夏

2006-08-20 | 

ほとんど毎夏帰省はしてるのですが、そしてお互いの実家は一応観光地にあるらしいのですが、
もったいないことにほとんど出かけたことがありませんでした。
子供がホントに小さい頃は、普段一緒に生活することのない祖父母と一緒に過ごさせよう。
年に1度しか会わないいとこと遊ばせよう。そんな気持ちもあって実家中心の夏でした。
少し大きくなると、プール、買い物、映画、一気に足を伸ばして海水浴、で、肝心の実家周辺の名所と言われるところはどこにも行かず、気がついたら20年が過ぎていました。

あと何度、親の住む実家にのんきに帰ることが出来るのか。
帰ってくるたび考えずにはいられないことなのですが、そのときはそのとき。
のんきに出来る今は、山形の夏を少しでも楽しむことにしました。

空がひろ~い!!
帰省中に何度も娘が言った言葉です。
木々の緑が深くて鮮やかで、何もかも輪郭がはっきりしてるような感じがします。
目で見た美しさをそのまま写真に写そうとしても、うまく写せません。
だから、一応写真は載せますがホントはもっと美しい風景なのです。



山寺を「風雅の国」から見た景色。
母がここから見る景色が好きだったので、母が亡くなってからもここには必ず寄ります。
夕方観光客がまばらになって参道の土産物屋さんも後片付けを始める頃、景色だけを見にぶらっと車で来ます。
しつこいようですが(笑)実際はもっと綺麗ですので。




反対側の山には虹が出ていました。

↓は花笠音頭で「めでためでたの若松様」と歌われている若松観音からの眺め。





こちらが本堂です。
いつもは本堂の扉が閉まっていて、何度も来たことがある父も本堂の中を見たのは初めてだそうです。
巨大な数珠がありまして、ばちあたりにも遊んでしまいました。
西の出雲、東の若松と言われるほどの縁結びの神様のようです。

振り返ってみると、寺詣でと蕎麦屋めぐりの帰省だったような(笑)
なにしろ夫と娘が寺好きですので。
お寺には美しい緑が付き物。
いつも目を酷使しているので、目の休養になりました。
お寺にいると、ゆったりとした気持ちになるのも不思議なことです。



上の画像は米沢の笹野観音。
かやぶきの堂々たる建物です。
近所の子供達が元気に境内で遊んでいる光景は微笑ましいのですが、
遠慮なく手荒に遊ぶので、建物が傷んでしまうのではないかとハラハラしました。
豪雪の地域なので、かなり気を遣って保存しないとこのまま朽ちてしまうのではないかと少々心配してしまいました。

お寺の画像ばかりですね(笑) これで最後にします。
私も私の弟も、夫の兄弟もみんな受験の時はお世話になった亀岡文殊です。
うちの子供たちも当然お世話になりました。





日本三大文殊のひとつだそうで、絵馬を見るとかなり遠くからも合格祈願に来ているようです。
夏休みは受験の天王山。
とはいえ、気をもむのは親ばかり。
のんきな息子を連れて合格祈願に来たのは去年の夏でした。
今年は合格のお礼参りと、「進級祈願」に来ました。



毎年毎年、無理なお願いをして申し訳ないことです。
ましてや今年は「進級祈願」文殊様も驚いたことと思います。
肩身狭く参道を歩く母を、傍らのお地蔵様は優しい顔で見守ってくださるのでした。








 


山形のそば

2006-08-19 | 食べたり飲んだり
私の中で、蕎麦といえば断然「山形」なのです。
ふだん関東で暮らしているときは、わざわざお蕎麦屋さんに入る気は全く起きないのですが、
年に1~2度、実家に帰る時に必ず食べようと思うのが「蕎麦」なのです。

今回の帰省では、念願の「山形の蕎麦」を堪能してきました。
ある日のお昼に出かけたのが、「冷たい肉そば」が有名な一寸亭。



丼に入っているので、画像を見ただけでは温かい普通のお蕎麦に見えるでしょうが、
実は冷たいお蕎麦なのです。
かなりしっかりとした鳥のスープとかつおだしのダブルスープで、意外なおいしさにちょっと感動します。


下の画像は、定番の板そば。
何のことはない、普通の蕎麦を板の器に入れただけなのですが(爆)
量は2~3人前はあります。
ここの蕎麦は、どちらかというと太めのしっかりとした蕎麦です。
山形の蕎麦といっても、お店によってそれぞれ違うので、蕎麦好きなら食べ比べて自分の好みの蕎麦屋を探す楽しみもあるのかもしれません。



私はこれくらいのしっかりとした蕎麦が好きなのですが、ダンナはこれよりほんの少し細めの米沢の「新富」の蕎麦が一番好きだそうです。
グルメとは程遠い夫婦ながら、蕎麦に関する好みはきちんとあるみたいです。

もし山形に行く機会があったら、ちょっとお蕎麦屋さんに寄ってみてください。






ただいま

2006-08-18 | 日々のこと



残暑お見舞い申し上げます。

今日の夕方、お墓参りツアーから帰ってきました。
米沢~天童~鬼怒川を回って、お嫁さんの仕事は独断で放棄して、暑さにも負けずに食べまくってきました。
残りの夏休み2日間は伸びてしまった胃袋を戻すべく、リハビリに努めたいと思います。

合宿に行った息子は、途中で鎖骨骨折というアクシデントがあったらしいのですが、
途中で帰ることを拒否して合宿を続行してます。
月曜日には仕事も始まり、息子も帰ってきて、また慌しい日々が始まりそうです。
ぼちぼち平常営業いたしますので、またどうぞよろしくお願いします。

それにしても、暑いですね。。。。。。


いってきます。

2006-08-13 | 


今朝早く、息子は菅平に発ちました。
午前中はバイトが入ってしまった娘の帰りを待って、毎年恒例になったお墓参りツアーに出かけます。
おととしまでは兎のテツも連れて、4人と1羽の旅でしたが、
去年からテツは生まれ故郷のウサギやさんのペットホテルへ。
今年からは息子が合宿で抜けて、こうしてだんだん最後は夫婦二人の旅になってしまうのでしょうね。

テレビの情報によれば、まだまだ渋滞は続いてるらしいけど、
小さい子供を連れていた頃の苦労に比べれば、気楽なものです。
気がかりなのは、庭に残していく少しばかりの鉢が枯れてしまわないかということぐらいでしょうか。
何度かUPした朝顔は順調に育って、もうすぐ花が2階まで繋がりそうです。
夕立でもあればいいのですが。。。

では、これからちょっといってきます。
年に数回ばかりのお嫁さんと娘の顔を引っ張り出さなければいけません。
テンションも心持ちあげて。

エアコンの効いたホテルで静かに過ごすテツの夏休みが一番優雅かもしれません。



ライブでした。金色でした。

2006-08-12 | 日々のこと
昨日の夜はヴォーカルスクールのお友達とハスキー先生のライブに。
昨夜の先生は全身金色でまばゆく輝いてました。
ヴォイトレ希望の生徒さんが、先生のライブでの姿を見ると必ずレッスンを受けることをためらってしまう。という話もうなずけるような。
レッスンの時とはテンションが違いますから。
普段は穏やかで紳士的な先生ですから。(←これはこの間のレッスンの時の先生の弁)
恐がらなくてもいいんですよ。

アースウインド&ファイヤー。アバ。クインシー・ジョーンズ。
私達の世代にはなじみのある曲ばかりで、年代に関係なくノリノリでございました。
金曜の夜に仕事帰りにちょっと飲みながら、軽く踊ったり歌を聴いたり、そんな楽しみ方もいいなぁと思ったわけです。
一人ではちょっと行きにくい場所。
誘ってくれたお友達に感謝です。
帰り道、まだまだ老け込んでなんかいらんないわぁ~と思ったり。


で、今日は仕事。
夜遊びのテンションはお昼までは持つのですが、昼になると電池が切れちゃうんですね。
ゼイゼイ。。。。。
充電する間もなく、これから息子の合宿の荷造りのチェックと自分達が出かける準備をしなければいけません。
今朝のテレビでは延々と続く帰省ラッシュの様子が出てました。
どうか明日はラッシュのピークが過ぎてることを願って。
完全に電池が切れる前に、なんとか目途をつけたいものです。




スタンド・アップ

2006-08-11 | 洋画【さ】行



ジョージー(シャーリーズ・セロン)は夫の暴力に耐えかねて、二人の子供をつれてミネソタの実家に帰ってきた。
そこは古くからの鉱山の町。
鉱山で働く父(リチャード・ジェンキンス)は、父親の違う子供を連れて出戻ってきた娘に冷たい。
母(シシー・スペイシー)も子供のために夫の元に帰るべきだと、ジョージーを諭す。
自立して子供を育てるためにジョージーが選んだのは、父が働く鉱山での労働。
そこでジョージーと仲間の女性労働者達は、男性労働者から屈辱的な迫害を受けることになる。


アメリカで初めてのセクシャルハラスメント裁判に勝訴した女性達を基にした実話。


セクハラ。。。ちょっと軽く考えてたようだ。。
過剰反応じゃないの?とすら思ってた自分が恥ずかしい。
ごめんなさい。

80年代。まだ「男は外」「女は内」という考え方がアメリカでさえもあったのかもしれない。
男の職場に進出してくる女性に、自分の仕事を奪われるのでは。という脅威もあったのかもしれない。
それでも・・・この嫌がらせの数々はひどすぎる。
腹立たしくて腹立たしくて、いたたまれない気持ちだった。
セクハラする側の男達。
自分達がなぜこんなひどい行為をするのか分かってなかったんだろうなぁ。
ひどいことをしている自覚さえなかったのかもしれない。
理由も自覚もないのが陰湿ないじめ。
女性ばかりの職場で働く自分が、とてもラッキーに思えてしまった。
男のほうが女よりはるかに陰湿なんじゃないの?もしかしたら。
「そんな時代だった」で済ませてしまうには、
たとえ裁判で勝ったとしも彼女達の受けた傷は癒されないほど大きなものだと思う。

もうひとつ、この映画の核になってるのが「親子の愛」だ。
実の娘を「尻軽女」扱いしていた父親が、集会の時にただひとり、娘を擁護する。
裁判で孫の出生の秘密を明らかにされ、思わず孫の父親に殴りかかる。
親子の中でずっとわだかまってたものが融けていく様に、涙があふれる。
そして祝福されない子供を生んで、自分の力で育てぬこうとするジョージーのたくましさと責任感には驚嘆する。
父と娘とその息子と。不器用だけどその行動の下にあるのは強い愛なのだね。

私なんか。。とんでもないアマちゃんだ。。。と思ってしまったり。
自分はなにもわかってなかったと反省したり。
セクハラというものがどんなにひどいもので、どれほど女性を傷つけるかということを。

以前に比べてセクハラに対する批判が強くなってるとはいえ、今でもセクハラはなくなった訳ではないのだろう。
多くの女性が働いている今、
自分の母も、恋人も、妻も、娘も。自分達と同じ働く仲間なのだということを、世の中の男性全てに忘れないでいてもらいたい。






旅するジーンズと16歳の夏

2006-08-10 | 洋画【た】行



ティビー(アンバー・タンブリン) リーナ(アレクシス・ブレーデル) カーメン(アメリカ・フェレーラ)
ブリジット(ブレイク・ライブリー)の4人は、母親がマタニティ教室で知り合って以来、生まれる前からの友達。
性格は違うけど、どんな時でも助け合ってきた大親友。
16歳の夏休み。
彼女達は初めてそれぞれ違う場所で夏を過ごすことになる。
リーナは祖父母の住むギリシャへ。カーメンは離れて暮らす父の家へ。ブリジットはサッカーの合宿でメキシコへ。
何も予定のないティビーは地元のスーパーでバイトをする。
それぞれの出発前日、買い物に出かけた4人は不思議なジーンズを見つける。
体型の違う4人の誰が履いても素晴らしくフィットするのだ。
幸運をもたらす魔法のジーンズだと確信した彼女達は、ひと夏の間ジーンズを共有することに決める。
一人が1週間履いたら、ジーンズを履いてる間に起きた出来事を書き添えて、次の人にジーンズを送るのだ。

一本の魔法のジーンズが、離れ離れになった彼女たちの夏を結ぶことになる。

良かった~
もしかしたらこれは魔法のDVDだったのかもしれない。

いつの頃からか、夏は「なんとか乗り切るもの」になっていた。
思わず遠い目になってしまうけど、10代の頃の夏はもっとキラキラしてワクワクするものだったのだよね。



美人で活発なブリジットは、母親の死を受け止められずにいるのにそんな自分を隠している。
しっかり者のカーメンは、父の再婚に動揺する。
引っ込み思案のリーナは、自分を解放出来ないことに悩み、
クールなティビーは小さな友達との出会いと別れに心を痛める。
それぞれ離れた場所で経験した痛みや悩みでも、友達が手を差し伸べてくれる。
自分の力で自分の問題を正面からクリアした彼女達の夏は、うらやましいくらいにキラキラ輝いて、
「青春」を遠く離れてしまったオバちゃんを泣かせてしまうのだ。

ジーンズは魔法のジーンズだったのか。
魔法であろうとなかろうと、お互いを思う気持ちが彼女達を強くしたのだと思う。
気持ちをつなぐ絆。メッセンジャー。
それがあのジーンズだったんだね。

原作は児童文学の「トラベリング・パンツ」 作者は 
アン・ブラッシェアーズ。
現在パート3まで出てて、パート4で完結の予定だそうです。
彼女達と同じ年頃の子が見たら共感できるだろうし、
遠く過ぎ去ってしまった私達も、ほろ苦さと輝きをあわせ持った夏の日を懐かしく思い出せる作品です。

ティービーの白血病に冒された12歳の友達がビデオに残した言葉。
あまりにも良かったので、ちょっとここに置いていきますね。

結局誰でもダメなとこあるよね。

幸せは大きく成功した時より、ちょっとした時に感じるもの。

スケボーの技をひとつ覚えるとか、このジーンズを履く時や

ゲームで先に進むとき、後悔せずに前向きになれる時。

なんとかがんばる。それでいいよ。



良い夏を♪








48時間の約束

2006-08-09 | 日々のこと

埼玉県の児童相談所では、児童虐待の通報を受けてから48時間以内にその子供の置かれている状況を把握し、保護が必要な場合は速やかに保護をする措置がとられているそうだ。
48時間。
限られた職員の数には、あまりにも多すぎる寄せられる問題の数々。
すぐにでも駆けつけたいけれども無理がある。
48時間はどんな困難な状況でも命をつないでいて欲しい。
48時間以内には必ず助けに行くから。
この48時間という時間は、助けを求める子供達と職員との約束であり祈りなのだそうだ。

娘が進学する時に選んだのは「心理学」だった。
私には良く分からないのだけど、漠然と心理といっても様々に分かれているらしい。
高校生の頃から、トリイ・ヘイデンの本などを読んでいたのでそんなに驚きはしなかったけど、
2年生になる頃「福祉関係」の資格を取ることを決めたようだ。
時々はボランティアで施設にも行ったりして、自分が進む方向を模索しはじめたのかもしれない。
昨日はNHKの「にっぽんの現場」という番組で、児童福祉士が取り上げられていたので
娘と二人、見たのだった。

「育児ノイローゼってどんな人がなるんだろう。。。」
番組が始まってすぐに娘がつぶやいた。
「誰だってなるよ。おかあさんもなりそうだったもん。」
娘、絶句する。
「虐待とか・・・したの?」
「しないけど(笑)運が悪かったら虐待の方向に行ったかもしれないよね」
「運なの?。。。」

たぶん運もあるのだと思う。
もちろん育った環境や性格や生活の状態もろもろのものが絡んでの不幸なのだろうけど。

赤ん坊は可愛いという思い込みの元で母親になる。
でも生まれた赤ん坊は可愛いには可愛いけど、なにしろ得体の知れないところがある。
睡眠不足。疲労。自信喪失。孤独感。閉塞感。
そんなものを感じ始めたときに、風穴をあけてくれる誰か。あるいは何か。がないと、
苛立ちの矛先が全て子供に向かってしまうのだろう。

それにしても児童福祉士とはなんというハードな仕事だろう。
子供を保護する施設には限りがあるし、
間違った判断は、家庭を崩壊させたり子供の命を奪ったりすることに直結する。
「10年かけて1人前になって数年で燃え尽きる仕事」。
そんなハードな現場の人たちの口調はおっとりとして、物腰は柔らかい。
けんか腰で頭に血をのぼらせたままで務まるほど単純な仕事ではないのだろう。

少子化で子供の数は減っているというのに、何らかの虐待を受けてる子供の数は年々増加してるのだそうだ。
私の職場にも「虐待が疑われるケース」が文書として回ってきている。
私が普段職場で会う子供、近所の子供。誰にもそんな形跡は見当たらない。
私が目にする子供は、ごく稀な幸運な子供たちなのだろうか?
特別に子供好きというわけでもないけど、見えないところで耐えてる子供がいることを思うと寝付けない夜だった。

大人の苛立ちが子供に向かわないように。
大人も子供も明るい将来を思い描けるような。
児童福祉士という仕事がなくなるような。
そんな社会であってほしい。




 


意地っ張り

2006-08-08 | 日々のこと

アヤちゃんは2年生。
活発でおしゃべりで気も強そう。
待合室の親子の会話を聞いてると、やさしいおっとりしたお母さんが完全に負けてるカンジ。

事件?は、そんなアヤちゃんの治療が終わった時に起こった。
歯と歯の間が虫歯になっていそうだから、レントゲンを撮ってから帰りましょう。
幼稚園の頃にもちゃんと出来てたのに、この日のアヤちゃんは頑として聞かない。
どういうわけか大人しいお母さんも、今日はアヤちゃんに負けじとがんばるから
事態は泥沼化してしまった。

たかが(爆)レントゲンを撮る撮らないで、診療室のドアの前で二人で大喧嘩。
いい争いが続くうちに話は別のことにも飛び火したりして、収拾がつかない状態に。
もう完全に二人とも、この言い争いから降りるきっかけをなくしている。
もうレントゲンのことは遠くに飛び去り、残ってるのは意地の張り合いだ。
このままレントゲンを撮らずに帰したら、お母さんの顔がたたないだろうし、
アヤちゃんだって、今さらレントゲンを撮ったりできないだろう。
二人の面子を立てる意味で、「今日は前歯についた茶渋をクリーニングしてから帰ろう」という提案をした。

アヤちゃんの歯をクリーニングしながら、飼ってる犬のことや隣の神社から遊びにやってくる狸のことなど話す。
機嫌が直ったところで聞いてみる。


さっきのお母さんとの喧嘩のとき、どうやったら喧嘩をやめられるかわかんなくて
困ってたでしょ?

      
え?わかった?


そんな顔してたもん。レントゲンだって別に撮っても良かったんでしょ?
意地を張りすぎると仲直りがしにくくなるよ。


まったく~ママって時々しぶといんだよね。
しょうがないから今度はアヤが先にあやまったげるよ。
人生って気を遣うものだね~~


。。。。。。

いやはや。。。わかってるのかどうなのか。。。子供って面白いものです。
でも面白がっていられるのは、よその子だから。
自分ンちの子だったら、完全にだったと思う。
傍観者だからこその余裕なのでしょう。

がんばれ~アヤちゃんのおかあさん。

 


アンジェラ・アキ

2006-08-07 | 歌 ときどき ピアノ



ちょっと前から通勤の時に聴いてるアンジェラ・アキ。
昨日の情熱大陸に出てましたね。

日本人の父とイタリア系アメリカ人の母を持つアンジェラ。
徳島の田舎町で育つ。
子供の頃はハーフだということで、好奇の目で見られたという。
アメリカ人の母が「日本人のお母さんに負けないように」がんばって作ってくれたお弁当。
悪意はないのだろうけど、アメリカ人のお母さんが作るお弁当見たさに集まってくる級友。
アンジェラは好奇の目にも負けずに食べたけど、妹は食べることが出来なかった。
お弁当を残したらお母さんが悲しむからと、妹と二人、お弁当の中身を川に流して帰ったそうだ。
流れていくご飯粒が哀しかった。と話しながら、思わず涙を流してしまった自分をサラリと笑うアンジェラ。

アンジェラの明るさの影にはたくさんの悲しみや挫折があるのだと、彼女は言う。
10年の下積み時代。
デモテープを送っても「あなたの声には、引っかかるものがない」と受け付けられなかったそうだ。

確かに美しい声。歌唱力。
あまりにもまっすぐだ。
でも、アンジェラの作った詞と曲に、その美しいまっすぐな声と力強いピアノが乗ると忘れられないものになる。

BGMにしないで、詞をかみしめながら聴いてみる。

「Home」
ふるさと、家。
心のよりどころとなる場所。
帰っていくところ。
帰るところがあるから思い切って飛びたてる。


聴きながら、知らず知らずに涙がこぼれる夜もある。