ありえないほどの自由人であるオトン(小林薫)と別居したオカン(内田也哉子)は、女手ひとつでボク(オダギリジョー)を育ててきた。
オカンはどんなときもボクを受け止めてきた。
親元を離れて遠くの高校に進学した時も、東京の美大を受験すると決めた時も、オカンは快く送り出してくれた。
それなのにボクは大学は留年するし、就職はしないし、全く最低の生活を送っていた。
そんな生活にピリオドを打とうと必死で働き出した矢先、
故郷のオカン(樹木希林)の病が完全に癒えていないことを知る。
15歳で親元を離れてから15年。
親子の新しい生活が東京で始まる。
これはあなたにも訪れる物語です。
たぶん誰にでもある親子の情愛と、そしてどんな深い繋がりにもやがて来る別れの時。。。
そのときを淡々と綴っていきます。
始めはオカンの目線で見ていました。
頼りない息子を責めもせず、何もかも受け止めて悠然と構えるオカンの姿と
小さなことでうろたえてしまう自分と、比べて見ていました。
そして、オカンの病が進行する頃には
私は、自分の母親と弟を見ているような錯覚に陥りました。
弟も田舎から上京して美大に入りました。
まあ、田舎の実直な人から見れば、大学とは言え、ほとんど「道楽」に思われてたみたいです。
両親はそれでも弟を送り出し、遠くからいつも心配していました。
やっと卒業しても、なかなか一つの会社に落ち着かず
特に母にとっては胸が痛む歳月だったと思います。
そんな弟もやっと落ち着いて、時々は実家に顔を出して、けんかしながらも母と買い物にいったりして
安心していた頃、突然母が倒れました。
倒れたきり、もう目覚めることはなかったのですが
亡くなるまでの1週間、ほとんど母の側から離れることのなかった弟の姿は痛ましかったです。
同じ母の子供でも
女の私は「現実」に目が向きます。
残してきた家族のこと、仕事のこと、残される父のこと、実家の細々したこと。
弟はそんなものをすっ飛ばして、母が眠り続けている間はただ母のことだけを想っているようでした。
上の子である私がどこか親に遠慮がちに暮らしてきたのとは反対に
なんの屈託もなく母と喧嘩しながら暮らしてきた弟と母の繋がりは、私とは違った「濃さ」を持っていることを思い知らされました。
娘が公開日に観た、というので感想を訊いてみたら
「う~ん、思ったより淡々としていたね。もっと泣かせようと仕掛けてくるのかと思った。」
という答えが返ってきました。
それは、だって、この物語がオカンの死をただ悲しんでるだけの物語じゃないから。
オカンが生きた日々を描いてる物語だから。
訪れる「死」は、淡々とした日常の延長線上にあるもので
けっして特別のものじゃない。
形は違うかもしれないけれど、誰もが必ず経験することなのだから。
娘が、その淡々と描かれているひとつひとつのことが、とても大切だということに気がつくのは、
もう少し先のことなのかもしれないですね。
『楽しいときは鈴が坂を転がっていくように一瞬のうちに過ぎ去って、後には鈴の音色だけが残る。』
過ぎ去って行った日々は取り戻すことが出来ないけど
せめてその鈴の音を忘れないように、
これから自分が残す鈴の音が、思い出した誰かさんを憂鬱にさせることがないようにしたいものです。
親と子の繋がりって、
やっぱり同じように深くて強いもの。
でも、それは、それぞれの親子で微妙に違うもの…
だと思います。
チョコさん、お母様を亡くされているのですね。
多分、ご両親は、やっぱり上に子であるチョコさんを、
とっても頼りにされていたのではないでしょうか。
上の子って、頼りにされていると感じる分、
親に心配をかけちゃいけないと
思っているようなところがあるような気がします。
チョコさんが、弟さんとお母様の繋がりの「濃さ」を感じていらっしゃったのと同様に、
弟さんも、チョコさんとお母様との違った繋がりを、
感じていらっしゃったのではないでしょうか。
母は、ある意味子にとって特別な存在ではあるのですけれど、
私の場合は、父を亡くしたときに、
母とは違った強い思いを、父に対して持っていたことを実感しました。
母には申し訳ないのですが、父を亡くして以来、
車で20分足らずの実家に行く回数が、激減してしまいました(笑)
『東京タワー』、どうしようか迷っていたのですが、
観にいこうかなと、こちらにお邪魔してそう思いました。
読んでいて涙が出ました。
私はお陰様で両親共に健在ですが、
数年前から周りの友人にはどちらかを亡くされた方が多くなってきました。
『会うは別れの初めなり』と言いますが、
親子と言えども例外ではなくてこの世の定めですね。
日々何気なく暮らしている毎日ですが、
いつか必ず訪れる別れを思うと『今』の価値がとても貴重なものに思えます。
親との別れも。我が子との別れも。
これは以前に本を読みました。
いつの時代も親子の愛は普遍的ですね。
特に息子から見れば母は最愛の人かもしれません。
鈴の音色を思い出して幸せな気持ちになるような、
そんな日々の積み重ねを大切にしたいですね。
わたしたちの年代になると
どうしても自分のことと重ねて観てしまうことになりそうな映画でした。
いつの間にか涙がつたっている。。でも、その涙は
悲しいとかそういう涙じゃなくて
なぜか温かな涙でした。
親と子の関り方も
親子の数だけ様々あるのでしょうね。
私には私なりの
弟には弟なりの
想いがあったのだと思います。
今、自分の子供を見ると
頼りない弟がいるために、しっかりせざるをえない姉と。(笑)
まるで昔の自分たち姉弟のようです。
こうやって繰り返していくんだなぁ。。と
なぜかふとおかしくなってしまいます。
泣かせてしまってごめんなさい(笑)
映画の感想を書くはずが
つい、自分のことを書いてしまいました。
それほど、私たちの年代になると感情移入がしやすい映画だったということでしょうね。
誰にでも訪れる出来事だけど
自分の親だけはなにがあっても死なない、と思ってる人がほとんどでしょうから(私もそうでした)
今の時間が大切なものだということに
改めて気がつくかもしれないですね。
大ベストセラーで(読んでない)
ドラマにもなって(見てない)
今回の映画化でやっと観ました。
ちょっと遅いのですが本も読んでみたくなりました。
実は、明日、義母と観にいきます
(オイオイ・・・)
私は、年の離れた兄とのふたりきょうだいで、姉の気持ちは、想像するのみです。
ただ、子供が姉弟なので、最近は、その微妙な気持ちの機微がわかったりして。
親に対しても、いつか対峙しないといけない別れ。
せつないですね・・・・。
いつも、チョコさんの素敵な文章に魅せられているぼふでした~。また来ますね!
いいお嫁さんしてますね♪
楽しみが控えてるし、いろいろ気も遣ってる?。。とか。
深読みしすぎでしょうか(違ってたらごめんなさい/笑)
でもでも、いい映画でしたよ。
それぞれ見る人が自分に重ねあわせる場面がきっとあるのではないでしょうか。
きっとますます
ぼふふわさんの感想も聞きたいです。
わたしは完璧に、オカンの立場で観てました。
性格や発想の良く似た、23歳で就職できてないのに焦ってない息子を、
どうしても思わずにはいられなくて。
一方では、自分によく似た娘と1つの役を演じ分けられた希林さんの気持ちを思ったり、
やはり、自分のことと重ねてしまいますね。
でも、チョコさんの弟さんのことを読んで、なるほどわたしには「ボク」の視点がないと、あたり前だけど思いました。
映画の感想というよりも、自分や身近な人と重ねてしまう。
この作品は、そうなってしまいますね。
国民的な大ベストセラーになった本なのに
読みたい気持ちと期待はずれだったら。。という懸念とで、
とうとう映画化されるまでお預け状態になってしまっていました。
でも、それが良かったのかなぁ~
とても素直に映画の中に入っていけました。
私も前半はたぶん悠雅さんと同じような気持ちで
観ていたのだと思います。
でも、途中からはしっかりと自分の母と弟のことに重なってしまって。。
あの集中治療室でそっと話した子供の頃の話や
母の頬にそっとふれる弟の手や
いろいろなことが蘇ってきました。
忘れていたことが、こんなにも鮮やかに蘇ることに驚きました。
この映画は、すべての「子供」が、「いつかは」共感できる映画だと思いました。