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memorandum&curiosity

47士の置かれた時代背景

2011年12月17日 03時18分39秒 | exploration
12月14日といえば、赤穂浪士討ち入りの日ですね。

前々から行きたかった「義士祭」でしたが、スケジュール的に通常からすれば行けそうにないのですが、初めて日程に都合がつきました(笑)。

何が何でもこの目に焼き付けたいと意気込んだものの、信じられないアクシデントが発生して、なんと遅れる事態に・・・。
別に仕事上でミスしたわけでもないのに、遅れた理由を考え始めていた自分に少々驚き(笑)。

豊臣秀吉による小田原参陣の催促に2か月も遅れて参陣した伊達正宗さんの気分です・・・(関係ないか)

私が「泉岳寺」に到着したのが、午後2時40分くらいで、無作為にそばにいた方に「義士祭はもう終了しちゃいましたか?」と、尋ねてみたところ、私が訪れる10分ほど前に、47士は「泉岳寺」へ入られたとのことでした・・・。
 
分かってて「泉岳寺」を訪れましたが、私の想像していたよりも、お線香で辺りは煙だらけでした(笑)。
初めての「泉岳寺」なんですけど、駅名にも使用されるお寺の割に、こじんまりとしてますね。遅ればせながら「義士祭」を見学できる喜びで興奮を抑えきれません(笑)。

それにしても、いいですよね。活気に漲っていて、お祭りというだけでテンションが上がるのは、日本人のDNAなんでしょうねぇ。。。
ついつい、露店が気にかかってしまいましたが、ここは、義士祭でした。
熱狂的な赤穂義士ファンでごった返していて、若干ですけど、その隙間から義士達の勇姿がチラリ。
 
嬉しい。ちょこっとだけど、見れました。これがあって初めて12月なんだなぁ~と、実感するんですよね(笑)。
(来年もまた、参拝できたら幸せなんでしょうけど)

現代では考えられない、自己救済。つまり、「敵討ち」ですからね。喧嘩両成敗という当時の観念からすれば、納得の出来ない、難しい解決でしょうけど、当時の幕府は苦慮したでしょうねぇ。
私の今の心境からすれば、赤穂浪士たちを美談という形に少し違和感があるんですけど、それでも当時の民衆からは同情されていたことを考えると、時代背景によっては、見方がまるっきり変わるものなんだなぁ・・・なんて、思うところもありました。

せっかくですから、お参りさせていただきました。
 
なんだかんだ言っても、赤穂義士たちは、現代でもヒーローのようですね。

もしかしたら、この時代に司法制度が確立されていたのなら、悲劇のヒーローが誕生しないでも済んだのかもしれません。
でも、現代から見ればそうかもしれませんが、当時はこれが正しい解決策という認識なのかもしれません。

初泉岳寺。本当によかったです。
(来年もまた参拝したいものです)

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