うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

危ない遊びは面白い:4

2012年05月16日 | 忘れかけていたこと

[ HKEY_CLASSES_ROOT ]の最初のフォルダーの名は [*] という※印の書き損ないのような一字だけである。
アスタリスク(星)という掛け算の数式にも使われるこの記号は、フォルダーなりファイルなりデータなりを探し回るとき大いに役に立つ。
* と書くだけで「全部」という意味になる、悪魔のような力をもった記号なのだ。
たとえば、「検索」で「ファイルとフォルダーのすべて」に「*男*.*」と書いて検索すると、ファイル名に「男」という字が入っているものを残らず洗い出してくれる。
実際にこのとおり書いてやってご覧になるとわかるが、多分何も出てこないだろう。理由は、「男」という字を使ったファイルやフォルダーを作る人は余りいないからだ。
何が何でもと懸命に探していらっしゃる方なら、検索に引っ掛かるかもしれない。

[*] は、このように任意の文字数の任意の文字を表す場合に使うことができる。
こういう具合に使うとき、[*] はワイルドカード(wild card)と呼ばれる。
つまりトランプのジョーカーのように何にでもなってしまう万能カードの役目を果たしてくれるのだ。


それではと、[*] を開いてみたら、5行の記述と2個のフォルダーが現われた。
絵本やアルバムではないので開いてみるだけでは意味がない。これから読み方を調べる。ドロナワの見本である。


危ない遊びは面白い:3

2012年05月15日 | 忘れかけていたこと

レジストリー村のいちばん最初の大字をまず訪ねてみよう。
村だの字だのと勝手に呼んでおいたが、こういう構造はツリーと呼ぶらしい。
一歩踏み入れたら、ものすごい数のフォルダーの行列に出逢った。

**********************************
[ HKEY_CLASSES_ROOT ]

ここには利用しているファイルタイプの情報や、OLEを利用しているアプリケーションの情報が含まれている。
「.bmp 」や「.jpg 」といった拡張子のフォルダを開くと、MIMEタイプや関連付けられているアプリケーションの情報がわかる。

( とほほのWWW入門 )
http://www.tohoho-web.com/www.htm
**********************************

最初に行き遭ったのが「とほほのWWW入門」というサイトで、ここの解説文は、英文を急いで和訳したような、さっぱり意味のわからないよくあるヘルプの文とは違い、日本人の頭で書かれた日本語の解説だからわかりやすい。
ヒット数が5000万を超えている。

いくらわかりやすくても、一度に読むと頭痛の種になるから少しずつゆっくり読んでいくことにしよう。
おや、いま「dutuu」と打ち込んだら漢字が出なかった。「zutuu」「ずつう」がいまは正しい仮名遣いなのか。まだ日本語を覚えきっていなかった。とほほ。


危ない遊びは面白い:2

2012年05月14日 | 忘れかけていたこと

レジストリー村の探検の第一歩は、いくつかある村の入口を確かめておくことだ。
とりあえずは中に足を踏み入れず、看板だけ眺めて引き上げる手もある。

[Win]+[R] これは[スタート]⇒[ファイル名を指定して実行]と同じ、読む文字が少ない方が早いかどうかはわからないが、[スタート]⇒[ファイル名を指定して実行]の2段階クリックより、[Win]+[R]の1.5段階操作の方が早い。
[Win]は何だ、旗マークか、旗はどこだ、Rはどこだと探す人も、二度目三度目には早くなるはず。動物には「慣れ」というありがたい機能があるから。

[Win]+[R]⇒ regedit と書き込み⇒[Enter]
「レジストリ エディタ」が現われた。

「HKEY_・・・」という名の5枚の看板がかかっている。
Hは何を意味するのかなど、考えるには自由だが探るのはむだ。
母音が付かなければ音にならないマザコン文字は相手にしないで「キー」と読んでおくことにしよう。

村の入口だけはわかった。
きょうはまだ足元が定まらないから、このぐらいにしておこう。


危ない遊びは面白い

2012年05月13日 | 忘れかけていたこと

レジストリーをうっかりいじるとパソコンが動かなくなる。
やたらに手をつけないほうが身のため。
そういう言葉を信じて、ごく確かそうな案内がなければ、足を踏みこんだり、ちょっと文字を置き換えてみたりはしなかった。

案内された手順を追っているだけでは、ヘボなガイドつきのツアーと同じで面白味はない。
あとになって、あの裏通りにそんなところがあったのかなどと悔しがるたねになるから、行ってがっかりした旅行は、行かなかったのよりもっと面白くない。

旅はノーガイドに限る。ノーガードになるおそれもないわけではないが。
それでも、まったく行き当たりばったりというわけにいかないので、下調べを始めようかと思いついた。
誰か一緒に行かないかなあ、レジストリー村の探検に。


消えてしまったタスクバー

2012年05月12日 | 忘れかけていたこと

タスクバーが画面の天井に昇ってしまった。
タスクバーが画面の横の壁に貼り付いてしまった。

ちょっとしたマウス操作の気まぐれから、こういうことは起こりうる。
位置が変わっただけなら戻せばよい。引っ張って連れ帰ればよい。
上か横に行ってしまったタスクバーに、ポインターを持っていってドラッグすればよい。
帰ってきたらまた逃げ出さないよう鍵をかけてしまえばよい。
ということなのだが、どしても行った先から動き出さない場合がないこともない。

たまに遊びに来たのに小遣いをねだって断られた腹いせに、ちょっと困らせてやれと、お孫さんがタスクバーを上か下に持っていって固定してしまった場合である。

動かない場合は固定を解除、タスクバーで右クリック⇒プロパティ⇒[タスクバー]タブにある「タスクバーを固定する」のチェックをはずせば動くようになる。
それでも動かないのはマウスの使い方が下手なので、練習を重ねるしかない。

タスクバーが位置を変えても見えているうちはよいが、姿を見せなくなってしまったときは少しばかり厄介である。

呼び戻す方法は二つある。
1.タスクバーのあった位置あたりにポインターを持っていって突付いていると、ひょこっと顔を出すことがある。
2.[F11] キーを押すと全画面になって、タスクバーも消えてしまうが、この場合ならもういちど[F11] キーを押すか、[Esc] キーを押せば戻る。

この二つのどちらでもない場合は、少しばかりではなく大いに厄介なことになる。
下のサイトにいろいろ出ていて、まだ全部読みきってないので、とりあえずアドレス紹介だけしておこう。こういうことなんだよと教えていただけるとありがたい。

タスクバー消失?
http://okwave.jp/qa/q1656014.html

i18nのアクセス権が変わってしまった?
http://okwave.jp/qa/q6817705.html

タスクマネージャを起動してみたら?
http://win2k.pasokoma.jp/c_384077


ワードがよいかエクセルか

2012年05月11日 | 忘れかけていたこと

ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか
そんな歌が昔あった。

そんな難しい話ではなく、初心者にすすめるオフィスソフトは、ワードがよいか、エクセルがよいかという話である。

初心者に覚える意欲があるかどうかがいちばん肝心なところなのだが、それには何をしてみたいかを聞きだす必要がある。
この聞き出し方にも問題があって、初めに言ったことがすべてだと思ってしまうのは早計なのである。

また昔のことになるが、ビデオデッキを始めて買いに行ったとき、店員に「ベータとVHFのどちらにしますか」といきなり聞かれた。
方式の名前も知らず、2種類あることさえ知らずに買いに行ったこちらには、返事のしようがない。
答えに詰まって、いちばん信用のおけそうなメーカーの名前を言った。
その後ビデオの方式が統一されると、私の選んだ方のメーカーが用いていた方式は影が薄くなり、また何年か後にビデオ全体がなくなってしまうとは、そのとき考えてもみなかった。

ワードとエクセルを、初心者に選択させるのはどだい無茶なはなしで、それらがどういうものかを知らないのが初心者なのだ。
ワードというのとエクセルというのがありますがどちらがいいですかといきなりたずねれば、ワードのほうが返事がしやすいように思える。エクセルはどこか難しそうな名前だからというだけのことで。

文章が主のものにはワード、表の形になったものが主のものにはエクセル。
ごく初歩の使い方だけを、両方やってみてもらうのがいちばんよいと、私は思っている。
どちらを使っても同じようなものを作れることは、使っているうちにわかってくるから。
どちらか一方しか知らなければ、もう一方を知る機会が遠のく。
一方に慣れてしまえば、他のものは知らずう敬遠、食べず嫌いとおなじになる。

だいじなことは、自分の好みを初心者に押し付けないことだろう。
ソクラテスか、プラトンかと、名前を先に言ってしまうのは、印象誘導になって、必要のない選択を迫ることになる。
おすすめはともし聞かれたら、両方ですと言えばよい。


お座なりヘルプ

2012年05月10日 | 忘れかけていたこと

ソフトのヘルプには、そのまたヘルプが必要ではないかというものが多い。
ヘルプを求めるのはよくわからない人で、作るのはわかっている人だから、巧くかみ合わないのは当たり前なのだ、という言い分がそこにあるからだろう。
言い分と書いたのは「いいわけ」ではなく「いいぶん」のつもりなのだが、ここでおかしなことに気づいた。
「いいぶん」と「いいわけ」は違うことではなく、同じことを言う人側、聞く人側からみたそれぞれの呼び方だったのだ。

葉書ソフトで名刺まで作れるのがあって、それで名刺を作ってあるのだが、書き換える方法を知りたいという方がおられた。
作ったものなら簡単だろうとソフトを開いてその出来上がり画面が見えるようにしたものの、どこを探しても「編集」の入口が見つからない。
どういうふうにして作ったのですかと聞いても覚えてないという。

ヘルプを開いてさんざん探し回ったが、そこでも見つからない。
テンプレートを選ばせて、ごく簡単に作れるようにした葉書のソフトで名詞の作り方のヘルプなど親切に書いてはいられないという言い分が見て取れたので、やむなく降参宣言をして別の方法をお薦めしたが、多分お気に召さなかったであろう。
こちらも内心どころか満身忸怩、後で思いついたが、お座なりヘルプなどに頼らず使い方のサイトかFAQを見るべきだった。
今度機会があったらそこから再挑戦してみようかと今頃思っている。
出来の悪いヘルプに付き合っていると、こちらのすることまでお座なりになっていく。
これは一種の社会的弊害である、というのは「いいぶん」でなく「いいわけ」、ごめん。


ファイルはこわれておりません

2012年05月09日 | 忘れかけていたこと

写真の画像が出てこない、どうしたらよいかという質問があった。

レトルト食品が威力を押し広げ、売っていたものがそのまま食卓に並べられるようになると、取り皿さえ使わずに販売用の容器から食べ物が口の中へ直行する。
便利がいちばんというただそれだけのことで、野外の食事形式が家の中でも採用される。

パソコンのファイル呼び出しも、皿を用意しない食事と同じように、ファイルを開くソフトを起動しておかずに、フォルダーに並んだファイルのアイコンを、いきなりダブルクリックして見始める習慣が身についてしまうと、その方がはるかに便利だと思うようになる。

パソコンがだいぶ遅くなったので、気分を変えて早く動くものに取り替えた。
写真を見ようとフォルダーの中にあるファイルをダブルクリックしたが、怪しげな文字が現われた。

写真のファイルがこわれたか。
冷蔵庫にしまっておいた食べ物は、湯煎でなければならないものを電子レンジに放り込んだのでは、食べられる状態にはならない。
ファイルはこわれなくても、取り出し方によって見るも無残な姿に変わってしまう。

この異変は、jpg 画像ファイルが、どういうわけか経緯の想像はつかないが、ワードで呼び出すような設定に、いつの間にかなっていたのだった。

処置は簡単、ファイルの「プロパティ」で「プログラム」が「Microsoft Office Word」になっていたのを、[変更]メニュから画像ソフトを探し出して指定してやればよい。
同類のファイルは、いっせいにそれにならって設定変更される。それだけのこと。

文書でも画像でも、いま見ているものはどういうソフトで動いているのかぐらいのことはわかっていたほうがよさそうである。
食べ物も載せる皿に多少は気を遣うぐらいでないと、いかにも味気ないではないか。


本は買ってもつものになった

2012年05月08日 | 忘れかけていたこと

久しぶりに本屋に寄ったら、空気がだいぶ変わっていた。
どこがどうと説明はできないが、並んでいる本の姿が違う。
ハードカバーが増え、ぱらっとめくると、半分くらい空白のページの本もある。

読む本から買ってもつ本になってきたのか。
読むだけならば、印刷された本でなくてもできるようになった。

本が買わせるものになったのと同様に、ネットを使った情報の提供様式もダウンロードさせて見せるものが増えた。
しかし、ダウンロードは必要な部分だけというわけにいかない。
何ページにもわたる文書のうち数行だけが必要でも、あるいは何十枚もの画像の中から1枚だけ取り出したいといっても、いったんそっくり受け取ってから抜き出す作業をしなければならない。
自分から求めて手に入れたい場合は仕方がないが、よかったら見てくれといわれて何十枚もの写真をどさっとダウンロードさせられるのはごめんこうむりたい。

ダウンロードというのは有料無料にかかわらず買う行為なのだ。無料は違うと言うなら譲り受けると言い換えてもよい。
買わせる、あるいは譲り渡すものは、先に中味をよく見せること、立ち読みも、ひやかしもできるようにしておくのが普通のやり方であった。
手続きの前に中味を見せることを怠ると、だんだん押し売りに近づいていく。
質量ゼロのネット上であっても重荷は重荷、押し売りに似た行為は迷惑なのである。


たまった方が捨てやすい

2012年05月07日 | 忘れかけていたこと

メーラーの調子がいまひとつで、受信メールがどっさり溜まっていた。
これまでは項目だけでも律儀に目を通すようにしていたが、100通近くも溜まったのではそんなこともしていられない。

どうしても見ておかなければならないものを除いて、一度にまとめて削除。
見なかったものは来なかったと思えばよいから、これは簡単でよい。

記事を拾い上げたところで、それを種に余計なことを考え始めれば、時間を食われる割りに頭の空回りが増えるので、当分は余計なメールを読まないようにしよう。

読まないことにしておけば、ばっさばっさと捨てられる。
かえって気分は爽快である。


一事が万事か

2012年05月06日 | 忘れかけていたこと

画面の見えないパソコンは、聴力と勘で操作する特殊能力を持ったユーザーでなければ使うことができない。

画面が一時真っ暗になったと言ったら、グラフィックボードの故障ではないかと教えてくださった方がおられる。
さて、グラフィックボードとは何ものなのか、にわか勉強が始まる。

パソコンの画面は、こういう画面を出せとディスプレイに命令するグラフィックアクセラレータという仕組みに操られて現われるらしい。
グラフィックアクセラレータのハードウエアの部分の形はいろいろで、メインボードに組み込まれているチップセット内蔵式もあれば、グラフィックカードあるいはグラフィックボードのように、その働きをする部分が別にまとめられて組み込まれるものもある。

グラフィックボードの故障だろうと言われた方は、画面が出なくなって、あるいは画面の出方が気に入らなくて、ボードを取り替えたら画面がすっきり現われた経験をお持ちなのかもしれない。

グラフィックボードもやはり値の張るものは性能がよさそうである。
しかし、大画面に大写しで映像を楽しみたいとか、3D画面の迫力に感動したいとかいう欲求を持たず、パソコンは書いたり計算したりする道具だと思っていいるものにとっては、高性能のグラフィック機能など必要なく、チップセット組み込みで十分なのだ。

この際だから確かめておこうかと、メーカーのガイドサイトを見たら、いまのパソコンのグラフィックアクセラレータは、Trident社製 Cyber ALADDiN-T(チップセットに内蔵)となっていた。
これを取り替えるのでは、パソコン買い替えと同じことになるだろう。

車と同じように、いろいろ部品を取替えながら性能を上げていくチューンアップを、パソコンのハードウエアで楽しむ人もいるが、私には、車もそうだったがパソコンも同じで、必要に応じて使いこなせればそれでよいので、部品取替えのお薦めには乗るつもりにはなれない。
一事が万事、便利にはしたいが、別に高級感は味合わなくてもよいと思っている。


やはり使い慣れたものがよい

2012年05月05日 | 忘れかけていたこと

OLEがまた復活した。
うまく起動しなかった原因がわからないので、復活した原因もわからない。

ともあれこういうものは使い慣れた方がよいから、サンダーバードはひとまず休止にした。
ThBは、アカウントの設定がややこしく、二つ目を設定したら、増設の形でなく前のと入れ替わってしまって、初めのアカウントがどうしても呼び出せないという、おかしな具合になってしまった。
OLEの復活も、ThBがこういう状態になってしまって嫌気が差し、試しに起動してみてさらっと起き上がったのでわかった。

ダウンロードしたファイルは保存してあるし、また必要になればいつでも使えそうだからと、ThBをアンインストールして後で気づいた。
ThBを使っている間に保存したメールのバックアップを取ってなかった。
これはしまった。まだバックアップが日課になりきれてないのだ。


意味のわからない音

2012年05月04日 | 忘れかけていたこと

ブログのアップロードを終えてブラウザーを閉じるとき、スピーカーから、奇妙な音が10分の1秒ぐらい連続して出ることがある。

単純な音ではなく、むかしはやったイントロクイズのような、楽曲の一部に似た複雑な和音である。

幽霊の正体なら、枯れ尾花かどうか見極めようもあるが、相手がごく短い音で、いつも出るとは限らないから、捕らえようがない。
真剣に調べるつもりなら録音という手もあるが、そうむきになることでもないので、あ、また鳴ったか、ぐらいで終わる。
それならわざわざなぜ書いた、ともう一つのジャーンが聞こえてきそう。


発見とはようやく気づくこと

2012年05月03日 | 忘れかけていたこと

パソコンが調子のよいときは、頭の回転も滑らかになる。
頭がよく回れば何か発見もある。
発見といっても、うずもれていた何かを見つけ出すのではなく、知らなかったことに気づくだけの話なのだが。

Phtofiltre は画像のちょっとした加工に便利なので Vix と役割分担を決めて常用している。
これまで、絵づらの編集までは Phtofiltre で、サイズの変更とファイル整理は Vix でやっていた。
Phtofiltre の「指定サイズ」という機能にようやく気づいて、アップロード前のサイズ縮小の役目を Vix から Phtofiltre に移管、ということになった。

「イメージ」⇒「キャンバスサイズ」で加工済みの画像のサイズはすぐわかるのだが、その先の縮小作業も、すぐ下にある「指定サイズ」で、その場でごく簡単にできるのだった。

写真と文のもたれ合いブログでなく、画像は画面の賑やかし、つまりただの挿絵の場合には、余り大きいと邪魔になる。
これぐらいならという大きさは、タテヨコどちらか大きい方が240ピクセル。

 Phtofiltre の「指定サイズ」で、「制限値」を幅、高さ両方ともに[240]にして、「縦横比を無視する」のチェックをはずしておけば、画像サイズのどちらか大きい方が240ピクセルに1クリックで調整され、それを保存すればよい。

縮小作業に Vix を使っていたときは、サイズを変えても元の画像が入れ替わらずにそのまま残るので、うっかり変更後の画像を先に閉じてしまって、何をやったのかわからないような失敗もあったが、 Phtofiltre では変更後の画像に入れ替わるから、そんなしくじりもなくなった。

Vix の役目は、ファイル整理だけになったが、これがスイスイ仕事をしてくれるので、もってまわったような動き方で使い方もややこしい他のソフトは使う気になれない。


隔日に憂鬱がやってくる

2012年05月02日 | 忘れかけていたこと

今朝は画像ソフトが難なく起動した。

隔日に良不良状態が繰り返されるようだが、確実にでもない。
ひょっとしたラン・タイムの行き違いがその日の気分と効率を反転させたりさせなかったり。
こういう事象の起こり方をランダムというのか。

どこを攻めればボロが出てくるのか。
こちらのすることが気まぐれでは、見つかるわけがない。

「不信感を払拭しなければ」などと利いた風なことを言ってみても、することに筋道を立てられなければ、思いつきの行列ではことが解決しない、あの難事と同じだ。