うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

見る前の分別は得策か

2012年05月29日 | 忘れかけていたこと

「見る前に跳べ」という本の題名があった。
跳べと言った人は、N賞などを貰って、いま涼しい顔をしている。
ときどき気が向くと現われては何か言っているらしいが、ある書簡のやり取りで、文学とは程遠い、余りにも児戯に似た文面を見てから、著作を読む気も話を聞く気もしなくなった。

跳ぶ話ではないのに、つい横道にそれた。
ここは「見る前に分ける」話である。
受け取った郵便物でも電子メールでも、見る前に分類する人がいる。
巧く整理できるという確信があるのだろう。

ゴミを分別すると、運搬費用が分け方の数に比例して増大する。
メールも同じではないかと思う。
分別すれば、メールチェックの手間が、分け方の数に比例して増大するのだ。

受信トレイをざっと眺めて一度に処理できるものを、分別するとトレイごとに見ていかなければならない。
まったく中味を見る気がしないメールは、受信前にブロックか削除か、方法を講じた方がよい。分けておく意味はないのだ。
見ないメールの入れものは、必ず短期満杯を達成することになるから。

しかし、見る前に分別する方法の有効な場合が、まったくないわけではない。
それは、有能な秘書がいて、分別トレイごとに、毎日要不要のチェックをしてくれる場合である。
もう一つ、メーラー起動時に、はじめに現われるのが、分別の対象になっていない数少ないメールのみであるという、さっぱり感が重視される場合である。
それがよいと思う人は、どうでもよいものを真っ先に見るという矛盾には気づかないことにしている。

自分で何もかも見る場合、前もっての分別は無駄であるという、数年前の経験から得た実感は、まだ消えていない。