海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

2008-05-10 16:22:08 | 映画
 昨日は桜坂劇場に若松孝二監督『実録ー連合赤軍 あさま山荘への道程』を見に行った。2:50からの上映で客は30名ほど。20代から60代まで年齢層は幅広かった。
 映画は3時間10分という時間をまったく感じさせないほど集中して見られた。緊迫した場面が連続することもあるが、当時の状況を連合赤軍の活動家たちの視点から描く上で必要なものだけを圧縮しているからだろう。若い役者たちの演技もよかった。
 以前から感じていることなのだが、連合赤軍だけでなく、当時の三派全学連や全共闘の行動形態を見ていると、旧日本陸軍のそれと重なって見えてくる。主観的願望を投影した情勢分析とそれに基づいた彼我の力関係を踏まえない戦術の強行。地道な組織作りを怠り、退却して組織を温存することを忌み嫌う安易な決戦主義。難解かつ空疎な漢語表現を多用し、細かい現実分析や心理分析を不可能にしていくことで陥る硬直した観念性。自分達が時代を開くという前衛意識と労働者大衆にたいするエリート意識など、旧日本陸軍の首脳や実務をになった中堅の将校達と武装蜂起主義に入っていく学生運動家達に共通するものは少なくない。
 その極端な形が連合赤軍だと思うが、「赤軍」を名のりながら山岳アジトで行われていることは、日本陸軍の兵営内で下級兵士に行われた暴力とどれたけの差があるのか。むしろ歯止めのなさにおいて連合赤軍の方がはるかに悪質だろう。団塊の世代は敗戦直後に生まれているのだが、その親の世代が身につけた(刷り込まれた)旧日本陸軍の論理と心理は、克服されないまま受け継がれていったのではないか。革命を口にしてゲバルトをふるうその行動形態は、風俗的には新しく見えても、実際には古い論理と心理がくり返されていたのではないか。
 このように書くと団塊の世代から顰蹙を買いそうだが、それはかつての学生運動に限ったことではない。高橋哲哉氏が現在の日本の状況をさして、戦後の日本を覆っていた「メッキが剥がれた」という表現を使っていたと思うが、敗戦の不徹底によって生き延びた論理と心理は、この社会で今、再生の勢いを得て広がっているだろう。そして目に見えて広がるものは拒否し得ても、地下茎のように伸びているものは自分の内にだってある。そのことを自覚して『実録ー連合赤軍 あさま山荘への道程』を見るなら、そこで行われていることは形を変えて今もくり返されているかもしれないし(それほど極端ではなくても)、自分がその中にいることだってあり得るだろう、という思いに至る。
 また、山岳アジトの中で暴力がくり返される時に漂う〈陰湿さ〉が持つ意味はなんなのか。そのことを考えることが重要だろう。それは3時間以上もあるこの映画に笑い声がないことの意味を考えることでもある。
 去年、沖縄戦を戦ったある日本兵の方に聞き取りを行った。捕虜になったあと収容所で、アメリカ兵が上官と部下の間で気楽に会話しているのを見て驚いたこと。アメリカ兵の明るさは救いだった、とその方が話していたことを思い出す。アメリカ軍の内部にも、上下間の厳しさはあっただろう。しかし、元日本兵の方が感じたアメリカ兵の気さくさや明るさは、沖縄の住民も感じていただろうと思う。
 その対極には日本軍の持っていた陰湿さがある。それは軍隊だけでなく、日本人が作る集団・組織の問題として今もあるはずだ。笑いを許さない潔癖なきまじめさと陰湿さがあわさって機能し始めるとき、そこで行使される暴力は歯止めがなくなるだろう。ここでいう暴力は肉体的なそれに限らない。学校でいじめられた体験のある若者は、40代以上の世代とは違った見方でこの映画を見ているかもしれない。すでに36年も前の事件であり、政治の季節はとうに終わったように見えながら、映画に描かれた問題は今も生き続けている。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
重すぎて (風人)
2008-05-11 11:58:58
連合赤軍事件は、私にとって、
今でも、”思い出したくない過去”です・・・・

目取真俊さんの「虹の鳥」を読んだ読後感も、
未だ相対化できません・・・



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