海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「靖国神社にまつられているあなたへの手紙」

2008-12-09 06:42:33 | 靖国問題
 3年前の12月8日に靖国神社に行った。「主権在民!共同アピールの会」から「靖国神社にまつられているあなたへの手紙」という企画を呼びかけられ、それに応えて下に引用・紹介する文章を書いた。他には元木昌彦氏、吉田司氏、森達也氏、野中章弘氏ら全15名が参加し、パンフレットを出すと同時に、靖国神社でアピール活動を行い、国会議員会館で記者会見を行った。
 せっかくの機会だからと私も沖縄から参加したのだが、前年の8月15日に靖国神社の様子を見に行ったので、12月8日の様子はどうか見てみたいという気持ちもあった。行ってみて意外だったのは、参拝者の姿がほとんど見られないことだった。周りの道路では右翼の宣伝カーが走り回っていたのだが、神社の中は冬の日差しに銀杏の黄葉が美しく、近くにある幼稚園から帰る子どもたちやそれを迎える家族の姿が見られるくらいで、いたって長閑なものだった。
 8月15日の敗戦の日ほどではなくても、12月8日という太平洋戦争開戦の日もそれなりに人が集まるのではないか、と予想していたので拍子抜けすると同時に、その落差が持つ意味について考えさせられもした。
 今年は1978年にA級戦犯が合祀されてから30年目にあたる。首相の参拝が問題にならないと靖国神社に対するマスコミや市民の関心も薄れるようだが、昨日の様子はどうだったのだろうか。
 なお「主権在民!共同アピールの会」のホームページでは同日のアピール文や15人が寄せた「靖国神社にまつられているあなたへの手紙」を読むことができます。じひ、見っちとぅらしみそーり(ぜひ、ご覧ください)。

「島に流れ着いた特攻隊員のあなたへ 望んだのはこんな日本の姿ですか」目取真俊(作家)
 60年前の春、あなたは沖縄島北部の海を漂っていました。
 特攻隊員の遺体が打ち上げられているという話を聞いた私の祖母は、海岸に行って、岩に引っかかっていたあなたの姿を目にしています。波に揺れる白いマフラーが印象に残ったようです。しばらく前に長男(私の父)が鉄血勤皇隊員として戦場に出ていくのを見送った祖母は、きっとあなたの母親のことを思い、胸を痛めたと思います。
 あなたはどこの出身だったのでしょうか。名は何といったのでしょうか。どこの飛行基地から沖縄まで飛んできたのでしょうか。今ではもう、それを知る術はありません。あなたの最後の姿を目にした村の人達も、ほとんど亡くなってしまいました。ただ、書き残された記録と、島で語り伝えられた記憶の中に、あなたの最後の様子が伝えられています。
 沖縄島周辺に集結した米軍の艦船に、あなた達が攻撃を仕掛けるのを私の祖父母は、逃げ込んでいた山中で目撃しています。体当たりを敢行しても対空砲火で片っ端から撃墜されてしまう。海に落ち、波間を漂ったあなた達の死体の一部が、島の海岸に漂着しました。
 あの当時、あなた達の死は「散華」と美しい言葉で飾られ、「水漬く屍」と荘重な響きの歌で讃えられました。それは今でも一部で続いています。靖国神社の遊就館には、あなた達の死を飾り立て、讃える言葉が連ねられています。けれども、戦場の死が、華が散るように、玉が砕けるように美しいはずがありません。
 撃墜されて損傷を負ったあなた達の肉体は、鮫や魚に食われ、サンゴによって傷つき、沖縄の陽に照らされて腐敗、膨張し、無惨な姿となって漂着していたのでした。頭や手足がもげて、飛行服を着た胴体だけが流れ着いたこともあったと言います。それでも、どのような形であれ海岸に打ち上げられ、島の人達によって葬られたのは、まだましだったでしょう。あなたの仲間の大半は海の藻屑となり、骨は海底に沈んでいきました。
 そうやってあなた達が自らの命を捨てて行った攻撃も、沖縄戦の戦局に影響を与えることはできませんでした。米軍は艦砲射撃や空爆、銃撃、火炎放射器、ガス弾によって無差別的な攻撃を行い、日本軍兵士だけでなく十万人以上の一般住民が殺されていきました。
  沖縄の男のほとんどは軍隊や防衛隊にとられ、残された女や子ども、老人達も戦場を逃げまどいます。梅雨の雨に打たれ、泥と死体の中を這いずり回り、動けなくなった老人を置き去りにし、死んだ母親の乳房にすがりついている幼い子どもを見捨て、やっと逃げ込んだ壕を日本兵に追い出され、島の最南端の摩文仁の丘や海岸に追いつめられて、米軍の掃討戦によって殺されていきました。
 沖縄の住民を殺したのは米軍だけではありません。「友軍」と呼んで頼りにした日本軍も、いざ地上戦が始まると、住民を守るどころか逆に、スパイ視して虐殺したり、食料を強奪したり、壕を追い出して砲撃の中にさらしたりしたのです。日本軍の命令、強制、誘導による住民の「集団自決」も起こっています。
 あなたが流れ着いた私の故郷の村でも、日本軍に射殺された女性や、日本刀で惨殺された男性がいます。彼らはけっして日本軍が疑ったようにスパイではありませんでした。
 自分の仲間がこのようなことを行うと、あなたは夢にも思わなかったでしょう。しかし、敵の米軍だけでなく、味方と思った日本軍にも虐殺され、壕を追い出されてひどい目にあった。中には強姦された女性もいる。これが沖縄戦で起こった事実です。あなた達が空から最後に見たであろう沖縄の地上では、このようなことが起こっていたのです。
 沖縄の住民の苦しみは戦後も続きます。生活は破壊され、餓死や衰弱死、マラリアによる病死が数年に渡って続きます。収容所から戻ってみると、故郷の土地は奪われて米軍基地と化していました。占領者の米兵による強姦事件や殺人事件が相次ぎます。
  1947年、昭和天皇はGHQ総司令官マッカーサーにメッセージを送り、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう……希望している」「沖縄(および必要とされる他の島々)にたいする米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借──25年ないし50年あるいはそれ以上──の擬制にもとづくべきである」と主張して、自己保身のために沖縄をアメリカに売り飛ばします。
 1951年のサンフランシスコ講和条約の際にも、沖縄は切り捨てられて米軍の占領下に置かれ続けます。治外法権的な米軍支配の下で、米軍による沖縄住民への事件や事故が後を絶ちませんでした。それを満足に裁くことさえ沖縄側にはできませんでした。1972年に施政権が返還されて以降も、沖縄島の面積の2割を占める巨大な米軍基地は残り、事件や事故は続いています。その中には、小学生の少女が米兵3名に強姦された事件もあります。
 そして、「戦後60年」といわれる今年、在日米軍の大規模な再編計画が打ち出されています。その焦点の一つは、在沖海兵隊普天間基地の「移設」ですが、日本政府は沖縄県内でのたらい回しに固執し、米軍基地を沖縄に集中させる意志を継続しています。「移設」の名の下に名護市辺野古の沿岸部に建設されようとしている基地は、1800メートルの滑走路を建設するだけでなく、大浦湾を大規模に埋め立て、そこに港湾施設が建設される可能性も指摘されています。
 すでにある辺野古弾薬庫やキャンプ・シュワブ内の演習場、住宅・娯楽施設と一体化し、米軍の望み通りの基地機能の集約化が行われるのです。さらに米軍基地を自衛隊が共同使用する計画も打ち出されています。対テロ戦争や対中国を目的とし、米軍と自衛隊が一体化して展開する軍事拠点として、沖縄基地は「負担軽減」どころか、より強化されようとしているのです。
 それはまた、沖縄の米軍と自衛隊の基地が、恒久的に固定化されることを意味しています。これから先も沖縄県民は、軍事基地がもたらす事故や事件に脅かされながら生きることを強いられようとしています。
 このことに圧倒的多数の日本人は無関心であり、日米安保体制の負担を沖縄に押し付けることを当然としています。多くの観光客が沖縄を訪れ、芸能や音楽、自然を楽しみ、もてはやしていますが、日本人の中には今でも、沖縄への差別意識が巣くっているとしか思えません。
 60年前、あなた達が命を捨てて守ろうとし、未来へつなげようとした日本のこれが現在の姿です。
 二度と国権の発動としての戦争を行わず、戦力を持たないとした憲法の平和主義は踏みにじられ、今や戦地イラクに自衛隊が派兵されています。沖縄の空は連日、米軍や自衛隊機の轟音で切り裂かれ、地上でも海上でも海中でも演習が行われています。そこに住む住民に被害を与えながら。
 そして、沖縄から出撃した米海兵隊は、イラクのファルージャにおいて多くの市民を巻き添えにした戦闘を行っています。
 かつてベトナム戦争で沖縄が米軍のベトナム攻撃の拠点となったとき、沖縄はベトナムの人々に「悪魔の島」と呼ばれました。今、イラクの人達にそう呼ばれたとして、返す言葉があるでしょうか。
 アメリカのイラクへの侵略戦争をいち早く支持し、「復興支援」の名の下に自衛隊を派兵しているのが日本の小泉政権です。
 あなた達が60年前に望んだのは、このような日本、沖縄の姿なのでしょうか。
 私にはあなた達が靖国神社で安らかに眠っているようには思えません。「癒しの島」と呼ばれる沖縄の陸や海や空で、今も癒されることのないあなた達の魂が、鬼哭啾々として声を上げているように思います。再び戦争をする国へ変わりつつある日本の姿と、「捨て石」にされる沖縄の姿を見つめながら。

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2 コメント

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肝にしみる言葉やいびーん! (なさき)
2008-12-09 13:25:50
靖国(訴訟)関連のエッセイやいっぺー肝に沁みる言葉やいびーん!大学の先生たーや、時勢の中身までぃ深く言上げしみそーらんしが、うんじゅの言葉や今ぬうちなー、日本、アジア、世界までぃん、深く掘り下ぎてぃー、言葉しーレントゲンぬ事し、見してぃ、いっぺー、物考えしみてぃきやびーん。うんじゅがチャー元気し、ガンバティきみそーち、いっぺー、にへーでぃ、思むとーびん。うふぉーくなーぬ人が読でぃからに、深く、認識しきみそーれ、うちなーん、大和ん、悪な方向かいやいかんぐとぅ
少しやましないぬぐとぅ願がとーいびん。
返信する
ブログで (ブーゲンビリア)
2008-12-10 12:59:53
紹介させていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/15917152b07381140b17242140870450
事後承諾になりますが、ありがとうございました。
私のブログでも1000人くらいは読んでいると思います。
多くの、いろいろな人に読んでほしいと思っています。
返信する

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