13日(水)は前日に続き安和の琉球セメント桟橋で、埋め立て土砂を積み込むガット船に抗議した。
午前8時半頃、安和の現場に着くと1隻目のガット船・航安丸が土砂を積み終え、出航しようとしているところだった。カヌーを急いでおろし、先に2艇が海に出て航安丸の動きを止めた。そのあと、カヌー7艇とゴムボート1隻(ハクイ)で抗議を続けた。
午前9時15分頃、海上保安官が海に飛び込んでカヌーの強制排除を始めた。全カヌーを排除し終えたのが9時38分頃。航安丸が出航したのが9時55分頃だった。入れ替わりに寿鷲丸が接岸した。抗議行動がなければ、午前中で寿鷲丸も出航できたはずだが、1時間以上の遅れが出て、積み込みは昼休みを挟むことになった。
海保に拘束されて浜に戻されたあと、早めに昼食をとり、午後は12時半に海に出た。桟橋の下に行き、ネットや鎖にカヌーを固定して土砂の搬出に抗議した。
海保の強制排除が始まったのが午後1時40分頃。全員の排除を終えたのが午後2時37分頃だった。そのあと、ハクイが桟橋の下で抗議を続け、寿鷲丸が出航したのは午後3時頃となった。入れ替わりに、この日3隻目の神峰が接岸した。抗議がなければ午後1時には3隻目の積み込みが始まっていただろう。
こうやって少しでも作業を遅らせ、ガット船の出航を1隻でも減らしていくこと。今できることにベストを尽くし、日々の努力を重ねていくこと。そういう粘りが大切な時期だ。
桟橋の下はミジュンの群れが今日も泳ぎ回っていた。沖縄人にとって海は宝であり、海の恵みで生き延びてきたはずだ。沖縄人だけではない、すべての人にとって海は生命の源であり、その恵みなくして生き延びることはできない。それを破壊して殺戮しか生み出さない軍事基地をつくることを、何としても阻止しないといけない。
カヌーを下ろす浜の上の歩道で、本部島ぐるみ会議のAさんが、今日も土砂を下ろすダンプカーの台数を記録していた。早朝の1台目から夕方の最終台まで、まる1日ダンプカーの数を数え続けることがどれだけきつい作業であることか。辺野古でも高江でも安和でも、こういう地道な作業を続ける人がいて、沖縄の反基地運動を支えているのだ。
11月13日付の琉球新報に、乗松聡子という人が「基地引き取り論」について書いている。沖縄の米軍基地を引き取るというヤマトゥンチューは、どの基地を、どこに、いつまでに引き取るつもりか。何一つ具体的なことは言わずに、基地を引き取る、と意思表明するだけで、沖縄の苦悩に寄り添っているかのように演出することができる。何という欺瞞か。
辺野古新基地建設阻止、と口にすれば沖縄まで行って支援しないといけない。しかし、「基地引き取り」なら沖縄まで行く必要もなく、地元で時折ビラ配布や講演会でも企画すれば事足りる。そうやって時間を費やしている間に、辺野古では埋め立てが進み、後戻りのできない状況が深まっていく。何のことはない、現場に行く苦労はせずに、辺野古新基地が造られていくのを傍観しているだけだ。
沖縄に基地を押し付けている、という疚しさを解消し、辺野古の現場で自分の時間を費やして汗を流さなくてすむので、基地引き取り論はヤマトゥンチューにとって実に都合のいい運動だ。なおかつ沖縄に寄り添う良心的なヤマトゥチューという演出もできる。しかし、実際に引き取ることは決してないだろう。
乗松という人は1日でもいいから、Aさんの代わりに歩道に座ってダンプカーの数を記録してみればいい。基地引き取りを唱えている人たちは新聞記者や大学教員などの知識人が多いから、情報発信力があり、さも何か辺野古で運動をしているように見える。しかし、実際に何をやっているのか。
何年か前に『AERA』という雑誌で、高橋哲哉という大学教員と話をした。「基地引き取り」論の主張者だが、この人はこれまで何をし、いま何をしているのだろうか。毎日のように辺野古の海には土砂が投入されている。いったいいつ普天間基地を引き取ってくれるのだ?東大教授という特権に甘えずに、無名の一市民として辺野古のゲート前にまずは座り込め。辺野古新基地ができてしまったら、普天間基地を引き取ることもできなくなるではないか。
口ばかり達者なヤマトゥの知識人には、ほとほとうんざりさせられる。ヤマトゥだけではない、ウチナーも似たようなものか。首里城再建運動が辺野古新基地建設の現実から目をそらし、現場から逃避する格好の口実にならないか。沖縄マスコミの首里城キャンペーンからして注意しないといけない。