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6月23日の午後2時から県立名護高校の敷地内にある南燈慰霊之塔前の広場で慰霊祭が催された。県立第三中等学校、第三高等女学校の沖縄戦戦没者の冥福を祈り、遺族、同窓生、名護高校職員・生徒など約200名が参加した。
慰霊祭では最初に、東日本大震災で犠牲になった方々に黙祷を捧げた。
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南燈同窓会副会長・松田憲和さんによる開式の辞。
会場の皆さん、こんにちは。本日は、太平洋戦争集結から66年を迎えました。私たちが世界の恒久平和を願うにもかかわらず、世界各地ではテロや民族紛争が起こっております。また、日本政府は、ここ名護市に新たな軍事基地を造ると言っています。世界の恒久平和を願う私たちは、断固これを阻止し、世界の恒久平和を願うことを固くここに誓い、これから南燈慰霊之塔の慰霊祭を挙行することを宣言いたします。
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続いて沖縄戦戦没者への黙祷が捧げられ、道福寺住職・稲福真海氏が読経を行った。
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慰霊祭の祭主である南燈同窓会会長・玉城勲さんによる追悼の辞。
追悼の辞。梅雨明け宣言が発表され、今年も真夏の暑い日射しのもと、戦後66年目の慰霊の日を迎え、御遺族、南燈同窓会会員、名護高等学校の職員・生徒・教育実習生のみなさまのご参加をいただき、県立第三中学校、県立第三高等女学校の戦没者375柱の慰
会場の皆さん、こんにちは。本日は、太平洋戦争集結から66年を迎えました。私たちが世界の恒久平和を願うにもかかわらず、世界各地ではテロや民族紛争が起こっております。また、日本政府は、ここ名護市に新たな軍事基地を造ると言っています。世界の恒久平和を願う私たちは、断固これを阻止し、世界の恒久平和を願うことを固くここに誓い、これから南燈慰霊之塔の慰霊祭を挙行することを宣言いたします。
霊祭を挙行するにあたり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
昭和20年4月、米軍の沖縄本島上陸により、沖縄は我が国唯一の地上戦が行われ、全県民が戦火に巻き込まれ、郷土は焦土と化し、20万余の尊い命と多くの財産を失いました。中でも、勉学、スポーツに全力を打ち込み、将来を嘱望されていた三中・三高女の諸先輩方が、学業なかばにして北部戦線にかり出されました。
わずか2カ月代の軍事教練を受け、学徒隊として鉄血勤皇隊、通信隊、第3遊撃隊、従軍看護婦として参戦。特に真部山、八重岳、多野岳等では、米軍の圧倒的な兵器、物量の前に多くの若い尊い命が失われてしまいました。
当時の学徒の年齢は、現在の中学の1年生から高校1、2年に該当する年齢です。私たちの子どもや孫の年齢と重ねて考えると、言葉を失うのではありませんか。戦後66年が経過した今日、戦争体験者が高齢化し、年々減少し、戦争を知らない国民が増加し、戦争の悲惨さ、残酷さを今こそ語り続けねばなりません。
すべての人が世界の恒久平和を願って諸活動が展開されているなか、本件では基地から生じる諸事件が発生。とりわけ基地縮小問題、普天間飛行場の移設問題は、日米間の合意事項と県民の意思とは異なり、多くの課題を抱え、今なお不透明な状況下にあります。さらに自衛隊の先島配備計画、MVオスプレイ配備通告など、新たな問題等が懸念されます。
また、文部科学省の教科書検定では、高校用歴史教科書の記述のなかで、沖縄における「集団自決」が削除されたり、教育基本法の改正、国民投票法、防衛相の設置、防衛大綱の見直しなど、いつか来た道に逆行するのではないかと不安になります。
平和を希求する私たちは、現状を肯定することなく、過去の過ちを二度とくり返すことがないよう固く誓い、戦争反対を強く訴えます。それが無念の思いを残して亡くなった諸先輩方への御霊の供養であり、私達の使命であると考えます。
現在、旧制中学校・高等女学校の卒業生が高齢化し、同窓会、慰霊祭等への参加が減少しつつある現在、私たち南燈同窓会は組織を強化し、南燈慰霊之塔をしっかり維持・管理してまいります。平成20年12月には、慰霊塔の慰霊の碑文を取り付けました。平和学習、戦争を語り継ぐ一助にしていただければと思います。
黙して語ることのない三中・三高女375柱の英霊の皆さま、永久に安らかでありますようお祈り申し上げて、追悼の言葉といたします。
最後になりましたが、名護高等学校の職員、生徒、教育実習生の皆さま、会場の諸準備、運営等まことに有り難うございました。
平成23年6月23日 南燈同窓会会長・玉城勲
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続いて、県立名護高等学校校長・高安美智子さんと同行生徒会長の平敷大地さんが追悼の辞を述べた。
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遺族の皆さんによる献花。
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名護高校吹奏楽部の演奏に合わせ、三中校歌・三高女校歌・名護高校校歌が斉唱された。
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祭主の玉城さんを先頭に遺族、同窓会員、名護高職員、教育実習生、の順に焼香が行われた。生徒たちは菊の花を捧げて手を合わせた。
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南燈同窓会副会長・並里早智子さんが閉式の辞を述べて、約1時間ほどで慰霊祭は終了した。
沖縄戦から66年を迎え、14歳で戦場にかり出された学徒兵も80歳を越している。献花や焼香をする遺族・同窓生の姿を目にすると胸に迫るものがある。学校内に慰霊塔があり、毎年慰霊祭が催されれている意味と歴史的背景を、若い職員や生徒たちが一歩も二歩も踏み込んで、学び、考えてくれたらと思う。