海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

沖縄戦の記憶と教訓を目の前にある軍事基地を否定する行動に繋げたい

2020-06-23 20:55:39 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争

 23日(火)は正午に黙とうをしてから、本部町の八重岳に向かった。八重岳の山頂近くにある「三中学徒之碑」は、多くの学徒が戦死した真部山と向かいあっている。遠くには伊江島を望むことができる。蝉の声が響く静かな山の緑の下に、今も埋もれている遺骨が数多くあるのだろう。

 この碑の前で行われていた慰霊祭は、元学徒の皆さんの高齢化のため5年前に終了した。それでも、碑を訪れて花を手向け、手を合わせる遺族の皆さんがいる。肉親や学友が亡くなった場所に近い所で、慰霊したいという思いは消えることがない。

 私の父も「三中鉄血勤皇隊」の一員としてこの地で戦い、タニューダキ(多野岳)まで敗走して、生き延びて今帰仁に戻ることができた。まだ14歳で体が小さく、小銃が重くて木の又や石に銃身を載せて撃ったという。下から登ってくる米軍と撃ち合いになった時、日本の銃は1発撃つごとに薬莢を出さないといけないが、米軍の銃はパラパラパラパラ続けざまに撃って来るので、これはとても勝てない、と思ったと話していた。

 14歳といっても、今の中学生とは体格が違う。まだ子どもとしか言えない中学生まで戦場に動員し、むざむざ死なせていったのだ。最近、沖縄戦当時の島田叡知事を持ち上げ、賛美する風潮が目立つ。死を覚悟して沖縄の知事を引き受け、住民を疎開させたり、食料を確保して助けた、という美談が語られる。だが、少年たちを戦場に駆り出した責任は問われているのか。沖縄のマスコミも島田知事賛美に明け暮れ、沖縄戦の美化に手を貸している。

 兵庫県民が地元出身として真っ先に注目しないといけないのは、島田元知事ではなく、渡嘉敷島で住民に「玉砕」を命じ、虐殺をくり返した赤松嘉次隊長である。都合の悪い歴史には目を閉じ、沖縄のために献身したという県出身の人物像をこしらえ、沖縄とどういう「友好」が築けるのか。日本軍だけでなく、行政担当者も住民を戦争に動員した責任を負っているのだ。単なる犠牲者ではすまされない。

 「三中学徒之碑」の近くにある「国頭支隊本部壕・野戦病院跡」でも、毎年、酒や菓子を供え、線香をたいて手を合わせている。敗残兵となった日本軍は、ヤンバルの各地で住民虐殺や食料強奪を行っている。私の祖父も日本軍に命を狙われ、山に逃げて助かった。「米軍より友軍(日本軍)が怖かった」というのは、祖父母がよく語っていたことだ。

 そういう日本軍の戦死者のために手を合わせる必要があるか、という思いもある。ただ、軍という組織の末端で、勝ち目のない戦いを強いられ、死んでいった兵士たちの最後を思えば、哀れにもなる。彼らが帰るのを待っていた親や妻、兄弟姉妹も、ほとんど亡くなっているだろう。慰霊の日の前には草が刈られてきれいにされるが、ふだんはハブが出そうな場所だ。そういう場所で死んでいった兵士たちのことも忘れてはいけない。

 八重岳から名護に戻り、「少年護教隊之碑」を訪ねた。最近はマスコミにもよく取り上げられ、書籍も複数出版されて、護郷隊のことが知られるようになった。ただ、中野学校のことを含めて、戦争美化の材料にされかねない危険性も持っている。徴兵年齢にも達しない10代の青少年を、軍の一員として組織化し、死なせていった日本軍、行政のでたらめさと責任が曖昧にされてはならない。

 新型コロナウイルスの感染防止のため、今年は例年とは違った慰霊の場となっていた。しかし、遺族の思いはどこにいても変わらないはずだ。沖縄戦の慰霊といっても、ほんとうに悲しむことができるのは、血を分けた肉親であり、ともに戦場にいた仲間以外にない。

 最後にナングスクにある「和魂の碑」に行って手を合わせた。九州出身者が多い「球七〇七一部隊」の慰霊碑である。戦後60年の年を最後に慰霊祭は終わっている。今でも存命の兵士はどれだけいるだろうか。

 当時20歳の若者も、今では95歳だ。敗戦から75年、戦争体験を語れる兵士はもうほとんどいない。せめては残された記録を読んで、下級兵士たちの苦しみにも目を向けないといけない。

 帰りにナングスクから塩川沖を見ると、辺野古に埋め立て用土砂を運ぶガット船の集団が見えた。安倍首相は恥ずかしげもなく「沖縄の基地負担の軽減」を口にしているが、敗戦から75年が経っても、基地の返還どころか、新たな米軍基地が造られようとしているのが沖縄の現実だ。

 沖縄戦の記憶や教訓が、いま目の前にある米軍基地や自衛隊基地の強化に反対する行動に結びつかなければ、どれだけの意味があるだろうか。沖縄戦の体験を聞いて涙を流し、いまの「平和」を確認して、明日はいつもの日常に戻るだけなら、感傷に浸り現実から逃避して終わりではないか。

 沖縄が置かれている状況は過酷であり、冷酷だ。日本という国は、いざという時に切り捨てるトカゲのしっぽとしか沖縄を見ていない。戦争の前に米軍や自衛隊が起こす事故や犯罪で沖縄人は殺される。沖のガット船は明日、新基地建設のために大浦湾に土砂を運ぶ。本土防衛のために沖縄は犠牲になってくれ。これが大多数の日本人の本音だ。75年前と何も変わっていない。

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沖縄戦体験者が新型コロナ下... | トップ | 「沖縄戦慰霊の日」の翌日、... »
最新の画像もっと見る

沖縄戦/アジア・太平洋戦争」カテゴリの最新記事