海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

放射性物質拡散

2011-03-20 21:33:33 | 政治・経済

 福島第一・第二原発の事故についての報道を見ていると、「今回の地震・津波は想定外の大きさ」と解説者や研究者が口にしている。ほんとうにそうなのか。東日本大震災がマグニチュード9.0という希にみる大地震であったことは事実だが、2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震は、それを上回るマグニチュード9.3とされ、同じように甚大な津波被害をもたらしている。わずか6年3カ月前に太平洋沿岸で巨大地震が起こっているのに、どうして「想定外」と言えるのか。
 スマトラ沖地震で起こったことは日本でも起こり得る。そのように想定して対策を考えるのが、政府や電力会社の仕事のはずだが、それがどれだけなされてきたのか。テレビに映し出される被害の甚大さに、「想定外」という言葉につい頷いてしまいそうになるが、この言葉が乱用されることによって、政府や電力会社がこの6年余に何をしてきたのか、という問題が曖昧にされてはならない。

 現在、福島第一・第二原発で起こっている事態は、1970年代から指摘され、問題にされてきたことだ。しかし、政府や電力会社は、原発の危険性を指摘する声を無視し、自分たちに都合のいい「想定内」の根拠の上に「原発安全神話」を作り上げてきた。マスコミもまた、電力会社という巨大なスポンサーの意にそって「原発安全神話」を広め、原発批判の声を排除してきた。そうやって地震国日本で次々と原発が建設されていったのだが、その「神話」がいま完全に崩壊し、日本だけでなく世界が危険にさらされている。

 先だって東京の知人から送られてきたメールでは、余震への不安や停電、電車の混雑、商品の買い占めで困っていることがつづられていた。米を買うのも苦労し、隣県の親戚に頼んで手に入れたとのこと。地域によって差はあるのだろうが、一人暮らしのお年寄りや周りに助けてくれる人がいない人、身体的、経済的ハンディを負った人たちにとって、状況はより過酷なものになっている。

 福島県川俣町の水道水で基準値超える放射性ヨウ素が検出された、という報道がなされている。川俣町への通知が遅れたことも問題になっている。また、茨城県産のほうれん草や福島県産の原乳が放射能で汚染された。このことをふまえてだろう、3月19日付で厚生労働省水道局課長から各県の水道行政担当部(局)長に、以下の文書が出されている。飲料水や食品の放射能汚染について、国が各都道府県にどのような指示を行っているか分かるので、一読をすすめる。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014tr1-img/2r98520000015k18.pdf

 〈今後、その測定値が「飲食物摂取制限に関する指標」(以下指標とする。)を超過することも想定されるが、指標を超過した場合の水道の対応について、当職の見解は、1.指標を超えるものは飲用を控えること、2.生活用水としての利用には問題がないこと、3.代替となる飲用水がない場合には、飲用しても差し支えないことである。下記について御了知の上、貴管下水道事業者等に対する周知指導方、よろしく御配慮願いたい〉

 冒頭でそう記されているが、問題は〈指標を超過した場合〉の範囲だ。どれだけ上回った水をどの程度の量までなら飲料可能なのか、そのことを具体的に示さないで、1で〈飲用を控えること〉といい、3で代替飲用水がなければ〈飲用しても差し支えない〉とする。〈指標〉といっても大人と子ども、持病の有無、個人の体力差などで影響に差が出るのは言うまでもない。放射能で汚染された水や食料は、可能な限り体内に入れない方がいいに決まっている。子どもや妊婦には特別の注意も必要なはずだ。このような曖昧な〈技術的助言〉で、国が水道行政を進めていることを認識する必要がある。

 参考1として〈原子力安全委員会が定めた飲食物制限に関する指標値〉が 〈放射性ヨウ素(飲料水) 300Bq(ベクレル)/kg  放射性セシウム(飲料水) 200Bq/kg 〉と示されている。福島第一原発からの放射性物質飛散が拡大するにつれ、これからこの〈指標値〉を上回る水道水が各地で出てくる可能性がある。それに対してこの〈指標値〉は〈長期曝露による影響を考慮したもの〉だから、〈一時的に摂取した場合においても直ちに健康に影響はない〉という言い方で、安心する市民はどれだけいるか。
 市民が市販の水の買い溜めに走れば、大きな混乱が起こりかねない。その時に取り残されて困るのは社会的弱者である。生活に最も必要な水について、国や県は市民がパニックを起こさないように迅速な情報公開とていねいな説明、対策をとる必要がある。川俣町のように通知が遅れると、疑心暗鬼が生じかねない。

(参考4)では次のように記されている。

 〈ICRP(Pub63)放射線緊急時における公衆の防護のための介入(すなわち「摂食制限」) に関する原則
 代替食品の供給が容易に得られない状況、あるいは住民集団が重大な混乱に陥りそうな状況では、通常設定される介入レベルよりもはるかに高い予測線量レベルでのみ介入(摂食制限)は正当化されるかもしれない〉

 わかりにくい文章だが、〈放射線緊急時〉において、代替食品が得られずに〈住民集団が重大な混乱に陥りそうな状況では〉、通常では許されないような高濃度で放射能汚染された食品でも、摂食制限をしない(食べさせる)こともあり得るということだ。国が都道府県に対してこのような(参考)を示すことは何を意味するのか。
 最悪の事態も想定してのことなのだろうが、餓死させるよりは放射能汚染された水や食料でも食べさせた方がいい、という認識を現時点で厚労省が持っているとすれば、それは断じて許されない。国や各都道府県は、西日本地域での食糧増産、遊休農地の活用、農漁業者および食品製造業者への支援、屋内栽培施設の拡充、外国からの食料輸入、援助呼びかけ、流通部門の整備などあらゆる手を尽くして、長期的計画のもと安全な水と食糧の確保に全力を尽くすべきだ。真っ先にやるべきことをさしおいて、現時点でこのような(参考)を厚労省が示すことは、市民の不安を駆り立てて、それこそ混乱を生じさせかねない。
 

 水や食料、燃料、医薬品不足で被災者は苦しんでいる。これ以上の痛手を与えないためにも、原発による放射能汚染の拡大は何としても食い止めなければならない。3月20日付琉球新報社説は、〈「石棺」方式の決断検討を〉と論述している。政府は原発事故対策でこれ以上後手に回ってはならないし、市民、諸外国の不信を払拭するためにも情報公開を進めるべきだ。

 

 


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生きる術としての科学を学ぼう (京の京太郎)
2011-03-21 10:22:34
テレビは「日本の地震観測史上最大のマグニチュード9.0」だったとしか言わないが、日本の地震計による地震観測の歴史は、1884年(明治17年)からである。たかだか百数十年の観測データーで地球のプレート(大陸)移動による歪(地震)発生の何がわかるというのか?

マグニチュード9.0の数値も4つの断層が出したエネルギーの合計だというのに、あたかも一つの震源地の値のように説明を省いている。

「千年に一度の大地震」とも報道されているが、地震学者によれば「一つの活断層につき、千年に一度」という意味だそうだ。日本列島には約2000の活断層があり、その中には、今回の地震源であるものを含めた超AA級の被害を引き起こす活断層が多数あるのだ。

今回の地震はプレート境界型地震といって「ぶつかりあっている二つのプレートの板がずれ、ずれた4つの断層面の面積が広いため(長さ400キロ・幅200キロ)、マグニチュード9.0のエネルギーが放出されることとなった。

プレート境界型地震は他の地震源と連動して発生することは昔から観測されている。

科学を真実をごまかすための道具にしてはならない。金を生み出すための道具に貶めてはならない。

「アカデミズムの内側と外側にある大きな壁を打ち破っていくことで、市民の側の未来への意欲=希望が、もっと広く科学者や諸テクノクラートたちに影響を与えていくことができるかもしれない。いや、この点にこそ、私は、「あきらめから希望へ」の転換の大きな可能性を予見したい。」ーー「市民科学者として生きる」高木仁三郎さん著・岩波新書
今は亡き「原子力資料情報室」の創設者である高木さんの言葉だ。

「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるかーー宮澤賢治」
賢治のことばを指針として高木さんは活動を継続された。

原発事故も放射能汚染も専門的な言葉でむずかしく、すぐには理解し難い。しかし、難しい専門的な言葉にたじろがず、生きる術としての科学を、技術を学ぼう。命を育み、生き抜くためにはそれしか方法はない。

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