こうしてマリアの長かった話は終わった。
やっと夏海が口を開いた。
「ごめんなさい。いろいろ、あやまらなくてはいけないことがありすぎて・・・・・・ケネスと出会ってからはずっと幸せだった。それまでずっとつっぱっていたのが、初めて一緒にいてのびのびできる人に出会えた気がしていた。ナオミをあなたが海でひろってきて、この赤ちゃん、六本指だと思ったときも軽く考えていた。ナオミの六本目の指を切った方がよいと言ったのも、夢の記憶のような子供の時の蛇との約束にとらわれていたわけじゃなくて、本当に五本指の方がナオミのためにはいいと思ったからなの。でも・・・・・・」
ケネスは、それまで一度もなかった夏海の提案に逆らった彼の記憶をたぐり寄せて、言った。「でも、どうしたんだ?」
「夢を見るようになったの」
「夢?」
「毎晩、夢の中にあの巨大な蛇が現れて、早くナオミの第六の指を切り落とせと語りかけるの。でも私にはどうしても、ナオミの指を切り落とすことはできない。そう思っていたのに、時々ナオミの指を切り落とさなければ自分が魔界に落ちるとおびえている自分がどこかにいると気づいたの。だからケネスに嘘の手紙を書いて、ニューヨークに行くことにしたの」
ケネスは、夏海の置き手紙を思い出した。思いだしたと言うより、ずっと忘れられなかった文面だった。
ケネスへ
いままでありがとう。大きなあなたの愛につつまれて、このまま自分のしたいことができなくなってしまうことがこわいの。ゴメンナサイ。劇団に誘われてチャンスだと思いました。わたしはどうしても自分の可能性を試したい。心が動いたのは、昔の恋人がニューヨークにいると聞いたこともあります。さびしい時に出会って、やさしくしてもらったくせになんて女と思います。でも自分を偽りながら暮らせない。あなたは何も悪くない。私がわがままなだけ。ナオミを置いていきます。わたしにも彼女にもつらいけど、あなたとナオミは一緒にいることが必要と思います。理由はうまく言えないけど・・・・・・いつまでも今のままのあなたでいてください。
夏海
「嘘か・・・・・・」ケネスがため息をついた。
「ごめんなさい。劇団に誘われてたのは本当だけど、昔の恋人がニューヨークにいると書いたのは嘘。あなたは、そうしたことでも言わなければ、ずっと私のことを引きずると思ったから」
「夏海、バカだ。お前は本物のバカだ」
「そうよね。蛇の誘いにのった上に、あんなにお世話になったあなたを裏切って、ナオミを置き去りにするなんて・・・・・・」
「ちがう! バカと言ったのは、そんな理由じゃない。なんであの時、正直に話さなかった。もし今の話を聞いてれば、たとえ何があってもお前を守るために闘ったのに」
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夏海に起こった出来事は、その後の人生を左右する転機となった。
大人になるまで、そのときのことは夢を見たようで忘れていたが、深層心理では消えないトラウマとして残っていた。
それは、こんな体験だった。
夏海は、文字通り蛇ににらまれたカエルになって固まっていた。目の前にいた身の丈十数メートルはあろうかという、青々とした輝くばかりの鱗に覆われた巨大な蛇。
(我が名は、魔神スネール。恐れることはない。お主を、この場でどうこうするつもりはない。冥界の神官マクミラとの闘いに敗れて、人間界に堕ちて来た。娘よ、名はなんと申す?)蛇は、言葉を発するのではなく、心に直接語りかけてきた。
「な、なつみ・・・」恐れていながらも、好奇心から夏海は問いかけに答えた。
(マーメイドを敬う者たちの一人か・・・・・・よいか。これから我が伝えることを、よく覚えておくのじゃ。我の伝えに従えば、夢をかなえてやろう。もし従わなければ、おそろしいことが起きるぞ。我は、マクミラとの闘いに敗れた。マクミラは、我を闘いでやぶっただけでなく、我の心までをも奪った。冥界の最高位の神官としてたぐいまれなる力を持ったマクミラの爪は、我がプライドだけでなく我が凍りついていたハートも引き裂いた。狂おしい愛の痛みに打ち震える内に、我は異次元空間を人間界に堕ちていった。太古の蛇一族の予言によれば、我が人間界に堕ちるのはすでに予定されていた。この池にはマーメイドの血筋を引く十三匹の錦鯉たちがいる。我は、これから長い時間をかけて錦鯉たちを喰らい続けて、いつの日か来るマーメイドとの闘いに備えて力をたくわえるつもりじゃ。その前に、我には恋いこがれるマクミラのためにすることがある。マクミラも、いつか人間界に来るさだめ。マクミラはマーメイドの娘と人間共の運命をかけて闘うのじゃ。マーメイドの娘は、たいした力を持っていない。しかし、導く者と助ける者には恵まれたマーメイドは、マクミラの強力な敵となるであろう。マーメイドの娘の力の秘密は、両足の第六番目の指にある。よいか、お主は年長になってマーメイドの赤ん坊を育てることになる。その時、マーメイドの両足の第六番目の指を切り落とすのじゃ。我が命に従うならば、褒美は望むままじゃ。さあ、願いを申すがよい)
「おどりが・・・・・・うまくなりたいの」夏海は、ずっと思っていたことを言った。リズム感がよくて、スタイルのよい夏海は、保育園時代からお遊戯会でもいつもステージの中心で踊るようなスターだった。たまにテレビで見るミュージカルやバレーにも、子供らしいあこがれを抱いていた。
(よいであろう。お主に、誰もが振り返る深い海の底の海草のような美しい黒髪とまるで猫が立って歩いたかのようなしなやかさをあたえてやろう。いつかお前はマーメイドの赤ん坊に出会う。その赤ん坊の6本目の指を切り落とせ。さすれば、マーメイドはもはや我が愛するマクミラと闘う力を持たぬようになる。マクミラは、容易に目的を達成できるであろう。だが、覚えておくがよい。もし我との約束をたがえることがあれば、お前は我と同化して魔界の住人となるのじゃ。最後に伝えておく。神導書アポロノミカンで盗み見た、我に関する一節を。
すべてを燃やし尽くす蒼き炎が
すべてを覆い尽くす氷に変わり
猛々しき白骨が愛に包まれて石に変わり
冥界の神官が一人の人間の女に変わる時
巨大な合わせ鏡が割れて
太古の蛇がよみがえり
新たなる終わりが始まりを告げて
すべての神々のゲームのルールが変わる)
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「なぜ、私たちを置き去りにしたの?」
その言葉を聞いたとたん、夏海は、涙がとまらなくなってしまった。
ケネスも、なんと声をかけていいかわからなかった。
今日の仕掛け人マリアが、しかたがないねえという風に語り出した。
「最初、夏海は、あたしにだけ本当のことを言うつもりだった。ずっと誰にも話せなくて苦しんでいた話をね。だけど、あたしは訊いたんだよ。嘘を一生つきとおす覚悟はおありかい? それはあんた自身だけの問題じゃない。つかれた方にも、とてもつらいことなんだとね。あたしの長い人生から、ひとつ確実に言えることがある。本当のことはね、どれだけつらくても真実以上に人を傷つけることはない。だけどね、嘘はね、たとえ相手を思いやってついた嘘でも、相手を疑心暗鬼にさせる。さらに悪いことに、ばれちまった時、嘘をつかれたと知られたと知ることで相手を真実以上に傷つける。だから、たとえつらくても、たとえ相手に嫌われても、ことわざにあるだろう。『正直が最善の策』だと(“Honesty is the best policy.”)。さて、どこから話したもんか。できるだけ順を追って話をするとしようかね。夏海の実家が湘南の人魚を奉った比丘神社だったのは、覚えているだろう。夏海が、まだナオミが夏海と別れた時分のちびっこだった頃のことさ。ああ、ごめんよ。こんなしゃれにならない言い方をするなんて、あたしもどうかしてるね。相手がどう考えるかを気にせずに、思いついたことを言っちまうのは、あたしの悪い癖だ。とにかく、夏海がおちびさんの頃、神社裏手の池の周りで遊んでいたのさ。そこには、昔、海からやってきた人魚が住み着いたという伝説があった。危ないから一人じゃ絶対に遊んじゃいけないと言われていたそうだが、夏海は、そこに行くと落ちつくんで、親の目をぬすんではこっそり遊びに行っていたそうだ。ある日、池の周りで木の実を拾っていると、空が一転黒く変わって不気味な雰囲気に覆われた。神社は、高台の寄進された土地にあって、それまで晴天だったのが訳がわからず夏海は不安になったんだ。だけど、何かに魅入られたように夏海はそこを動けなかった。次の瞬間、ドーンと音がした。まるで大きな岩が池に落ちたような、あるいは天から何か巨大な何かが降って来たような。不思議なことに夏海は、その時、水面が波だった記憶がないそうなんだ。何か急に目の前の景色がゆがんで、池に何かが浮かんでいるのが見えた。そして、夏海は巨大な蛇に出会ったんだ」
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レストランの席に着くと、マリアが口を開いた。
「乾杯前に、言いにくいことを言っておかなくちゃねえ。去年ニューヨークで、ケネスもよく知ってるドワイトの新作を見せてもらったのさ。その時、キャストの中になんとなく見たことがある子がいたんだよ。向こうも、あたしに気づいたようだった。目が一瞬合った。この年まで生きていると、誰かとどっかであった気がするなんてしょっちゅうだけど、誰だか思い出せないことがほとんどだから、すぐにあたしは忘れてた。だけど、ショーが終わってホテルに帰ろうとした時、あたしの席に係員があわてて飛んで来た。ちょっとお待ちください、ドワイトがあなたに紹介したい人がいるんですってわけさ。ドワイトもお偉いさんになっちまったから、ブロードウェイに行ってもこの頃はなかなか会えないんだ。楽屋でドワイトの隣にいたのは、さっき見たことがあるって思ったパフォーマーじゃないか。近くで見たら、見間違うわけないさ。夏海だったんだよ。ケネス、いい年をした男がそんな鳩が豆鉄砲食ったような顔をするもんじゃないよ。夏海は、何年か前にドワイトと結婚していたのさ。まったく世界は狭いって言うけれど、お前と別れたあの子がよりによってドワイトと結婚してたなんてね。驚いたけど、まあ、めでたいことだと思ったよ。でも、どうしてもお前たちに、その時、夏海から聞いた話をしなきゃならない。その前に、今日はここに彼女を呼んでるんだ。後ろを見てごらん」
ナオミは、息が止まるかと思うほど驚いた。
そこにいたのは、依然より洗練してさらに美しくなった夏海だった。意志の強そうな瞳と日本人にしては大柄な肢体、海で取れたての海草のように見事な黒髪は変わっていなかったが、にじみでるスターのオーラは彼女が別れてからの日々が充実していたことを物語っていた。
9才の時に別れて以来、丸十年間も会っていなかった母であり姉のような存在についに再会したのだから、なつかしくて、うれしくて、本当にあいたかったよ、元気だったのと言いたいはずだった。
それなのに、口をついて出たのは、逆のことだった。
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クリスマスを翌週にひかえた12月17日の金曜日の午後7時。
ナオミは、猛吹雪の合間をぬってようやく到着した人々でごった返すエジソン・ホテルのロビーで、父ケネスと祖母マリアの到着を待っていた。
自動ドアが開いて、筋肉質のケネスと小柄なマリアが入ってきた。
「ケネス!」ナオミは、はずむゴムまりのように抱きついた。
「ナオミ、元気だったかい?」
「うん、元気だよ」
マリアが声をかける。
「さあ、おばあちゃんにもハグさせておくれ」
「もちろん。会えてうれしいわ」
「いったい何年振りかね。あたしゃ、もうおなかペコペコだよ。チェックインをさっさとすませて、中華料理に行こうじゃないか。近くのレストランを予約してあるんだ」
マリアが予約してくれたシー・ドラゴンは、ビルの地下1階にあるしゃれたチャイニーズ・レストランだった。ケネスからの仕送りがあったとはいえ、シングルマザーの生活は楽ではなかったはずだが、マリアにはさまざまな人脈があった。
自身のつらい経歴にかかわらず、長い間、児童虐待を受けた子供たちのカウンセラーを続けていた彼女には、大人になってからも感謝を忘れない多くの「ファン」がいた。結婚相手には恵まれなかったマリアだが、実の子ケネスだけでなく、心の子供たちにも恵まれたのだった。大学へ進んで大企業に勤めるようになった者、法科大学院に進んで弁護士になった者、高校を卒業して警察官や消防士になったもの、さまざまな業界にマリアのためなら、一肌も二肌も脱ごうという連中がわんさといた。
そんな一人に、ブロードウェイの大立て者となったドワイト・“パライソ”・コパトーンがいた。将来、ロンドンが産んだ天才演出家アンドリュー・ロイド=ウェバーに並ぶ演出家になるのではと噂されるミュージカル界のヒットメーカーであった。当時のブロードウェイでは、「ミュージカル好きには二種類しかいない。ウェバーが好きな奴と、コパトーンが好きな奴だ」というジョークがしばしばささやかれたくらいであった。
母親にアザだらけなるほどの折檻を受けて、施設に入っても引きこもり同然になっていた時に悩みを聞いて自信をつけさせてくれたマリアに、ドワイトは実の親以上の愛情を持っていた。彼は、毎年クリスマスには、アルバニーに住むマリアにマンハッタンまでの交通手段とブロードウェイ・ミュージカルの最高の席を手配してやるのが常だった。普段は質素な生活をしているが、クリスマスだけはニューヨーク市内でゆっくり数日を過ごすのが、マリアの唯一のぜいたくとなっていた。
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金土曜日の予選ラウンドをとりあえず通っておけば、日曜日の決勝ラウンドに向けて、残りそうな大学の肯定側のケースを分析することもできた。また、米国のディベート大会では予選ラウンドですでに対戦したチームと、再び決勝ラウンドで対戦した場合、異なったサイドでたたかうルールになっている。そのために、予選において否定側で負けたチームと再びまみえることがあっても肯定側で挑むことができた。
他大学のケースで要注意は、「アメリカ軍は、公式に同性愛者の採用を宣言すべきである。軍が同性愛者に対する偏見がないことを宣言することで、国内の同性愛者差別は劇的に改善される」、「二種類の化学物質が発射後に混ざって相手を殲滅するバイナリー兵器(binary weapon)は、使用するには問題がありすぎるため禁止すべきである」、あるいは「抑止力の意味しかない核爆弾の先制攻撃の禁止を明文化して、局地戦限定での戦場核爆弾(battlefield nuke)の使用は、合法化されるべきである」などであり、専門家顔負けの分析が次々と登場した。
否定側の戦略としては、現状の軍事コミットメントの破棄は安定した軍事バランスを崩して、軍拡競争につながったり、極端な場合は「仮想敵国」の先制攻撃を招いたりするという議論が提示された。肯定側の返答としては、現状のプログラムこそ将来的な軍事バランスをおかしくして、「仮想敵国」の先制攻撃を招くという分析が提示された。また、現状でも同様な「軍事コミットメントの破棄」が近い将来に行われる予定であり、自分たちのプランはそれを前倒しするだけであると論じて、不利益がもし起こるのなら現状でも結局は起こると論じる肯定側も多かった。おもしろいプランとしては、軍における同性愛者問題に関する「何も聞くな。何も答えるな。」(Don’t ask. Don’t tell)というビル・クリントン大統領の発言を「正式な方針」として軍が採択するというケースを提示した大学もあった。もしこのプランが不利益を招くのならば、すでに起こっているはずだと議論をする目的だったが、非公式な軍の最高権力者の発言と正式な軍のドクトリンには、比較にならないほど大きな差があるという攻撃にさらされた。
昨年、2年生チームとして全米ディベート選手権のベスト8まで進出したナオミとケイティの聖ローレンス大学は、今年の台風の目となっていた。9月頭以降、ほとんど休みなしにディベート活動と学業に専念してきたナオミが待ちに待ったニューヨークで過ごすクリスマス休暇がついにやってきた。ナオミは、ミュージカルで有名なブロードウェーから徒歩数分の立地のエジソン・ホテルで、ケネスと彼の母マリアと待ち合わせをした。しかし、せっかくのナオミの家族との再会は、アメリカ全土がブリザードにみまわれていた時期だった。
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1993年秋から冬にかけて、ナオミは充実したディベート・シーズンを過ごしていた。7月に発表された今シーズンの政策ディベート論題は、「アメリカはNATO加盟国に対する軍事的コミットメントのひとつを破棄すべし」であった。ナオミとパートナーのケイティにとって脂の乗りきった3年生のシーズンは、ここまで最高の結果を納めていた。幕開けとなった9月の北アイオワ大学主催大会で準優勝すると、11月のノースウエスタン大学主催オーエン・クーン記念大会で3位。クリスマス直前に開かれた南カリフォルニア大学主催大会では初優勝と、参加した大会すべてで3位以内という見事な成績であった。
今回の論題も、さまざまなケースを含んでおり、破棄される軍事的コミットメントの定義には、米陸海空軍のすべての現存するプログラムをリサーチする必要があった。さらに現存するプログラムの破棄だけでなく、これまで存在しなかったプログラムの採択も「軍事的コミットメントのひとつの破棄」であるために、リサーチの範囲は加速度的に広がっていった。この年、ナオミたちは「アメリカ軍は男性兵士だけにしか戦闘行為を認めていないが、これは性差別である。能力ベースで女性兵士にも戦闘行為への参加を認めるべきである」というケースを論じて、連戦連勝だった。
モデル並の容姿のケイティとキリッとした顔立ちのナオミが早口で議論を展開すると、昨年よりさらに凄みを増した「カンザスの竜巻娘たち」は他大学にため息をつかせた。ただし、ため息をつくのは彼女たちの美貌の虜になった男子学生ばかりだった。肯定側に立ったときには、二つの利益が提示された。第一の「開かれた米軍」では、米軍全体の14%を占める女性は、白人男性と比べて指導的地位への登用が遅れており、女性の戦闘部隊の配属禁止こそ大きな障壁の一つであるという議論が展開された。
第二の利益「ガラスの天井」は、フェミニストがよく指摘する女性が男性並みに出世しようとすると、彼女たちを押さえつける目に見えない障壁が存在するという比喩である。プランは、性別ではなく能力別の戦闘参加によって、男女差別の象徴的かつ劇的な改善につながるという議論であった。男女には体力的な差があるという一般論は、第二の利益によって簡単に反論できた。
だが、女性の戦闘参加は部隊の指揮や結束を損なうという否定側の議論はやっかいだった。例えば、世界でもめずらしい女性の徴兵制のあるイスラエルでは、男性兵士が戦場で女性兵士をかばうことで現場の指揮系統の混乱をしばしば招いた。しかし、小さい頃から軍の戦闘に関する話をケネスから聞いていたナオミは、実際に戦闘に参加しなくても女性は通信兵や衛生兵として参加した戦闘でかなりの数の死傷者が出ており、戦闘以外で多くの女性兵死者を出している現状と、プラン採択後の変化を説明することで、肯定側で二人は連戦連勝だった。カリフォルニア大学バークレー校レトリック学部の看板教授でフェミニスト学者ジュディス・バトラーを引用して、社会的性差だけでなく、身体的性差さえもジェンダーをパフォーマンスによって構築されたものであると論じた。彼女たちの、男女が性差を基準としてではなく、能力を基準として同様の戦闘行為に従事するパフォーマンスが社会を大きく変化させると主張したのである。
しかし、彼女たちも、否定側に立てば負けることもあった。大会で優勝するコツは、予選ラウンドの肯定側で100%の勝率を上げることだった。一見、きびしい条件に思えるが相手側の反論をある程度、予想できる肯定側では予選ラウンドでの負けは許されなかった。逆に、否定側では50%の勝率でよいとコーチから教わった。どこの大学も、肯定側では反論の反論まで、あるいはその先まで用意しているために実力伯仲したチーム同士では、なかなか全勝というわけにはいかなかった。だが予選ラウンドで肯定側では100%、否定側では50%の勝率を上げておけば、トータルで75%の勝率になるために決勝ラウンドに進めるのである。
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1993年。
「今世紀史上最悪」と言われた雪嵐が、アメリカ全土を襲っていた。
12月初頭から、北東部、中西部、北西部では猛吹雪が吹き荒れて、華氏零度(摂氏マイナス17.78度)に達する日さえもめずらしくなかった。ニューヨーク、シカゴ、シアトルといった大都市では交通機関がマヒしたり、大雪によるスリップ事故や車が立ち往生したりする事態が多発した。悲惨だったのはホームレスで、住む家も生活の糧のない彼らの凍死者が続出した。
どれくらいブリザードがひどかったかと言うと、火事で出動した消防士の帽子や服の裾に鎮火中にツララができた記事がタイム誌に載ったほどであった。さらに、“ウィンディ・シティ”(風の街)と異名を取るシカゴに住む人々は、ウィンド・チル・ファクター(風の冷却効果)に苦しめられた。これは、風速1メートルごとに体感温度が1度ずつ下がるという現象で、風速10メートルの日であれば実際の気温よりも10度体感温度が下がるのである。そんな日は、外を歩いていても、風が冷たすぎて涙が止まらないほどであった。当局は、雪の日には病人、老人や子供は外出しないようにと通達をした。
タクシーは、雪かきが間に合わない道路の状態にうんざりして早仕舞いをする運転手が続出した。イタリア系の運転手は、こんな日に運転をするなんて正気の沙汰じゃない、とヒステリックに叫んだ。ロシア系の運転手は、母国でも見たことのない大雪に立ち往生することになった。さらに風速20メートルを超えるような暴風豪雪の日には、雪の重みで企業の屋根が崩壊したり、道路上で立ち往生する車が続出した。特に、アイスバーンになった高速道路では事故が多発した。氷結路の運転になれない日本からの留学生は、ブレーキをかけると車両がアイススケート状態になってコントロールがきかなくなることを知らず、信号手前でパニックに陥った。さらに間が悪いことには、スリップした車が止まっていた女性警官の車に激突して大目玉をくらった。乗っていた小さい男の子が後ろからぶつけられて火がついたように泣き出し、留学生は自分も泣き出したい気分だった。こんな日には、徐行する以外には手はなく、もっとよい手は運転せずに家にこもっていることだった。
大寒波が氷天使メギリヌの魔力によって引き起こされていることを、誰も知らなかった。マクミラは、メギリヌだけは氷結地獄コキュートスではなく、火の川ピュリプレゲドンに牢獄を作って閉じ込めておくべきだったのである。ドルガ、ライム、リギスの三人は、コキュートスの牢獄で怒りの炎をたぎらせる度に、エネルギーを奪われてだんだん弱っていった。しかし、メギリヌだけはねむったようになって冷気エネルギーを体内にため込んでいたのだった。北米大陸はるか上空、メギリヌの唇から白く不気味な息が吹き出ていた。あたかもその姿は、相手を息で凍え死にさせる日本の怪談に出てくる雪女郎のようであった。成層圏に居座る寒波は呼吸をしており、ふくらんだり縮んだりすることが知られているが、その原因が氷天使たちの文字通りの呼吸であることはまだ人間界では知られていなかった。
「人間共よ。すべてを凍りつくす猛吹雪に、苦しむがよい」自らの力に酔ったメギリヌが、天空からつぶやく。「百年に一度のブリザードの準備は、ととのったぞよ。あとは、我らが敵マクミラの命を奪うのみ」
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第二部のストーリー
マーメイドの娘ナオミを軸とする神々のゲームを始めたばかりだというのに、再び最高神たちが集まらざるえない事態が起こった。神官マクミラが人間界に送られた後、反乱者や魔界からの侵入者を閉じこめた冥界の牢獄の結界がゆるんできていた。死の神トッド、悩みの神レイデン、戦いの神カンフ、責任の神シュルドが堕天使と契って生まれた魔女たちは、冥界の秩序を乱した罪でコキュートスに閉じこめられていた。「不肖の娘たち」は、彼女たちを捕らえたマクミラに対する恨みをはらすべく、人間界を目指して脱獄をはかった。天主ユピテルは、ゲームのルール変更を宣言した。冥界から助っ人として人間界に送られるマクミラの兄アストロラーベとスカルラーベ、妹ミスティラは、彼女を救うことができるのか? トラブルに引き寄せられる運命のナオミは、どう関わっていくのか? 第一部で残された謎が、次々明らかになる。
冥界関係者
プルートゥ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「裁くもの」で冥主
ケルベロス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3つ首の魔犬。「監視するもの」でキルベロス、ルルベロス、カルベロスの父
ヴラド・“ドラクール”・ツェペシュ ・・ 親衛隊の大将軍。「吸い取るもの」で人間時代は、「串刺し公」とおそれられたワラキア地方の支配者
ローラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“ドラクール”の妻で、サラマンダーの女王。「燃やし尽くすもの」
アストロラーベ ・・・・・・・・・・・・・・ ヴラドとローラの長男で、親衛隊の軍師。「あやつるもの」
スカルラーベ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同次男で、親衛隊の将軍。「荒ぶるもの」
マクミラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同長女で、人間界に送り込まれる冥界最高位の神官でヴァンパイア。「鍵を開くもの」
ミスティラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同次女で、冥界の神官。「鍵を守るもの」
ジェフエリー(ジェフ)・ヌーヴェルバーグ・ジュニア … マクミラの育ての父
悪魔姫ドルガ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 死の神トッドの娘で「爆破するもの」。マクミラに恨みを晴らそうとする四人の魔女の一人
氷天使メギリヌ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 悩みの神レイデンの娘で「いたぶるもの」。マクミラに恨みを晴らそうとする四人の魔女の一人
蛇姫ライム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 闘いの神カンフの娘で「酔わすもの」。マクミラに恨みを晴らそうとする四人の魔女の一人
唄姫リギス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 責任の神シュルドの娘で「悩ますもの」。マクミラに恨みを晴らそうとする四人の魔女の一人
海神界関係者
ネプチュヌス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 海主。「揺るがすもの」
トリトン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ネプチュヌスの息子。「助くるもの」
シンガパウム ・・・・・・・・・・ 親衛隊長のマーライオン。「忠義をつくすもの」
アフロディーヌ ・・・・・・・・ シンガパウムの長女で最高位の巫女のマーメイド
ナオミ ・・・・・・・ 同末娘で人間界へ送り込まれるマーメイド。「旅立つもの」
トーミ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ナオミの祖母で齢数千年のマーメイド。
ケネス ・・・・・・・・・ 元ネイビー・シールズ隊員。人間界でのナオミの育ての父
夏海 ・・・・・・・・・・・・ 人間界でのナオミの育ての母。その後、ニューヨークに
ケイティ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ナオミのハワイ時代からの幼なじみ
天界関係者
ユピテル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「天翔るもの」で天主
アポロニア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アポロンの娘で親衛隊長。「継ぐもの」
ケイト ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アポロンの未亡人。「森にすむもの」
ペルセリアス ・・・・・・・ 同三男で天使長。「率いるもの」で天界では金色の鷲。人間界ではクリストフ
墮天使ダニエル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マクミラの「血の儀式」と神導書アポロノミカンによって甦ったクリストフ
コーネリアス ・・・・・・・・・・・・・ 同末っ子で「舞うもの」。天界では真紅の龍。人間界では孔明
「第二部 序章」
「第二部 第1章−1 ビックアップルの都市伝説」
「第二部 第1章−2 深夜のドライブ」
「第二部 第1章−3 子ども扱い」
「第二部 第1章−4 堕天使ダニエル」
「第二部 第1章−5 マクミラの仲間たち」
「第二部 第1章−6 ケネスからの電話」
「第二部 第1章−7 襲撃の目的」
「第二部 第1章−8 MIA」
「第二部 第1章−9 オン・ザ・ジョブ・トレーニング」
「第二部 第2章−1 神々の議論、再び!」
「第二部 第2章−2 四人の魔女たち」
「第二部 第2章−3 プル−トゥの提案」
「第二部 第2章−4 タンタロス・リデンプション」
「第二部 第2章−5 さらばタンタロス」
「第二部 第2章−6 アストロラーベの回想」
「第二部 第2章−7 裁かれるミスティラ」
「第二部 第2章−8 愛とは何か?」
「第二部 第3章−1 スカルラーベの回想」
「第二部 第3章−2 ローラの告白」
「第二部 第3章−3 閻魔帳」
「第二部 第3章−4 異母兄弟姉妹」
「第二部 第3章−5 ルールは変わる」
「第二部 第3章−6 トラブル・シューター」
「第二部 第3章−7 天界の議論」
「第二部 第3章−8 魔神スネール」
「第二部 第3章−9 金色の鷲」
「第二部 第4章−1 ミシガン山中」
「第二部 第4章−2 ポシー・コミタータス」
「第二部 第4章−3 不条理という条理」
「第二部 第4章−4 引き抜き」
「第二部 第4章−5 血の契りの儀式」
「第二部 第4章−6 神導書アポロノミカン」
「第二部 第4章−7 走れマクミラ」
「第二部 第4章−8 堕天使ダニエル生誕」
「第二部 第4章−9 四人の魔女、人間界へ」
「第二部 第5章−1 ナオミの憂鬱」
「第二部 第5章−2 全米ディベート選手権」
「第二部 第5章−3 トーミ」
「第二部 第5章−4 アイ・ディド・ナッシング」
「第二部 第5章−5 保守派とリベラル派の前提条件」
「第二部 第5章−6 保守派の言い分」
「第二部 第5章−7 データのマジック」
「第二部 第5章−8 何が善と悪を決めるのか」
「第二部 第5章−9 ユートピアとエデンの園」
「第二部 第6章−1 魔女軍団、ゾンビ−ランド襲来!」
「第二部 第6章−2 ミリタリー・アーティフィシャル・インテリジェンス(MAI)」
「第二部 第6章−3 リギスの唄」
「第二部 第6章−4 トリックスターのさかさまジョージ」
「第二部 第6章−5 マクミラ不眠不休で学習する」
「第二部 第6章−6 ジェフの語るパフォーマンス研究」
「第二部 第6章−7 支配する側とされる側」
「第二部 第6章−8 プルートゥ、再降臨」
「第二部 第6章−9 アストロラーベ、スカルラーベ、ミスティラ」
「第二部 第6章ー10 さかさまジョージからのファックス」
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