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(旧:アヴァンの物語の館)ギリシア神話的世界観で人魚ナオミとヴァンパイアのマクミラが魔性たちと戦うファンタジー的SF小説

第三部闘龍孔明篇 第5章-9 奇跡的リバタルの秘密

2018-06-29 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

「ポイントは、まさにそこ。彼は、相手が話している間、いきなり反論をノートに書き出すの」
「冗談はやめてください!」
「それがまったく冗談じゃあないの。普通、相手のスピーチの間はその内容をノートに取って、その後、準備時間を使って反論を書く。でも、それではなかなか強豪ひしめく大会では優勝できない。あなただって相手のスピーチ中に、ブリーフシート(注、相手の議論に対する反論とエビデンスをひとまとめにしたもの)を用意することはあるでしょ?」
「それは、あります。でも相手のスピーチをまったくノートに取らずに自分の反論だけを書くなんて、議論を聞いた瞬間に最適の反論を思いつくんですか?」
「ショーンは、高校2年の冬からそうしたやり方を始めて、完璧にできるようになったのは高校4年の時だったと言っていたわ(注、アメリカの多くの州では、高校4年制を採用している)」
 ナオミは、黙りこくってしまった。
「ショックかしら? でも、彼らだって無敵(invincible)というわけじゃない。始めて見た相手の肯定側ケースを崩せない時もあれば、否定側から対案を出されて僅差の投票で負けることもある。前の大会で分かった穴を次の大会までに塞いでおくこと。勝った議論に少しでもリスクがあれば、次までに完璧にしておくこと。『努力する天才に勝つには、それ以上努力すること』。それにあなたたちには、彼ら以上に優れている点があるじゃない」
「冗談はやめてください。私たちに彼らより優れている点があるなんて・・・・・・」
「あるわ。それは、二人の組み合わせよ」
「組み合わせ?」
「そう。あの二人はディベーターとしてオールラウンド過ぎる」
「ディベーターにオールラウンド過ぎるなんてことが、あり得るのですか?」
「あの二人はスピーチがうまくて、リサーチ能力があって、議論の立て方がうまくて、おまけに大学のディベート部の予算も膨大よ。でも、二人のタイプが比較的に似通ってる。だけど、あなたとケイティはタイプが違う。ケイティは、強い議論を作って、相手の議論の弱点を見つけて、頭の切れで勝負するタイプ。でも、ナオミ、あなたはいかに自分たちのストーリーが相手のストーリーより勝っているかを語るかというスピーチで勝負するタイプだわ。同じタイプの二人が組んでいると試合の展開が読めるけど、異なったタイプの二人が組んでいる方が相手にとっては嫌なものなの。ナオミ、Ad astra per aspera!(注、カンザス州のモットーで『星へ困難な道を』の意味)」
 すべて完璧と思っていたショーンとジョーディに対し、実は完璧でない自分たちにも勝機があると知って闘志がわき上がるナオミだった。

     

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第三部闘龍孔明篇 第5章-8 利益と不利益の比較

2018-06-25 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 人は基本的に保守的な動物であり、何か特別な理由がない限り、重要な政策変更をしたいとは思わないものである。個人レベルで考えてみても、これまで長髪で特に問題がなかった人が、急にモヒカン刈りにしてきたら周りの人間は「いったい何があったのか?」といぶかしがることであろう。ましてや社会制度や経済システムの変更なら、具体的な問題が存在していたり、新たなメリットが明らかに見込まれたりしない限り、変えることのリスクを嫌って現状維持を望むのが人の常である。そのために、「変化」を提唱する肯定側はディベートでは不利となる。ディベートが肯定側のスピーチで始まり肯定側のスピーチで終わるフォーマットになっているのは、不利な肯定側を少しでも有利にするためである。つまり、最初に聞いたことの印象は強いという「初頭効果」(primacy effect)と、最後に聞いたことの印象は残りやすいという「終末効果」(recency effect)を享受する権利が肯定側に与えられているのである。
 その結果として、ディベートのフォーマットは、通常、否定側第2立論と否定側第1反駁が連続したスピーチとなっている。これを、通称「否定側の壁」(Negative block)と呼ぶ。「否定側の壁」で、どれだけダブりをなくして、最終的に強い議論の組み合わせを構築できるかが、否定側の勝利の鍵である。
 それに対し、「肯定側の勝利の鍵」は第1反駁(First Affirmative Rebuttal)である。肯定側は1つのスピーチで、否定側の2つの連続したスピーチに返答しなくてはならない。ディベートにおいて、肯定側第一反駁が最も重要なスピーチと言われる所以である。ディベートでは、各チームに10分の準備時間が与えられており、合計10分になるならば、どこでどのように使ってもかまわない。そのため、ほとんどの肯定側が第1反駁に準備時間の大半を使用する。
 ところがノースウエスタン大学のショーンは、第1反駁前にいっさい準備時間を使わない。いきなりスピーチを始め、いつでも完璧な返答をするために相手チーム驚愕の対象となってきた。それがどれだけ驚異的であるかは、準備運動無しにいきなり全力疾走する短距離走選手、目をつぶったまま100マイルの速球を投げるメジャーリーガーのようなものと言えば、分かっていただけるであろうか。最後に残った否定側第2反駁(Second Negative Rebuttal)と肯定側第2反駁(Second Affirmative Rebuttal)は、双方にとってのまとめであり、どの議論によってどのように自分たちが勝っているかを説明するスピーチとなる。
「いいえ、ナンシー。わかりません」
「正直でよろしい。私も、なぜショーンが準備時間無しで肯定側第1反駁ができるのか不思議でしょうがなかった。だから、本人に直接聞いてみたの」
「はあっ? そんな大事なことを、教えてくれたんですか?」
「あなたも彼がどれだけナイスガイか知っているでしょう。普通、勝利の秘訣(competitive edges)は隠したいものよ。でも、ショーンたちのレベルになると、いい意味で自信があるしノウハウを公にした上で正々堂々勝利したいと考える。話を戻すと、彼が第一反駁前に準備時間を使わない理由は、相手のスピーチをノートに取らないからよ」
「何ですって! 相手のスピーチをノートに取らないで、どうやって反論するんですか?」

          

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第三部闘龍孔明篇 第5章-7 なぜディベートの試合で勝てないんでしょう?

2018-06-22 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

「マウスピークス先生、わたしたちは、なぜショーンとジョーディに絶対勝てないんでしょう?」
「ナンシーと呼んで。『絶対』なんて、もう絶対言ってはダメよ(Never say “never” again.)。あなたは、昨年度にショーンとジョーディがシーズン中に何回優勝したか覚えている」
「さあ、十回くらいでしょうか」
「答えはゼロ。最高でも3位止まり。でも彼らは次の大会では、その前の大会で分かった穴をいつも塞いできた。さらに勝った議論に少しでもリスクがあれば、次までに完璧に仕上げてきた。『努力に勝る天才はなし』」
「努力!? 彼らほどの天才にも、努力という言葉があてはるのですか」
「彼らの試合巧者振りを見ていると、まるで才能のかたまりと感じるかもしれない。普通5分から、ディベーターによっては10分間すべてを使う第2反駁前の準備時間をショーンは使ったことがない。なぜだか分かる?」
 事前知識の無い人のために、どのようにディベートの試合が進むかを説明しておこう。すでに説明したように、政策決定型審査哲学に基づくディベートでは最初に行われるのが肯定側第1立論(First Affirmative Constructive)で、ここで提案から生み出される2つないしそれ以上の、現状では得られない利益が提示される。利益の数が2つ以上なのは、相手の攻撃を分散させるためと、通常、現状にも1つは利益が存在するためである。
 次に行われるのが否定側第1立論(First Negative Constructive)で、肯定側の利益達成過程と重要性を攻撃する議論が提示された後で、2つないしそれ以上の不利益が提示される。同時に、対案が否定側から提示されることも多い。
 ここで、試合中の比較の中心となる議論が出そろう。天秤秤の左側に利益が、右側に不利益が乗っかっているところをイメージしていただきたい。肯定側は左側の方が重いという議論を展開し、否定側は右側の方が重いという議論を展開し、最後にジャッジは天秤のどちら側がより重いかを判断するのである。

          

 肯定側第2立論(Second Affirmative Constructive)では、否定側から提示された不利益の発生過程と深刻さが攻撃される。同時に、さきほどの否定側のスピーチで攻撃された利益達成過程の議論が立て直される。
 その後、否定側の2つの連続したスピーチが行われる。まず否定側第2立論(Second Negative Constructive)で、肯定側に攻撃された不利益の立て直しが行われる。次に否定側第1反駁(First Negative Rebuttal)で、再度、肯定側の利益の達成過程と重要性を攻撃する。否定側が連続してスピーチをする理由は、ディベートを肯定側で始めて、肯定側で終わらせるためである。


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第三部闘龍孔明篇 第5章-6 「地球外知的生物探索」というプラン

2018-06-18 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 この年、ナオミとケイティがディベート・トーナメントで提唱していたのは、SETIと呼ばれる「地球外知的生物探索」(Search for Extra Terrestrial Intelligence)のケースである。1981年に、7人のノーベル賞受賞科学者を含む69人の科学者が提唱しているように、世界的に組織的な地球外知的生物の可能性を探索するべきであるというプランだった。もっとも車椅子の天才科学者でケンブリッジ大学教授スティーヴン・ホーキング博士なら、「地球外知的生物? ちょっと待ってください。地球に知的生物なんていましたっけ?」と言うところだろうが。
 彼女たちが、連戦連勝をしていた理由は、人口問題、環境問題、民族紛争、資源問題など人類が抱える問題は、科学技術がはるかに進んだ地球外指摘生物とコンタクトすることですべて解決するはずだという巨大な利益を論じてきたからだった。

          

 しのぎを削っていたのは、後に「1990年代の最強チーム」と呼ばれることになるノースウエスタン大学の天才ペア、ショーン・マカフィティとジョーディ・テリーだった。彼らは、もしも人類よりもはるかに進んだ知性を持つ生命体が存在するならば、彼らから見て人類は「地表を這いずり回る蟻」のような存在であり、興味を持たないだろうという議論を展開した。さらに、もしも人類にはるかに進んだ科学技術を得る機会があたえられたならば、現状の国際関係の対立が宇宙に持ち込まれて「スター・ウォーズ」が勃発すると議論した。
 伝統的に主催校は予選をトップ通過しても決勝ラウンドに出場しないため、ノースウエスタン大学主催のオーエン・クーン記念ディベート大会ではナオミとケイティが優勝できたが、他の有力大会では聖ローレンス大学は決勝戦まで進んではノースウエスタン大学ペアに敗れ続けていた。
 他大学にはケイティの議論構築能力とナオミのスピーチ能力で連戦連勝でも、ショーンとジョーディのペアと戦うとどうしても議論の反論と、その反論とそのまた反論と、その反論とそのまたさらなる反論を準備されて、最後には「人類は地球規模の問題を解決する機会である」という利益がかえって仇になり、自滅するシナリオに苦杯をなめる結果が続いていた。ナオミとケイティは、3年前に2年生ペアで全米ディベート選手権ベスト8に残って話題になったが、ショーンとジョーディは1年生ペアとしては史上初の同大会ベスト8に進出していた。さらに昨年、2年生ペアでありながらハーヴァード大学4年生チームを決勝戦で下し、全米ディベート選手権初優勝を飾っていた。二連覇を目指す大本命のジョーディとショーンは、大学生活最後の全米ディベート選手権で優勝を望むナオミとケイティには、どうしても越えなければならない壁であった。
 ある日、ナオミはナンシーと会話を交わした。


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第三部闘龍孔明篇 第5章-5 宇宙開発を巡るディベート

2018-06-15 01:00:56 | 私が作家・芸術家・芸人

 具体的には、70年代以降に提唱された代表的審査哲学には、以下のようなものがある。研究者が方法論を仮説にあてはめる方法で、議論の有望な真理と虚偽の判定を行うことをディベートの目的と考える科学のメタファーを用いた仮説検証審査哲学(hypothesis-testing paradigm)。さらに、ジャッジは試合の議論に耳を傾け、その後、知的な批評を実践することを追求すると考える解釈学のメタファーを用いた議論批評家審査哲学(argument critic paradigm)。また、理論的争点はゲームの必要性に従って判断されるべきで、すべてのゲームはフェアプレーを保証するルールを必要とすることを認めて、フェアプレーを何ものにも優勢させるべきだと考えるゲームのメタファーを用いたゲーム理論パラダイム(game theory paradigm)などがある。
 ナオミが気に入っているのは、南カリフォルニア大学のディベート・コーチのトーマス・ホリハンが提唱する物語論審査哲学(narrative paradigm)であった。これは人を語り部と見なす政策決定の規範的モデルであり、スピーチを状況によって変化する「もっともな理由」(good reason)の構築と考える。肯定と否定側それぞれが提示するスピーチを対抗する2つの物語と見なし、どちらが内部的に首尾一貫しているか、どちらがこれまでの学んだ外部的な物語と整合性があるかという基準で審査するのである。
 だが、ある意味で究極の審査哲学とも言えるのが、オーレックが提唱した白紙状態審査哲学であった。彼は、ジャッジがいかなる個人的先入観も持たずに試合に望むことを理想としていた。この審査哲学の信奉者は、ある議論や戦術を自らの偏見に基づいて拒絶することでディベーターを落胆させるのを避けるため、ディベーターが試合中に提示した審査哲学を認めたり、どの審査哲学を認めるべきかの議論をしたりすることさえも認めるのである。しかしながら、弱点はディベーターが試合中に審査哲学について何も言わなかった場合、結局、ジャッジは自分自身の基準による審査を余儀なくされる点であった。

     

 聖ローレンス大学のナオミとケイティは、ディベート人生最後の4年生シーズンに華々しい活躍をしていた。この年のディベート論題は、「はたして合衆国政府は、地球空間を越える空間の探索及び、あるいは展開を意義深く行うべきか?(Should the United States Government significantly increase exploration and/or development of space beyond the earth’s mesosphere?)」であった。彼女たちは、9月の北アイオワ大学大会で準優勝、11月のノースウエスタン大学大会で優勝、クリスマス直前の南カリフォルニア大学大会で準優勝と申し分のない成績を残していた。


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第三部闘龍孔明篇 第5章-4 ディベート審査哲学に関する論争

2018-06-11 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 結果として、ディベートは定常争点という単なるチェックリストではなく、どのように利益が得られるのかという肯定側のシステムと、どのように不利益がもたらされるのかという否定側のシステムの比較に焦点が移ることとなった。
 こうしたシステム理論を応用した審査哲学の信奉者は、常に問題が関知され対応される継続的な変化の世界の住人である。彼らにすれば、課題とはけっして「はたしてこの状態に対応すべきか」ではなく、「どうすればこの状態に最良の対応ができるか」である。ディベートとは、各チームが課題に対して最善と信じる解答を政策の形で提示し、擁護し、ジャッジによりよい案を提示したチームを決めさせるものだと考える。70年代以降、現在に至るまで支配的審査哲学となったのが、この政策決定型審査哲学であった。
 しかしながら、それ以外にもさまざまなメタファーが提唱されてきている。自分自身が全米ディベート選手権優勝者であり、さらにベイラー大学ディベート部監督時代にはコーチとして優勝し、後にカンザス大学ディベート部監督になった“ロビン”・ローランドは、その理由を以下の2点にまとめている。第一に、審査哲学は「パラダイム(paradigm)」としばしば呼ばれるが、パラダイムはいかなる時代においても、成熟した科学的共同体によって受入れられた研究方法論、問題領域、解決案の基準の源泉として機能する。言い換えれば、パラダイムは科学的な世界観(scientific world-view)なのである。その結果、パラダイムは、規範的な科学の過程を左右するような共有された論点とルールを提供する。科学史家トーマス・クーンは、ある法則や理論から見て異常であったり、説明できなかったりする事象や個体をアノマリーと呼び、それには科学的常識や原則からは説明できない逸脱、偏差を起こす現象も含まれている。そうしたアノマリーをよりよく説明できる新パラダイムが生まれ、それが共同体の中で支配的になることはパラダイム・シフト(考え方の枠組の大転換)と呼ばれる。すでに述べたように、70年代に各国政府が幅広い調査と研究に基づき包括的な政策決定を行うようになった結果、定常争点審査哲学が時代遅れとなり、次世代に政策決定型審査哲学がディベート界で支配的になったのが一例である。
 第二の理由は、新しいパラダイムが、科学者がそれを通じて現実を観測するための新しいレンズを提供するという点である。科学者は世界を、その象徴的な表象を通してのみ知りうる。逆に、パラダイムの存在なしには、世界を構成したり解釈したりする何ものも存在しないのである。70年代までの定常争点が審査員にとっての「チェックリスト」であったディベートの審査プロセスが、その後、政策決定型審査哲学の時代になって「旧システムと新システムの比較」に一変してしまったのが一例である。

          

 上記の機能をディベート世界に当てはめてみると、さまざまなパラダイムが理論家やディベート・コーチによって提供されてきた理由がよくわかる。パラダイムは、ジャッジがそれを通して試合を見るための知的枠組みであり、異なった知的枠組みを通して見た場合、同じ議論を見ても異なって見えることがありうるのである。ローランドは、結果として、ディベート理論をめぐる論争は、ますます審査哲学間の争いに集中するだけでなく、特定の理論や戦術がある審査哲学の考え方の枠組みの中でのみしばしば理解されると述べている。


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第三部闘龍孔明篇 第5章-3 ディベートの審査哲学

2018-06-08 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 シーズン幕開けの北アイオワ大学主催ディベート大会が目の前に迫っていた。かつて同大学ディベート部監督を務めた故ウォルター・オーレックの名を冠した大会は、参加校も多く各大学も重視していた。
 オーレックの名声を確実なものにしたのは、彼の提唱した白紙状態審査哲学(tabula rasa paradigm)であった。ラテン語の「白紙状態」を意味する「タビュララーサ」を基本とした彼の審査哲学は、広汎な支持を得ることはできなかったが、ディベーターと審査員の両方に大きな影響を与えた。
 審査哲学とは、そもそも「どのようなメタファーを通じてディベートを見るか」という問題である。なぜなら引用された資料の多寡や専門家の権威をチェックするだけでは、現在進行形や近未来に関する政策の評価はできないからである。ディベートとは、論題の採択を主張する肯定側と、論題の採択を拒否する否定側による議論ゲームであり、審査哲学とは判定を行う前提と言える。
 ディベート界における60年代までの支配的審査哲学は、定常争点審査哲学(stock issue paradigm)であり、裁判のメタファーでディベートを審査する考え方であった。肯定側は、現状(the status quo)は問題を解決できないという点で「有罪」であり、論題の採択は不可避であるという立場である。一方で、否定側は、現状で問題解決は可能であり「無罪」であるか、彼らの提示する代案(counter-plan)によって問題は解決されるために論題の採択は不要という立場である
 この審査哲学は、古代ギリシアの哲学者アリストレスが提唱した政策決定の枠組みである問題(ill)、原因(blame)、解決法(cure)、費用(cost)にまでさかのぼる。4つの論点は、順に、害の重要性、内因性、解決性、不利益に置き換えることができる。定常論点は、ディベートの試合におけるチェックリストの役割を果たしている。肯定側は、第1立論で最初の3つの論点の証明を求められるのである。試合を通じて、否定側が4つの内1つの論点にでも勝利を収めれば彼らの勝利であり、肯定側が4つとも守り抜くことができれば彼らの勝利となる。
 定常争点審査哲学に基づくディベートでは、肯定側は、現状変革の必要性、解決案、利益を示す「問題解決型」(Need-Plan-Advantage)と呼ばれるケースを用いることが多かった。
 ところが、70年代に入って、各国政府が幅広い調査と研究に基づき包括的な政策決定を行うようになった結果として、一つの問題に複数の原因が存在したり、複数の解決策が現在進行形で行われたりするようになると、問題解決型は時代遅れと考えられるようなった。

 次の時代に支配的になったのは、政策決定型審査哲学(policy-making paradigm)である。この審査哲学は、政府や自治体における政策決定者のメタファーによってディベートを審査するという考え方である。政策決定型審査哲学に基づくディベートでは、肯定側は、システム理論の応用によって、まず現状とは異なったプランが提示される。次に、3つの小項目が提示されて、プランの採択が「現状と比較して新たに得られる利益」(comparative advantages)を達成すると論証される。最初の小項目が「現状分析」であり、現状ではそうした利益が得られていないことが提示される。第二の小項目が「利益を達成する過程」である。最後の小項目が「利益の影響」である。極論を言えば、ガチガチの政策決定者がジャッジなら、1セントでも費用が節約されると肯定側が証明すれば試合に勝利できるようになった。もちろん、否定側もプラン採択による「不利益」を戦略上の重点に変更した。

     


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第三部闘龍孔明篇 第5章-2 ナオミの誕生日

2018-06-05 00:10:21 | 私が作家・芸術家・芸人

 1995年9月4日、ナオミの22才の誕生日。
 ナオミは、ディベート部室で山のようになった資料を整理し切り貼りしてはトーナメント用ブリーフシートを何時間も作っていた。何日も徹夜を続けていたため、仮眠を取ることにした。
 ディベート部のカウチに倒れ込むと、ナオミはすぐ眠りについた。
「ナオミ、寝てる場合じゃないわ。起きて!」
「誰? せっかく気持ちよく寝てたのに・・・・・・え~!」
 そこにいたのは、ナオミの育ての母、夏海だった。
「ニューヨークでダンサーになったはずじゃ?」
「わたしだけじゃないわ。ほら!」
 指差す方向には、3人のベリーダンサーたちがいた。
 一人目は、今は亡きアラビア王の血筋を引くシェラザード。二人目は、ロシア王朝の末裔であるユリア。三人目は、ベリーダンスを生み出したと言われるジプシーの長の娘ザムザ。
「なんかイヤ〜な予感がするんですけど・・・・・・」
「やっぱり」夏海がニヤリと笑った。
 シェラザードがクルリと回転すると、「酔わすもの」蛇姫ライムに変身した。ユリアがクルリと回転すると、「いたぶるもの」両性具有の氷天使メギリヌに変身した。ザムザがクルリと回転すると、「悩ますもの」で唄姫リギスに変身した。
「あれ、夏海は変身しないの?」
「『爆破するもの』悪魔姫ドルガが死んだことは、知ってるでしょ。そんなことより、あなたにトラブルが迫っているの。とんでもないトラブルが」
「どうせ、わたしはトラブルに引き寄せられるマーメイド」
「開き直らないの。あせらずに待つのよ・・・・・・まだ、どんな巨大な敵が待っているかは、教えられないわ。だけど誕生日祝いに、少しだけ教えてあげるわ。ライム、メギリヌ、ザムザと私があなたを助けてあげられるかも知れない」
「でも夏海は・・・・・・」
「ただの人間だと言いたいわけ?」
「・・・・・・」
 ナオミが返答に困っていると、ケイティの声が聞こえた。
 ナオミ、起きて! ん、夢だったんだ
 サプラーイズ! 大声に目を覚ますと、聖ローレンス大学ディベート部員たちとナンシーが目の前にいた。
「ごめんなさい。いつもあなたの誕生日と北アイオワ大学大会の準備が重なってしまって。でも今年は4年生で最後のシーズンだからってケイティが誕生日祝いを企画したのよ」
「さあ、ケーキを吹き消して。願いを込めることを忘れちゃダメよ(Don't forget to make your wish!)」
 ナオミは、大事なことを夢の最後に考えた気がしたが、思い出せなかった。
 まっ、いっか! 何を願おう? 
 そうだ。次こそ、最高の闘いを(Let me fight the best bout next time!)。

     


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第三部闘龍孔明篇 第5章-1 ナオミの夢

2018-06-02 00:00:28 | 私が作家・芸術家・芸人

 1995年9月3日、ナオミの22才の誕生日前日。
 人間界に一人送り込まれたマーメイドは祖母トーミのまじないのおかげか、教え導くものと助けてくれる仲間にはたしかに恵まれてきた。
 でも、これまで私は十分「人生」を切り開いてきたのだろうか。トラブルに引き寄せられて、仲間を救いたい一心で闘って来ただけじゃない。
 気がかりがひとつあった。
 いつの間にか、孔明の姿がキャンパスから消えていた。おばあさま、もしも孔明がトラブルに巻き込まれていて、わたしがトラブルに引き寄せられるマーメイドだったら、孔明のところに呼び寄せて。
 その日、ナオミは夢を見た。
 マーメイド姿のナオミの前に、伝説の巫女であった母ユーカが立っていた。
(ナオミ、わたしはあなたを愛していなかった。あなたはすてられたの)
(いいわ。わたしには、尊敬するシンガパウム様がおります。それに、元々、あなたは記憶にありませぬ)
 ユーカの姿が消えると、今度は父シンガパウムが現れた。

     

(ナオミ、お前にはがっかりさせられた。もう見捨てることにした)
(シンガパウム様らしくもない物言い。それに、すでに親衛隊長様とのお別れは済んでございます)
 シンガパウムの姿が消えて、次に、育ての父ケネスが現れた。
「ナオミ、助けてくれ。やられた。背中のキズが痛むんだ」
 いつの間にか、ナオミの姿は人間に戻っていた。
「あなたは誰? ケネスなら、そんななさけないこと口が裂けても言わない。いつでも自分よりも、わたしを心配してくれるはず」
 次に、ケネスの姿が消えて、目の前に夏海が現れた。
「ナオミ、あなたの弟を助けて」
「夏海、トミーのことを言っているの?」
「そうよ。トミーの名前は、あなたのおばあさまトーミから取ったのよ」
「なぜ?」
「それは、トミーの父親がケネスだから」
「そんなはずない。いつも酔っぱらうと『俺はタネ無しスイカ〜』と唄ってた」
 そこで、ナオミは目が覚めた。不思議な夢だった。気になっていることが夢に出るというが、それならなぜ孔明が夢に出てこないのか? 
 まだ、ナオミはおかしな夢を見た理由には気付いていなかった。


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