俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

ハンドボール部

2008-05-07 23:03:42 | ATOP
この頃、敢えて昔を考えてみるようになった。まーそれを現実逃避と呼ぶならそれでもかまわない。ともかくとして、考えているんだな、これが。

高校のときの部活。なんのためにやっていたんだろう。問い方がすこし違うなぁ、正しくはなんでやってたんだろうか。まーこの話、この間オホにもしたんだけども、ちょっと考えてみたい。

当たり前だけれども、私たちのいた部は試合に勝つ気があったか怪しい。そもそも試合に出たいと思っていたかさえ微妙だ。確かなことと言えば、チームには目標とするものがなかったことだ。勝負の世界に目指していたものはなかった。

でも練習は徹底していたと思う。これはオホも同意した。あくまでもうちの学校内でしかないが、他の部に比べればかなりやったほうだ。皆、もとの脆さも助けられ満身創痍だった。私も脱臼を三回してるし、他の人もシンスプリントにはなった。もちろん必死さがけがでははかれないのは知っている。ただ練習量は今の大学の部活にいる人なら3分の1は残れない気がする。

でも辞める部員は少なかった。勝つ気も目標もなく、無駄に練習する、その上かなり不条理な部風にも関わらず。その辺をオホ的には「始めたことを途中でやめたくなかった」と考えているそうだ。たしかにそれは大いにある。ただ私の場合は他にもあるような気がする。

あの頃の私は「このメンバーだったらなんだってできる。ハンドボール以外なら滅法強い」って感じていたように思う。なんかいつのときもメンバーの心地よさがあった。そんなメンバーとなにか行動するのがたまらなく楽しかったし、おもしろかった。だから私はハンドボールを続けたのだと思う。

それからもちろん、ハンドボールが好きだったから。今でも好きだ。皆もそうだと思うけど、たまにはハンドボールがしたくてうずくことがある。バカな発想だけど、またあのメンバーで大会に出たいと思うしね。

まー当時の私は無敵だった。なんでもできるように思えたし、そう思わしてくれたのがハンドボール部だった。

執着心

2008-05-01 23:29:46 | ATOP
ここ最近…でもないけど、自分自身の外向的な執着心のなさに呆れることがある。優柔不断とは違う執着心のなさ。空気のようにつかみ所のない気持ち。

良くも悪くも期待という言葉が私にはない。まちがいなく人並み以下、とくに世間一般が気にすることに関して気にしない傾向がある。自分でも感じることがある。人として大事なコアを失っていることに。無感動といってもいい。結局まわりがどう思おうと自分は自分。それ以上でもそれ以下でもない。すべて我流、オレ基準。

だからこそ思う。起きた事実は私が原因。良くても悪くても、そこに後悔や未練なんてない。だって私自身が選んだ答えが違っていたのだから。誰かに強いられたものでないから、私が悪い。以上終了。あっさりし過ぎてる…あまりにも。この結果に対する執着心のなさ。必要以上の期待もなければ失望もない。

もっと一喜一憂しないといけない。もっと素直に生きないといけない。なんて思った、22歳になった夜です。

自らを限る者

2008-05-01 22:19:19 | ATOP
「自らを限る者」って中学、高校でよく聞いた言葉。自らを限定的にとらえた時点で、その人本来の味であったり、力であったりは失われてしまうっていう話。だから自分自身は常に「夢200%」でいようと、我が母校では言われていた。

時に現在、多くの人間が自分自身の進路に悩んでいる。もちろん私も例外ではないし、後輩達も同じだろう。挑戦するのか妥協するのか。言うなれば自らを限るのか、夢200%でいくのか。自身の将来をめぐり様々な思惑や画策、噂、行動、発言が広がっている。一つの事象が次の事象を発生させ、さらに事態を混沌とさせていく。

ただ変わらない事実はある。今いる自分は自分自身でしかない。過去を振り返ってもなにかを取り戻せるわけでもなければ、今の自分が変わるわけでもない。いつもどうにかできるのは未来のことだけだ。それに対してどれだけ必死になれるかで結果は変わる、未来は変わる。問題はチャンスがそれほどないということだ。

運命があるとするなら、それを決めるのは神様でなく自分自身。勝ち負けではかれるなら、勝ちを呼び込むのは下馬評ではなく、自身の力だ。

信じるべきは自分自身。誰でもなく、何かでもなく。自らを限るのであれば、その範疇でしか生きていけない。