俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

無駄話

2008-05-12 23:28:04 | ATOP
ほら、もうこんな時期だから部活について一年間振り返ることがあるわけです。

一年経っても納得しないこともあれば満足することもある。ただ、役職についてはどっちでもない。それは企画っていう役職が興味の外側にあるからかな。今考えてみてもしたかったことか、もしくはしたいことか、はたまたやりたくなかったことか、やりたくないことか、なんともいえない。

たびたび申し上げてるけど、やはりできるのとやる気があるのは違う。なにを期待されて私は今のポジションにいるかしらないし、今となってはしっても仕方がない。近年まれにみるやる気のない企画だったのは皆の知るところ、かつ私自身が感じるところだ。私がある種の怒りや失望、疑念をもって受けた人事だったのは確かにある。先輩方には申し訳ないですけど…。

まーそれでもやったわけです。一年間。そんな私が一体この一年間でなにを成し得たのか。周囲の賛否両論はともかく、私は場つなぎだったと思う。つまりはただ悪化させただけだ。先輩方の期待に応えられなかっただろうし、越えもしなかっただろう。申し訳ないと思うけれども、無責任だがこうなることは私も何となく感じていたし、少なからずそう感じた人もいただろう。まー阿呆な言い訳ですな。

ただ一年前の自分を考える機会がこの間ありました。当時私はなにもしたいことがなかったという状況だと自覚していたが、一、二年生のときのレポートと一年前の状況を照らしあわすと、それは絶望的にやる気がなかったんじゃなくて、もうすでに満たされていたんではと思う。補佐を経験したことでこの部の本分を勝手に悟ったんだと思う。実際のところ一般的にこの部の本分を悟ることができるかわからないが、私はやることをやってしまったという状況だったことに違いはないと思った。

考えてみれば新歓隊長をやって部内を見る役を経験し、営業と渉外もやった。Webにしても当時の補佐よりも知識はあったし、自分一人で企画立てして記事を書いた。新聞だって普段から取材して記事書いて、写真撮ることは下手ではなかったし、レイアウトだってできる方だったと思うし、ほんの少しなら方正も使えた。そんな私になにがあと残っているかって、今の私は思う。当時の私もなんだってできると思っていたしね…。これは言い訳だけど、まだ自分にはこれしかないと思えたらよかったかもしれない。

もはや自分自身に残っていたのは無意味な自信だった。きっとどの役職についていたとしても失敗していたと思う。本当に自分自身を優先するなら、希望を出す前にでも見切るべきだったかもしれない。ただそこまでわがままになれなかった弱い自分がいただけ。

ここまでさんざん無責任なこと言ってきましたが、今この状況に後悔はしてません。私は私なりのベストを尽くしました。満足いかないとこがあっても。運命と諦めるなり納得したりするだけです。その運命を決めたのは誰でもなく私なのだから。