前回、DSについて書いた日記で終わっているのですが、なにをやっていたかと言えば、『すばらしきこのせかい』。これは斬新です。戦闘システム、アイテム・装備、ストーリーは今までにないもの。今時のゲームはすごいです。気づいたら寝ながら七時間ぶっ続けでやってました…。そしたら右肘こわしました…。
そもそも家に帰ってDSやる前から電車で本を読んでいたため、右肘がずっと曲がったまま。そしてDSやりすぎて死亡。未だに右肘に違和感があります。皆さんも気をつけましょう。
んで電車のなかで読んでいたのが『きっと君は泣く』(山本文緒)。もう10年くらい前に書かれた本ですが、いやーつまんなかった。mixiでも評価少ないから、そんだけの本なんだろうけど。基本、女性の心理を追った小説だけれども、私にはわかりません。本を読み切ったところで考えてみても、あまり共感できるところはなかった。これは私が男だからだろうか、はたまた一般的に理解できないのだろうか。唯川恵のダメ本読んだときと同じでただストーリーが進んでいってなにもなく終わる感じ…なにがおもしろいんだろ。
あ、言うの忘れてましたね。新聞できました…私は何もしませんでしたが、完成しました。出来映えは…ん、まだまだってところです。それと勝手に私一人が思うことですけど、こういう作業は向き不向きがあるんだろうなー。もちろん私は不向きな方です。うまくいってる部分なんて何一つないです。うまくやろうとしているかは全く別の問題ではありますがね(何。
新聞の話題について言及します。今回のテーマについて思うのは、結局どっちだってなんだって変わりないこと。読者云々は無視して、私としたらこれは別に大したことじゃないんだと思う。もちろん企画として、部員としてこれは一つありだと思うものの、一大学生としては…。だって今生きてる私にはそんなことどうでも良いしね。簡単に思いつくわけで、どうせ博報堂が決めたんでしょ?って。そこにつけ込んで、私たちに返ってくるものが本当にあるのか。今でも疑問ではある。まーでもそんなこと言ったらなんでもそうなんですけどね。新聞ってそういうものだろうから。結局、個人のわがままと大して変わらない。そういう考えから抜け出せないうちは私は不向きな人間なんだろうな。
実際、私たちは、もしくは私はあまりにも鈍感で不器用で、無意味なエネルギーの放出をしているのかもしれない。なによりも建設的でない。そのなかでちょっとした明かりをもとに進んで、結局迷宮入り。この状況に太刀打ちできない、悔しく思えないのは、私の力不足であり、意欲不足である。反省。
つまり私たちは考えなければならない。本当にこれで良かったのかと。今後もこれで良いのかと。そこに正義があったのか。目的があったのか。ねらいがあったのか。新聞なんて一日過ぎれば過去。さーどうしたものか。
ただ下級生のレポートを読むと、なにも考えていないようで考えているみたいなのがわかった。まー人にもよるけど。ただ今回それだけでも分かったのなら、それでも良い気がした。たぶんそれすらなかったら、次回テキトーぶっこいてた気がするしね。まだまだ下のためにやれることがたくさんある。
兎にも角にも些細なものであるが持てる力を授けようと思う。正直、私にできるのはそれぐらいなもので、あとは皆それぞれが判断して成長していってもらうしかない。所詮、私は増幅器なのだから。
そもそも家に帰ってDSやる前から電車で本を読んでいたため、右肘がずっと曲がったまま。そしてDSやりすぎて死亡。未だに右肘に違和感があります。皆さんも気をつけましょう。
んで電車のなかで読んでいたのが『きっと君は泣く』(山本文緒)。もう10年くらい前に書かれた本ですが、いやーつまんなかった。mixiでも評価少ないから、そんだけの本なんだろうけど。基本、女性の心理を追った小説だけれども、私にはわかりません。本を読み切ったところで考えてみても、あまり共感できるところはなかった。これは私が男だからだろうか、はたまた一般的に理解できないのだろうか。唯川恵のダメ本読んだときと同じでただストーリーが進んでいってなにもなく終わる感じ…なにがおもしろいんだろ。
あ、言うの忘れてましたね。新聞できました…私は何もしませんでしたが、完成しました。出来映えは…ん、まだまだってところです。それと勝手に私一人が思うことですけど、こういう作業は向き不向きがあるんだろうなー。もちろん私は不向きな方です。うまくいってる部分なんて何一つないです。うまくやろうとしているかは全く別の問題ではありますがね(何。
新聞の話題について言及します。今回のテーマについて思うのは、結局どっちだってなんだって変わりないこと。読者云々は無視して、私としたらこれは別に大したことじゃないんだと思う。もちろん企画として、部員としてこれは一つありだと思うものの、一大学生としては…。だって今生きてる私にはそんなことどうでも良いしね。簡単に思いつくわけで、どうせ博報堂が決めたんでしょ?って。そこにつけ込んで、私たちに返ってくるものが本当にあるのか。今でも疑問ではある。まーでもそんなこと言ったらなんでもそうなんですけどね。新聞ってそういうものだろうから。結局、個人のわがままと大して変わらない。そういう考えから抜け出せないうちは私は不向きな人間なんだろうな。
実際、私たちは、もしくは私はあまりにも鈍感で不器用で、無意味なエネルギーの放出をしているのかもしれない。なによりも建設的でない。そのなかでちょっとした明かりをもとに進んで、結局迷宮入り。この状況に太刀打ちできない、悔しく思えないのは、私の力不足であり、意欲不足である。反省。
つまり私たちは考えなければならない。本当にこれで良かったのかと。今後もこれで良いのかと。そこに正義があったのか。目的があったのか。ねらいがあったのか。新聞なんて一日過ぎれば過去。さーどうしたものか。
ただ下級生のレポートを読むと、なにも考えていないようで考えているみたいなのがわかった。まー人にもよるけど。ただ今回それだけでも分かったのなら、それでも良い気がした。たぶんそれすらなかったら、次回テキトーぶっこいてた気がするしね。まだまだ下のためにやれることがたくさんある。
兎にも角にも些細なものであるが持てる力を授けようと思う。正直、私にできるのはそれぐらいなもので、あとは皆それぞれが判断して成長していってもらうしかない。所詮、私は増幅器なのだから。