俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

むかしむかし

2009-06-12 22:56:24 | ATOP
過去の事をいちいち思い返して、あーだこーだいうのはナンセンス。
そうは思うものの、今日は昔話から入りたいと思います。

私が大学一年生のときある担当の記事を任せられたときがありました。
かなり大きいスペースでその強さを全面に押し出している企画でした。
しかし、発行タイミングの関係で最新の試合で負けた事実がありました。
当時の新聞では圧倒的な強さと負けた事実が同時に載るという結果に収まりました。
たしか私の記憶では両方の記事(メインとサブ)を担当していたはずで、
圧倒的な強さについて書かれたメイン記事の最後の部分と、
サブ記事の位置づけとの内容の差に大変苦労した記憶があります。

そりゃそうなんですよ。だって内容が正反対だし、ルールを無視しているから。新しい内容よりも過去の内容の方が評価されるのは根本的におかしいからね。
やるとしたら順序が逆なんですよね。最新の内容がメインであって、
過去の内容がサブの位置に収まらないと記事の信憑性が失われてしまう。
実際の書き手であった私が記事に苦労するのも当たり前の話だったと思います。

その話がなんだということではないんです。今更記者になるわけじゃないし。
私がそこで思うことはダブルスタンダードってどうにかならないのかなってこと。
きっとあの企画の出し方は致し方なかったのだと思います。
記者が完全に担当に感情移入してしまって、負けたとしても大きく出したかったし、
サブが追い込みであったことが追い討ちをかけて要項を変えづらくしていたから。
ただ実際やってみると「信憑性のなさ」を書き手自身が感じてしまっていました。
それの言い訳というかダブルスタンダードだと思うんですよ。
一に新聞のルールという要因。次に担当としての意向という要因。
結果、あれはあれ、これはこれと都合良く捉えて、当然のように掲載してしまう。
根拠の不透明さは否めず、中途半端に濁した形になった記事・企画の出来上がり。

じゃあどうすりゃ良かったのかって話になってしまいますけど、
私はもっとスペースを小さくして負けたことを書くべきだったと思います。
そうじゃなきゃつじつまが合わないし、新聞・文章として論理的でない。
でも、今日言いたいのはそこじゃないんです。そういう後悔でも説教でもありません。

つまりね、新聞に限らず、人間関係においてもそれって大事なんじゃないかってこと。
論理的に矛盾しない、1つの基準を通せることって重要だと思うんですよ。
だってそんなのがまかり通るなんて信用おけないでしょ、アメリカみたいで。
私の例だって、それ1つやったことで新聞の信憑性・信頼性は著しく低下したと思うんですよ。
ただね、そう思うのは異常なのかなと今日は思いました。
誰もが納得せざるを得ない論理よりも心情やしがらみが優先されることって…。
鳩山大臣の気持ちもわからないでもないですね。筋が通らないんじゃなぁ…。

わかる。わかるんだよ、絶対的な論理がすべてではないって。
でも論理的でなくても、感情的でもいいけど、都合良く切り替えるんじゃなくて、
どっちか1つを持ち続けたいもんだなぁと思います。それが信念っていうか、
鳩山大臣でいう正義ってやつなんでしょう。あってるか間違ってるかじゃなくて、
そう思い通せるかが人の気持ちをつかむことなんだろうなぁ…。

私自身、偉いことをいえる身分じゃありませんが、そういった芯を持てたとき、
また1つ、人間としてのレベルがあがるんだと思います。

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