俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

我慢

2010-01-29 01:41:04 | ATOP
我慢について考えていました。

この超ストレス社会にあって、皆さんも色々と我慢して過ごしているかと思います。

我慢って言うのは、程度の話しになってしまうと
「おれはこんだけやってるのに…」「私はあれだけ…」という
愚痴というか、嫉妬もしくは我慢ではなくて自慢になってしまいがち。
まぁ、そのせいで己の我慢について普段から誰かに話したり、
打ち明けたりしている人ってあまりいないと思います。
逆に打ち明けまくってると嫌われる傾向すらあるものですよね、
「我慢」って。

さて。ちなみになんですけど、
あなたが一番我慢していることってなんですか?
それは一体何のための我慢なんでしょうか?
自分のための我慢でしょうか?誰か他人のための我慢でしょうか?
まずはそこを考えてみて下さい…
まぁ考えたところでなんかある訳じゃないですが(何。

個人的にあまり我慢というものに縁がないんですよね…(苦笑。
皆さんの目にどう映っているかはわからないのですが、
些細なことと言っては語弊があるんですけど、
例えば「美味しいものが食べたい!」「旅行行きたい!」とか
発作的というか自然と自発的に思うじゃないですか、
そういうのを我慢したことってあまりないんですよね。
お金がないからできない。だから諦めるっていうのは我慢じゃないですからね。
そういう点では金銭的余裕と私の欲のハードルが良いあんばいなんでしょう。

まぁとにかく。
我慢っていうのは、ほかに何かしたいことがあるから、
優先順位をつけて1つを選択して1つを放棄することですから。

そういう我慢について最近考えていたんですよ。
まぁ本を読んでいたときに思ったからなんですけど。
本に出てくる登場人物が言うんですよ。

我慢って奴は自己陶酔だって。自己欺瞞だって。

それを言われて私も『確かにそうだよなぁ』って思ってしまいました。
結局、我慢っていうのは自分のためにしているんだよなぁって思う。

それが人間関係での我慢だったりして、誰かのため、
自分以外の人のために我慢したことであったとしても、
他人なんて実は問題じゃなくて、自分自身の気持ちの問題。
相手の気持ちを勝手に想像して、理解したつもりで、
よくよく考えれば自分にとって都合良く捉えて、
自分の中で折り合いつけて自己納得している完全な欺瞞。
そんで、他人を思ってという恩着せがましい思考回路が、
次ぎに「私は我慢することで良いことをしている」という自己満足を生む。

そう思わずにいられない我慢が私にも心当たりがあります。
自らを正当化する我慢。贖罪としての我慢。
無理矢理自分を納得させようとしている我慢。

常々言っている欲がないとかそういうこと自体がそれにあたるかもしれません。
実のところ、自信と勇気がないことを除けばある程度本気出してみたいことはあります。
でも私の場合は「欲がない」という言い訳をたてて我慢しちゃえば、
それなりにどうにかなってしまったり、忘れてしまえるので、
それほど正当化しているわけでもないと思うんですが、まぁしているといえばしてる。
正当化するついでにいうと、私はそれを「理性」だと思ってます(笑。
逆に言えばですよ。開き直ってしまえばの話しですけど。
我慢することが自己満足、自己欺瞞だというなら、なんだって我慢できるわけです。
理性によって高貴な選択をしたと思っておけば済むんですから。

でも。それでも我慢できないものが私には1つある。
気持ちとしては我慢できないんだけど、
自分で明らかに無理して我慢し続けていることがあります。
別に誰かに我慢を強いられてる訳じゃないんだけど。
まさにぎりぎりの理性で我慢し続けているんだと思う(何。
我慢しなくなったら楽になるかっていうと、ならないんだと思うんですけど、
時々そのことについて思うことがあって、考えるたびに、
何のために生きているのかすら分からなくなったりもします。
答えが出なさすぎて死にたくもなるわけです。
ただ、そこは我慢という自己欺瞞性質にもたれかかって忘れますが、
たびたび考えてしまうことからするときっと我慢ならないんでしょう。

本の中では我慢という行為を批判的に捉えていますけど、
同時に無鉄砲な行為に対しても批判的だったと思います。
つまるところ、我慢してないで自分の力でどうにかせい!って話なんだな。
それに気付いた登場人物達が行動していくわけですが、
この世の中にそう強く生きることのできる人がいるのかね?
精神的に弱い私は最後は我慢して、
自分を騙しながら生きて、死んでいくのだと思います。

そんなことを思った今日この頃です。

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