私の回りにはアーティストっていないんですよ、たぶん。法則に従って演出する数学的なアーティストがうようよいて、本能的なアーティストっていない。私だって限りなく前者だしね。
本能の赴くままになにかを作り出す。そういう世界観に触れたのは昨日でした。百石のいう音楽っていうのはそういうこととは少し違うのかもしれないけど、私はまずそれを強く思いました。
なにか伝えようとして形作る前に、自然に湧き出る想い・感情で、言葉にするのではなく奏でるということ、音にすること。たしかにそういう音楽は楽しいような気がする。
言葉でもなくて気持ちでもないかもしれない、まさに本能という原始的なスイッチによって発する音。
原始的。いまある大衆的なもの、音楽でいうならPOPというのかな、そういったものって長い時間をかけて作り上げられたものなんだけど、その中で廃れてしまったもの、捨て置いてきてしまったものってあるんだろうね。
今ある「こういうのが良い!」と感じる常識ってのが実は大したものじゃなくて、本能とはかけはなれて理屈や理性によって成立している、ある種の潔癖で精錬されすぎたものになってつまらないものになっているんじゃないか。
だから壊したいんだろうな。原始的にかえりたいんだろう。なにもない状態、価値観がデリートされた状態、カオスにしたいんだと思う。きっとそれは音楽だけじゃないんだ。政治にしたって経済にしたって人間関係にしたって、文化そのものを原始化させたいんだと思う。
高度に発達した社会に生きるからこそ、息苦しい、つまらない。精錬されすぎた、法則化しすぎた社会の薄っぺらさ、先が見えてしまう期待感のなさ。きっとみんな感じてるんじゃないだろうか。
本能の赴くままになにかを作り出す。そういう世界観に触れたのは昨日でした。百石のいう音楽っていうのはそういうこととは少し違うのかもしれないけど、私はまずそれを強く思いました。
なにか伝えようとして形作る前に、自然に湧き出る想い・感情で、言葉にするのではなく奏でるということ、音にすること。たしかにそういう音楽は楽しいような気がする。
言葉でもなくて気持ちでもないかもしれない、まさに本能という原始的なスイッチによって発する音。
原始的。いまある大衆的なもの、音楽でいうならPOPというのかな、そういったものって長い時間をかけて作り上げられたものなんだけど、その中で廃れてしまったもの、捨て置いてきてしまったものってあるんだろうね。
今ある「こういうのが良い!」と感じる常識ってのが実は大したものじゃなくて、本能とはかけはなれて理屈や理性によって成立している、ある種の潔癖で精錬されすぎたものになってつまらないものになっているんじゃないか。
だから壊したいんだろうな。原始的にかえりたいんだろう。なにもない状態、価値観がデリートされた状態、カオスにしたいんだと思う。きっとそれは音楽だけじゃないんだ。政治にしたって経済にしたって人間関係にしたって、文化そのものを原始化させたいんだと思う。
高度に発達した社会に生きるからこそ、息苦しい、つまらない。精錬されすぎた、法則化しすぎた社会の薄っぺらさ、先が見えてしまう期待感のなさ。きっとみんな感じてるんじゃないだろうか。
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