(先月書いたブログをアップせずにいました。めんどくさいのでそのままアップ)
ベトナムへきて早いもので5カ月です。
つまり、いっぱしの日本語教師になって5カ月です。
いままでの人生、教わる側でしかなかった自分が教える側にまわってみるという大転換。
想像以上に大変…ということもないです。
そこそこ大変なぐらいです(笑。
でも勉強になります。
人を育てるのは難しく一筋縄ではいかないです。
だから人を亀甲縛りしても育ちません(亀甲縛りは一本の縄で行います)。
それは冗談としても、教育には二つの観点があります。
知識や学力を育てる教育と、情操教育。
どちらが勝ってもうまくはいかないし、どちらかが欠ければうまくいかないように思います。
ただ、知識なんか先生がいなくても自分で学ぶことができます。
できる人間はひとに教わらずとも学んでいくものです。
だから、できる人間にさせるのが教師というか教育者の仕事・役割なんだと思います。
そんでもって情操教育は答えがなさ過ぎて、理解させるのは難しい。
本当に正しい道徳や理念もなければ、真の理解などどこにもだれにもありえないですから。
ましてやこうして海外にいて日本語も通じない、日本人とも仕事もしたこともないひとたちに伝わるのか、自分でも懐疑的です。
一応、学習者が日本で働くことを前提に教えているので、処世術としてマナーや作法を教えればいいです。
ただ何事も実感ないまま教わっても、意味がないです。肝心なのはやはり必要性です。
そして、親の心、子知らずの状況はまとわりつきます。
「言ってもわかんねぇだろうなぁ」
なんて死ぬほど思います。
でも、そう簡単にあきらめなられない私がいます。
そこを諦められないでいられるから、教育者なんだろうなぁと思います。
「こいつになにいったって無駄」なんて一瞬思っても、次の瞬間にはその考えを打ち消して相手に挑みますから。
別に挑まなくてもいいんですよ、相手も子供じゃなくて大人ですから、因果応報。
がんばらなかった結果、何も手にすることができないのが分かっているわけですから。
でも、そこで諦めてしまったら自分が教師という仕事している意味がないです。
”より良いあなた”でいてほしい気持ちが私にはあるようです。
それから、ときどき私が思うのはスパイダーマンの主人公・ピーター=パーカーです。
======================================
勉強以外は冴えないクイーンズ在住の高校生、ピーター・パーカーは、ある日社会見学中に被験体のクモに噛まれた事により、スーパーパワーを手に入れる。
彼は、赤と青のコスチュームを誂え、テレビ出演して金を稼いだ。一躍人気者となっていた彼は、ある日の番組収録後、一人の強盗が警備員から逃げるのを、「自分の仕事じゃない」と見逃した。しかししばらくして、彼の父親代わりだったベン・パーカーが、何者かによって殺害される。それを知ったピーターは殺人犯を追うが、それが自分が見逃してやった強盗だと気付く。後悔の念に苛まれたピーターは、ベンが残した「大いなる力には、大いなる責任が伴う (With great power comes great responsibility.)」という言葉[† 1]を胸に、人々の為に自分の超能力を使う事を決意するのだった。(ウィキペディアより)
======================================
別に自分が大それた力を持っているなんて思いませんが、できることをしないで見逃すと痛い目にあうというということを思います。
授業が終わって、一日を振り返ってみると「注意すべきか」「言うべきか」とかいろいろと考えをめぐらせます。
「ま、いっか」で終わらすこともできます。
でもこれを思い出すんですよね。
すこしおせっかいに手を出してみようと、そうすれば世の中もっとましになるだろうと思って。
それから、言葉がいくら伝わらなくても、生きている世界・文化がどんなに違っても、伝わることが一つあります。
情熱です。
これはなぜだか伝わります。伝わると思います。
人間、他人の頑張りや必死さを理解し、同情なり発奮なりするものです。
どんなにつたない授業をしていたとしても、精一杯やろうと思います。
教えていることはルーチンワークそのものですが、学習者にとっては人生に一度きりなんですよね。
そんなことを思う、海外生活5カ月目なのです。
ベトナムへきて早いもので5カ月です。
つまり、いっぱしの日本語教師になって5カ月です。
いままでの人生、教わる側でしかなかった自分が教える側にまわってみるという大転換。
想像以上に大変…ということもないです。
そこそこ大変なぐらいです(笑。
でも勉強になります。
人を育てるのは難しく一筋縄ではいかないです。
だから人を亀甲縛りしても育ちません(亀甲縛りは一本の縄で行います)。
それは冗談としても、教育には二つの観点があります。
知識や学力を育てる教育と、情操教育。
どちらが勝ってもうまくはいかないし、どちらかが欠ければうまくいかないように思います。
ただ、知識なんか先生がいなくても自分で学ぶことができます。
できる人間はひとに教わらずとも学んでいくものです。
だから、できる人間にさせるのが教師というか教育者の仕事・役割なんだと思います。
そんでもって情操教育は答えがなさ過ぎて、理解させるのは難しい。
本当に正しい道徳や理念もなければ、真の理解などどこにもだれにもありえないですから。
ましてやこうして海外にいて日本語も通じない、日本人とも仕事もしたこともないひとたちに伝わるのか、自分でも懐疑的です。
一応、学習者が日本で働くことを前提に教えているので、処世術としてマナーや作法を教えればいいです。
ただ何事も実感ないまま教わっても、意味がないです。肝心なのはやはり必要性です。
そして、親の心、子知らずの状況はまとわりつきます。
「言ってもわかんねぇだろうなぁ」
なんて死ぬほど思います。
でも、そう簡単にあきらめなられない私がいます。
そこを諦められないでいられるから、教育者なんだろうなぁと思います。
「こいつになにいったって無駄」なんて一瞬思っても、次の瞬間にはその考えを打ち消して相手に挑みますから。
別に挑まなくてもいいんですよ、相手も子供じゃなくて大人ですから、因果応報。
がんばらなかった結果、何も手にすることができないのが分かっているわけですから。
でも、そこで諦めてしまったら自分が教師という仕事している意味がないです。
”より良いあなた”でいてほしい気持ちが私にはあるようです。
それから、ときどき私が思うのはスパイダーマンの主人公・ピーター=パーカーです。
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勉強以外は冴えないクイーンズ在住の高校生、ピーター・パーカーは、ある日社会見学中に被験体のクモに噛まれた事により、スーパーパワーを手に入れる。
彼は、赤と青のコスチュームを誂え、テレビ出演して金を稼いだ。一躍人気者となっていた彼は、ある日の番組収録後、一人の強盗が警備員から逃げるのを、「自分の仕事じゃない」と見逃した。しかししばらくして、彼の父親代わりだったベン・パーカーが、何者かによって殺害される。それを知ったピーターは殺人犯を追うが、それが自分が見逃してやった強盗だと気付く。後悔の念に苛まれたピーターは、ベンが残した「大いなる力には、大いなる責任が伴う (With great power comes great responsibility.)」という言葉[† 1]を胸に、人々の為に自分の超能力を使う事を決意するのだった。(ウィキペディアより)
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別に自分が大それた力を持っているなんて思いませんが、できることをしないで見逃すと痛い目にあうというということを思います。
授業が終わって、一日を振り返ってみると「注意すべきか」「言うべきか」とかいろいろと考えをめぐらせます。
「ま、いっか」で終わらすこともできます。
でもこれを思い出すんですよね。
すこしおせっかいに手を出してみようと、そうすれば世の中もっとましになるだろうと思って。
それから、言葉がいくら伝わらなくても、生きている世界・文化がどんなに違っても、伝わることが一つあります。
情熱です。
これはなぜだか伝わります。伝わると思います。
人間、他人の頑張りや必死さを理解し、同情なり発奮なりするものです。
どんなにつたない授業をしていたとしても、精一杯やろうと思います。
教えていることはルーチンワークそのものですが、学習者にとっては人生に一度きりなんですよね。
そんなことを思う、海外生活5カ月目なのです。