僕の過去の墓参りの経験からすると、一番の天気だったかと思います。
そのせいなのか、どうなのか、死後の世界について考えていました。
死後の世界といっても、死んだあとの僕についてではなくて、
死んだあとの僕がいない世界について。
僕がいたであろうとする世界について考えていました。
現在、我が家のお墓は海が見える高台にあります。
「海が見えるから」といって両親がお墓の場所を決めてましたが、
当時の僕はまったくといっていいほど興味がありませんでした。
僕は昔からお墓という文化に対しては否定的ですが、
どうしてだか今日はお墓にいる自分を想像しました。
もし、自分が骨になった時、そこに意思や魂などというものが、
多少なりともその骨なり、その場所なりに残るというのなら、
やはり素敵なところで眠りたいというのはあるんだと思います。
まぁそう思ったときに、一定の場所にとどめるとか、
すんごい拷問だなと思わなくもないのですが、
死後、どこにとどまり、思いをはせるのか。
これはそれなりに決めておく価値があるのかもしれないと思ったんです。
山が見られる、海がみられる、故郷の土地。
生前思い入れのある土地を選定する。
そう考えると骨になって墓に入ることもなくはないなぁと思いました。
でもまぁ、僕はお墓は結構です、今のところは。
お墓を後にして、前を歩く両親を見ていて、
いつかこの人たちもこのお墓に入るんだよなぁと思うと、
本当にここに一緒に入ることでいいのかな、
満足なのかなと不思議と聞いてみたくなりました。
まぁ聞かなかったんですけどね(何。
僕はともかくとして、死後の世界でも僕の両親が、
どこでも構わないからともに語らっていてくれればいいなと思いました。