あれ、気付いたらまた一カ月終ろうとしている…。
2012年始まって一カ月。特に期待もあるわけでもなければ、
昨年の反省があるわけでもないのだけれど。
また無駄な時間を過ごしているなぁと思う次第です。
今日は少し僕のことについて話をしようと思います。
考えても見れば無事勤続3年を終えようとして、
就職するときに決めた「とりあえず3年」はどうやらクリアできそうです。
んで、とりあえず3年働いてみたもののどうなのか?と考えてみたんだけど、正直飽きました(何。
みな一緒だと思うけど、就活した時のモチベーションなんかあるわけないし、
あるわけない…というのもあれですが、うっすら思い出せる程度しかなくて、
1年目のときに感じていたやりがいなんかどこ吹く風で、今じゃ単純に消化するだけの労働。
たしかに職場でのポジションが嫌というわけではないです。なーなーではあるものの、
責任者の人たちからそれなりに信頼と評価を受けていると思う。
まぁもちろん確かめたことはないけど。
でも、結局のところそれだけで何かを続けていく動機になっていくかといえばそうじゃない。
それはとても贅沢な話かもしれないが、仕事…というよりなにか物事を続けていくということには、
周囲から求められる期待、それに応えようとする使命感だけでは続いていかない。
最終的に必要なのは自分自身の正義感というか、己の精神のなかから湧いてくるなにか…
なんとも表現はしにくいのだけど精神的に満足や充実できることをやっていないと、
最初は使命感に燃えるから何とかなるけれども次第にストレスとなってやる気を失っていくのだと思います。
僕は今のところ自分のためにしか仕事をしていないからそこが最も重要なのです。
これで家族のために働いているのであればとらえ方も違うのだと思うのですが、
結局のところ今は自分のために自分が納得できることをやらないといけないなぁと思う。
いつも思うのだけど、「何かをやめることは簡単」という言葉がちらつくせいで、
「本当にベストは尽くしたのか?」と自問自答して、まだまだ達観してないのにやめてしまうのか、
これからまだ思いもよらないことが起こるんじゃないかって不安になる。
不安になるっていうか、気持ちのどこかで中途半端に終わらせようとしていることを疑ってしまう。
※ここまできてあれなんですけど、まだ転職とか全然考えてないので注意。
最近仕事してみて思った。スポーツ選手の引退って実に難しいんだと思う。
たぶんどんなアスリートだって切羽詰ってくれば「ベストは尽くしたのか?」って自問自答すると思う。
やめるのは簡単だけど、そんなことでやめてしまっていいのか。才能がなかったと諦められるのか。
もっとあがけば全盛まではいかないけどやり続けることはできるかもしれない。
今はだめでも続ければまた蘇るかもしれない。体力にしても気力にしても。
もちろんさ、僕みたいに単純に飽きちゃったっていう気持ちもあるんだろうけど。
やめどきって本当に自分自身で決められるものなんだろうか。
外部要因がなければ決定打にならないんではないか。そんな気がします。
実に日本人らしい考えなのかもしれない。転職ありきのアメリカとは違うよね。
まぁあらためて僕の話に戻るんだけども、僕も3年目になると上司とも先輩社員・後輩ともよく話すし、
営業先の方々とも話をするもので、「ATOPさんはここで終わりじゃないんでしょ?」
「あんた、ここにずっといちゃだめだよ」とかありがたいことに言ってくれる人が多い。
そういってくれる方々の時代と我々の時代では働くことに対する緊張感が違うのだけど、
それでも僕はこういうことが言われるのももう今年ぐらいまでなんだろうなと思う。
でも、僕は僕自身の居場所というか行きたい場所、やりたいことなんて見当もつかない。
才能の無駄遣いなんて身分ではないけど、今やってることは少なくともエネルギーの無駄遣いなんだろうなと思う。
思うのは最終的にものづくりに行き着くんだと思う。
物理的になにか作り出すのもそうだろうし、それだけじゃなくてもっと芸術的な何かもそうだし、
僕の精神が何かに宿り、そのなにかが誰かの手に渡るようなことをしなければ満足できないんだと思う。
なんとなくそれは思うんだよね。たぶんこの10年ちょっとあほみたいに文章書いているせいだと思うけど。
でもそうするには僕はまだ自分自身が未成熟だと思うんだね。
僕がそれをやるには人としてそのラインに行っていないと思う。
いや、もちろん、それは誰かが決めることじゃないし、自分で決めることでもないんだけど、
まだ自分のことを知らない自分が自分のことを売り出すのはどこか抵抗がある。
まぁそんなこといったらいつまでもそうなんだけど、でもまだ僕は25年しか生きていないし、
僕が生きてきたのは実に狭い狭い世界なのだから到底足りない。到底足りないのである。
僕も実に浅はかだからそういうのを諦められないんだろうなぁ。
諦められないのだろうし、もっと浅はかなことに自分にまだ期待してるんだと思う。
…そんな社会人3年目なのである(笑。
2012年始まって一カ月。特に期待もあるわけでもなければ、
昨年の反省があるわけでもないのだけれど。
また無駄な時間を過ごしているなぁと思う次第です。
今日は少し僕のことについて話をしようと思います。
考えても見れば無事勤続3年を終えようとして、
就職するときに決めた「とりあえず3年」はどうやらクリアできそうです。
んで、とりあえず3年働いてみたもののどうなのか?と考えてみたんだけど、正直飽きました(何。
みな一緒だと思うけど、就活した時のモチベーションなんかあるわけないし、
あるわけない…というのもあれですが、うっすら思い出せる程度しかなくて、
1年目のときに感じていたやりがいなんかどこ吹く風で、今じゃ単純に消化するだけの労働。
たしかに職場でのポジションが嫌というわけではないです。なーなーではあるものの、
責任者の人たちからそれなりに信頼と評価を受けていると思う。
まぁもちろん確かめたことはないけど。
でも、結局のところそれだけで何かを続けていく動機になっていくかといえばそうじゃない。
それはとても贅沢な話かもしれないが、仕事…というよりなにか物事を続けていくということには、
周囲から求められる期待、それに応えようとする使命感だけでは続いていかない。
最終的に必要なのは自分自身の正義感というか、己の精神のなかから湧いてくるなにか…
なんとも表現はしにくいのだけど精神的に満足や充実できることをやっていないと、
最初は使命感に燃えるから何とかなるけれども次第にストレスとなってやる気を失っていくのだと思います。
僕は今のところ自分のためにしか仕事をしていないからそこが最も重要なのです。
これで家族のために働いているのであればとらえ方も違うのだと思うのですが、
結局のところ今は自分のために自分が納得できることをやらないといけないなぁと思う。
いつも思うのだけど、「何かをやめることは簡単」という言葉がちらつくせいで、
「本当にベストは尽くしたのか?」と自問自答して、まだまだ達観してないのにやめてしまうのか、
これからまだ思いもよらないことが起こるんじゃないかって不安になる。
不安になるっていうか、気持ちのどこかで中途半端に終わらせようとしていることを疑ってしまう。
※ここまできてあれなんですけど、まだ転職とか全然考えてないので注意。
最近仕事してみて思った。スポーツ選手の引退って実に難しいんだと思う。
たぶんどんなアスリートだって切羽詰ってくれば「ベストは尽くしたのか?」って自問自答すると思う。
やめるのは簡単だけど、そんなことでやめてしまっていいのか。才能がなかったと諦められるのか。
もっとあがけば全盛まではいかないけどやり続けることはできるかもしれない。
今はだめでも続ければまた蘇るかもしれない。体力にしても気力にしても。
もちろんさ、僕みたいに単純に飽きちゃったっていう気持ちもあるんだろうけど。
やめどきって本当に自分自身で決められるものなんだろうか。
外部要因がなければ決定打にならないんではないか。そんな気がします。
実に日本人らしい考えなのかもしれない。転職ありきのアメリカとは違うよね。
まぁあらためて僕の話に戻るんだけども、僕も3年目になると上司とも先輩社員・後輩ともよく話すし、
営業先の方々とも話をするもので、「ATOPさんはここで終わりじゃないんでしょ?」
「あんた、ここにずっといちゃだめだよ」とかありがたいことに言ってくれる人が多い。
そういってくれる方々の時代と我々の時代では働くことに対する緊張感が違うのだけど、
それでも僕はこういうことが言われるのももう今年ぐらいまでなんだろうなと思う。
でも、僕は僕自身の居場所というか行きたい場所、やりたいことなんて見当もつかない。
才能の無駄遣いなんて身分ではないけど、今やってることは少なくともエネルギーの無駄遣いなんだろうなと思う。
思うのは最終的にものづくりに行き着くんだと思う。
物理的になにか作り出すのもそうだろうし、それだけじゃなくてもっと芸術的な何かもそうだし、
僕の精神が何かに宿り、そのなにかが誰かの手に渡るようなことをしなければ満足できないんだと思う。
なんとなくそれは思うんだよね。たぶんこの10年ちょっとあほみたいに文章書いているせいだと思うけど。
でもそうするには僕はまだ自分自身が未成熟だと思うんだね。
僕がそれをやるには人としてそのラインに行っていないと思う。
いや、もちろん、それは誰かが決めることじゃないし、自分で決めることでもないんだけど、
まだ自分のことを知らない自分が自分のことを売り出すのはどこか抵抗がある。
まぁそんなこといったらいつまでもそうなんだけど、でもまだ僕は25年しか生きていないし、
僕が生きてきたのは実に狭い狭い世界なのだから到底足りない。到底足りないのである。
僕も実に浅はかだからそういうのを諦められないんだろうなぁ。
諦められないのだろうし、もっと浅はかなことに自分にまだ期待してるんだと思う。
…そんな社会人3年目なのである(笑。