俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

無責任でいいじゃない

2009-05-23 19:29:32 | ATOP
ちょっと前まではなんでもかんでも答えを出そうとしていたんだな。
まぁ答えっていうほど大したことではないのだけどね。
正しいか間違っているか、ありかなしか…という具合に。
ある種のカテゴライズみたいなもので、ものごとを分類してたわけです。
先日の可愛い・可愛いくないという話についても同様で、
ひとりひとりに対してそうなのか、そうでないかを分けていたわけです。
ただ、可愛い・可愛いくないについては非常にあいまいな分類ではありますが。

大抵のことはありかなしかを決めている傾向は強かったです。
一度分類してしまえば、その気持ちを疑いもしなかったですね。
人様のことなんてどーでもよくて、自分ありきだったもんなぁ。
私自身が起きたことに対して意見を決めていれば、それで満足という状態。
他人に対する理解というのはあるにはあったのだろうけど、
それは他人のことを私が勝手に想像しただけに過ぎず、
根本的に誰かの話を受けて意見を変えるとかってことをしなかったわけです。

そういう時期は確かにあったんだけど、次第に軟化していきました。
ありかなしかみたいな答えを出さなくなっていきました。
理由はよく分かりません。気づいたらそうなっていました。
それは私が優しくなったのではなくて、テキトーになったんだと思います。
皆さんも分かると思いますが、世の中のことをいちいちありかなしか
決めることは面倒だし、正直どっちだって構わないと思うじゃないですか。
それは無責任になったともいえますよね…事実、私は無責任ぶりを遺憾なく発揮してました。

そういう過程を経て、一時期なんでもかんでも答えを出していた自分を、
とても羨ましいというか、憧れっていうか、好きだと思う時期がありました。
要するにストレートに生きていた自分がカッコ良い気がしたんですね。
そういう自分に戻りたいとすら思いましたからね、阿呆みたいですけど。

でも、今はそう思いません。
確かにストレートに荒々しく生きていたのは強い生き方だったと思うから、
それはそれで良い生きざまだったのかもしれません。
ただ、今の無責任な姿勢は弱い生き方かもしれないけど、
ものごとに対して寛容さを持てていることは悪いことじゃない気がします。
無責任であることに後ろめたさは感じるのだけど、今はこの生き方がいい。
ちょうどいい。

なんでもかんでも答えを出すのは勇気がいることだと思うし果敢である。
でも、そうある必要なんてない。きっとない。
早く、人よりも早く決断する必要なんてない。
答えは時間が経てば変わることだってあるのだし、
誰かに譲ってあげることだってできるのだから。
多いに悩み、多いに苦しみ、選べばいいのだから。


そんなことを10代の人と話して思いました。
できることをやればいいじゃないか。
どうせ、できることしかできないのだから。