俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

自分、頑張りません。

2009-05-08 09:46:37 | ATOP
私はベストを尽くすという言い方が苦手で、
頑張るや努力するという言い回しはもっと苦手。
意味はその重要性が理解できるし、
『それはそうなんだろうな』と理解はできます。
ただ、その言い回しが好きになれません。
便宜上、使ってしまうことはあるのだけど、
ブログでもリアルでもあまり使わないようにしています。
使うとしても、「精一杯」とか「一生懸命」とかですね。

突然それがどうした、って思いますよね?
いや、特に大したことではないのだけど、
なんとなくそんな話がしたくなっただけです。

元来、私は努力家タイプではないので、
そういった言葉を姿勢で示すということは
ほとんどありません。

いつもそれなりという感じで取り組み、
大抵、それなりの結果に満足してしまいます。
皆さんはどうでしょう?努力家タイプですか?

まぁただそんな私にもそういったこととは違う、
もう少し別の観点からの努力的アプローチはあります。
というのは、努力するかしないかは別として、
自分に出来ることをやらないのはダメなことだと最近は思います。
今までの反省を含め、そう思います。

今まで私は”やりたいと思うこと”と”やれること”は違うから、
生きていくのは難しいみたいなこと言っていましたが、
それはそれで間違ってもいないのだろうけど、
同時に正しくもないんだろうなぁと思います。

状況によって違うと思うんですね。
そこに他人が関わっているか、
関わっていないかで違うと思います。

私個人の問題においては納得できない部分もあって、
自分にやれるだけの余裕や力量があったとしても、
それをやりたいと思わない限り、邪魔なもの、
煙たいし、正直面倒なだけだと思うんですね。

でもそれってあくまでも私の心の中、
気持ちの問題でしかないんですよね。
私がそんなつまらないことでこだわらない、
ある意味気持ちを抑えて我慢することで、
誰かのためになっているなら、
それは悪いことではないのかもしれない。
そう思うようになりました。

例えばですけど、目の前で困っている人がいて
それに気付いているのがあなただけだったらどうします?
きっと少なからず手助けできることってあると思うんですよ。
でも、正直なところ助けたいと思うかどうかは別ですよね。
面倒に巻き込まれたくないという気持ちは誰にでもあります。

でも、やっぱり助けると思うんですよね。
そうするだけの余裕や力量があるはず。
少なくとも今の私にはあります…サーセン。

私がやりたくないと思ったり、
気の進まないことだったり、
苦労しないとできないことだったりしても、
私がそれを覚悟の上で行った結果、
誰かが救われたり、幸せなるのなら
悪いことじゃないなって思います。

それで何が私に残るかっていうと何も残らないかもしれませんが、
それを考えるのは少しナンセンスですよね。

本日の結論です。
私はそういう努力はあっても良いんじゃないかなぁって思うんですよ。
ここ最近は自分自身のために何かすることの限界に気付きました。
いくら自分に何かを求め続けようとも、たどりつけるところに限界があります。
自分以外の人のために何かすることで、自分自身がより違う境地というか、
もっと変わっていけるんじゃないかと思った今日この頃です。