俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

レバーがどうした

2007-12-26 01:43:36 | 社会問題
運転のコーチら逮捕 「バスのドアロック忘れた」 小5転落死(産経新聞) - goo ニュース

マイクロバスから投げ出されトラックにひかれ小学生が亡くなる事故が起きました。まず亡くなられた方のご冥福お祈り申し上げます◆事故の原因はバスを運転していたコーチの不注意で、ドアのロックを手動にしたままにしていたためと見られる。誰にとっても不幸なこととしか言いようがない◆ただ原因が分かったとしても誰かが物理的にも精神的にも救われるわけでもない。残酷なことに。生きる傍観者である私たちが考えるべきは他にある。だからレバーの切り替えを知ったって意味がない◆この事故できっとスポーツの遠征を取りやめるクラブや学校が出てくる。善意のボランティアたる行為にすら責任が求められる時代にあって、私たちがしなければいけないことはなにか。責任を恐れなにもしないでおくことか。責任が取れないから、管理ができないから放棄してしまうことなのか◆萎縮することがこの事故の救いにはならない。もちろん、保険に入ればそれでいいという話でもない。子どものやりたいことを安全にやらせてあげられる環境を大人が整えてあげることじゃないだろうか。この事故でスポーツを通した交流が失われたら、本当にいたたまれない。

報道

2007-12-26 00:00:36 | 社会問題
ここ3ヶ月くらい報道を問う記事などが新聞やネットに掲載され話題を呼んだ。現実がマスコミを通して改変され、事実から剥離していく実状にどう思うのか。

そのこと自体を話す前に私たちも含め反省しなければいけないことがあります。自戒みたいなもんです。
基本的にマスコミのスタンスはミーハーです。そうでないと報道が成立しないかと言えば、必ずしもそうではない上に今はそれについて話すと面倒なので無視します。マスコミの態度はひどいものがあるのは事実です。時間や結果に縛られ礼儀知らずなところがたぶんにあります。記者もカメラマンも編集者も少なからずそういうところがあります。

たしか今年のはじめにお祭りの撮影でプロカメラマンとアマチュアカメラマンが場所取りで揉めて、プロカメラマンのブログに文句が書かれて騒動になった気がします。実のところ、私たちはどちらかといえばアマチュアに近いかもしれません。当然のことプロのスタッフと現場で居合わせた場合、君たちアマチュアでしょ?といった形で白い目で見られることは普通にあります。

普通、プロを優先させるか譲りますが、私の場合、譲るかと言えば譲りません。だってカメラの場所取りだってプロならアマチュアよりも早くきて場所を取る才能があるべきだし、トータルで考えてプロとして仕事をして初めてプロと呼べるんじゃないでしょうか。特権が与えられなければ仕事を果たせないならプロ失格ではないのかと思います。

で、プロの方々は言うわけです。「アマチュアの方々はそれで飯食ってるわけじゃないでしょ?」と。そんなのナンセンスじゃないですか?むしろそれで飯食えなくなるくらいの器量しかないならプロじゃないじゃん!
もちろん、プロの方々の言うことも一理あるわけですが、ささっと役目を果たしたならアマチュアに譲ればいいことだし、なにも特権を行使して居座る必要はないのでは?

それを目の当たりしたのが、箱根駅伝予選会でした。私も自前のカメラで選手を撮影するため、日当たりや道なり、背景を考えて場所を選んでスタンバってました。しばらくしてやってきて現れた日テレスタッフ。あとから現れたにも関わらず、私のカメラの真ん前に無言で陣取り準備をし始めました。挙げ句の果てにたばこを吸いたそうにしている男がいたので(昭和の森公園は全面禁煙)、私はじっとにらんでやりました。したら茂みの裏まで行ってたばこ吸いやがった。全員が全員そうであるとは言いませんが、マスコミはこういう存在であることは間違いありません。主催者だから許されるのかなんだかしりませんが、逆に言えば特権にしがみつかなければなにもできないのがマスコミ。もちろん我々もこれに該当する部分があるので反省しないといけません。

ともかくとしてマスコミはそういう存在であるからして、他者の落ち度を批判できる立場にない。そうなのにもかかわらず、この社会に君臨していられるのは記者クラブ制度のおかげ、つまりは特権が与えられてるから。そんな人たち同士が我先にと争いだし(ほぼ出来レースなわけだが)情報を流しだす。現実はねじ曲がるべくして伝えられるようなもの。

ただそうならざるを得ないという現状はあります。制度がそうなんだからと。まー体制批判大好きなマスコミらしからぬ姿勢ですが、記者クラブ制度をやめよう!とか言い出す分けないし、仕方ないと言えば仕方ない。それに情報が第三者を介して伝えられた際にそのまま伝わる分けないので、現実から剥離していくのは当たり前。

んで、別に記者クラブを批判するのが今日の本題ではないのでおいておきます。現実と報道された内容が離れていくことにどう思うのか。私からするともうそれは仕方ないこととあきらめています。受け取り手としては。肝心なのは情報の送り手として。ここまで言って申し訳ないかもしれないが、今送り出しているものに現実を描いたものがあるかと言えばないのかもしれません。記者の勝手な分析しかないのでは…と思わずにいられない。

結局、起きたことに対する原因究明しか私たちはしていないんでないか。そこに意味があるのかを問わなければならないわけです。ここ最近はそれを考えています。原因究明はなんの意味もないし、それで責任追及なんてみっともない。もとい、そんなことして楽しいのか、それが正しいことなのか、価値あることなのか、起きたことをどう示していくのかを探さなければいけません。それが今一番足りないことだなと私は思います。