俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

バカはバカ

2006-12-07 02:54:01 | ATOP
高校の校訓に誠実・謙虚・努力があった。素晴らしいことに私には一つも当てはまらない。それをいまさらどうこういうつもりはないです。今日、私が言いたいのはその3つの完全否定ではなく、それらをいつも守ろうと必死になっている人間への疑問です。
人間関係や物事の運びとしてそれらを無視することはできないと思う。もちろん、それらは物事の運びにおけるジャンルというか、それぞれのものさしという意味で。それらが存在すればプラスであるという意味ではない。つまり人に対して、物事に対していつも誠実・謙虚・努力であった方が好ましいと考えるのは短絡的ではないか、ということ。
私はそれらを万人に対して、万物に対して抱く必要はないと思う。というかそれをやろうとしても無理で、それらは必ず限定的に存在する気がする。むしろその方が自然ではないだろうか。誠実であるべきときに誠実であれば良いと思うし、謙虚になるべきときに謙虚になれば良いし、努力すべきときに努力すれば良い。そのすべきときを判断する価値基準は人それぞれで決めればいいわけで、その多様性は否定しない。するべきときだけでなく、するべき対象においてもそうあるはず。その人に対して謙虚になれるかどうかはその対象となる人次第。つまるところ、敬意を払われるべくして敬意を払われるわけです。
まー簡単にいえば、他人のプライドやメンツを気にして誠実や謙虚、努力したって本当にそうしたと言えるか怪しいということです。だから、相手は年上だから敬意を払わないといけないとか、そういったバカみたいな既成概念に則った道徳心は私には理解できません。ある意味ではバカ正直なんだろうけど、裏返してみれば浅はかというか偽善じゃないでしょうか。
 まぁ個人的なことにはなりますが、バカにバカと言って何が悪いということです。間抜けに向かって間抜けと言って何が悪いってことです。声を大にして人を誉めることは許されて、声を大にして人を批判することが許されないのがそもそもおかしいんですよ。批判されるのが嫌なら批判される前にしっかりやっておけばいいだけの話です。