ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

もう戻って来ない

2023-09-16 | よもやま話




四十九日法要と納骨を済ませて二週間、
次第に寂しさが募ってきます。


いつかそのうちに退院して
また戻って来るんだから・・・


つい先日までは、
そういう感覚もどこかにありました。

ただ、納骨を済ませたいま、
次第に現実に引き戻されています。


玄関に残された事務局長(妻)の履物、
クローゼットやハンガーラックに掛けられた衣類、
いつも持ち歩いていたバッグ類に身の回り品。

すべてがつい数ヶ月前の状態のままで
その殆どが見覚えがあるだけに思い出させるのです。


一昨年の年末に子宮体癌を診断され、
年明けの昨年1月に子宮全摘手術を受けました。

術後は毎月一回の化学療法で通院、
抗ガン剤で脱毛し医療用の帽子とウイッグ生活。

今年の4月に放射線治療のため再入院。

その後、主治医から病状の説明があり、
併せて自宅での緩和ケアの提案がありました。

本人も希望していたこともあり、
即自宅での緩和ケアを選択しました。

手厚い訪問看護を受けながら
自宅での療養生活が始まったのですが、
ぼぼ一ヶ月の自宅生活となってしまいました。

タチの悪い癌の進行と転移の速さに
事務局長も勝てませんでした。


訪看の担当看護師さん、
先日お参りにこられて話されました。

「余りにも早過ぎましたが、
 自宅での緩和ケアいい選択をされましたね」

どうにも出来なくなった時は、
いつでも再入院は出来ますから・・・

この主治医の一言がいかに心強かったことか。

また、奥様が仰っていたこと

「自分の意識がもし無くなった時は、主人の判断に任せます」

「これから先の主人のことが一番心配です」とも。


・・・・・・・。



本人は2年前に告知を受けた時、
余命を自分から訪ねるぐらいでしたから
おそらく覚悟は出来ていたと思います。

最後まで弱音を吐くことなく
眠るように自宅から旅立って行きました。


本人もまだまだやりたかったことも沢山あったでしょう。
悔しくて悔しくて堪らなかったに違いありません。

息を引き取る2週間前には六番目の孫姫が誕生し、
抱っこは無理でしたが会うことが出来ました。

これからますます賑やかな毎日になるはずだったのですが・・・




「長崎の変」とは?長崎の新たな変化やチャレンジを応援し、
その魅力を発信するプロジェクトです。
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