ある劇作家の死―――木下順二氏のこと
ある劇作家の死といっても、木下順二氏はすでに有名な人だから、「ある劇作家の死」などといった思わせぶりな言い方はふさわしくないのかもしれない。しかし、最近の若い人にはこの劇作家を知らない人もいるだろう。
高名であった割には、氏の作品を私も全く読んではいない。ただ氏の脚本になる『夕鶴』が、すでに同じく亡くなられた作曲家の團伊玖磨氏の手によって日本製のオペラ『夕鶴』になったのを、ただ一度、それもテレビで見ただけである。つうと与ひょうの夫婦を中心とする物語で、登場人物も西洋オペラのように大掛かりな人数ではなく、内容も質朴なものだった。女優の山本安英さんの記録的な回数の上演が話題になったこともある。
だから木下順二氏は名誉や顕彰にふさわしくない人ではなかった。しかし、氏は生前にはそれほどマスコミにも登場しなかったし、私もテレビで何かの折に見た記憶がかすかに残っているぐらいだ。故郷の名誉市民の授与も国からの賞や勲章も辞退したらしい。
木下順二氏が逝かれたのは、実は昨年の十月三十日で、氏自身の遺言で、半年は黙っていて欲しい、延命治療も葬式もしないでと希望されたという。死を見取ったのも養女の木下とみ子さんただ一人だったらしい。そして、氏の遺灰は母親のそれとともに海に撒かれるという。今年の一月十九日の新聞の追想録という欄に内田洋一という記者が報告していたのを読んで、はじめて氏のご逝去を知った。享年九十二歳だった。関係者の方がたぶん、追悼文など書かれていたはずだが、自分には読む機会もなかった。
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