作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

風強し

2007年02月15日 | 日記・紀行

風強し

春一番というのだろうか、全国的に強い風が吹いているようだ。静岡では竜巻のような強い風が吹いて、民家や温室が吹き飛ばされて被害が出ているという。このまま冬らしい冬も迎えないまま、春にずれ込むとでもいうのだろうか。

久しぶりに、ブログに日記を書いている。
今日は、竹の径を抜け、校庭裏の桜並木を抜け、大蛇ヶ池のあたりを散輪した。途中に貯水場がある。なかなか洒落たデザインなので一度紹介しておこうと思う。強い風に、竹林のざわめきも激しい。帽子も何度か吹き飛ばされそうになる。

とくに大蛇ヶ池の前で写真を撮ろうとしたとき、竜巻のような突風が吹いてきた。公園にいたカラスがすべて、仲間内に警告でもしあうかのように、その跡にいっせいに鳴いたので、木立の騒ぎとカラスの鳴き声と風の音が一緒になって、現代交響楽の不協和音のような不安なざわめきが木立の間を響き渡る。


このあいだ中国残留孤児の損害賠償訴訟があって、神戸と東京の地方裁判所で相反する内容の判決が出たのはご存知だと思う。それでその際、裁判官の国家観について一度書いてみようと思ったが、やはり自分の国家観をふくめて、あらゆる面で、きわめて幼稚で未熟であると感じた。さらに学びなおす必要があると思った。いずれにせよ、あらゆる面で勉強不足を痛感する。

あらためてまだ、自分にはこうした問題についてブログで論じる資格もないように思う。もう少し学ぶことに力を入れてゆこうと思った。それだけブログを書くことに費やす時間も減らさざるを得ないかもしれない。ペースももう少し減らしてゆこうと思う。それが内容の充実に繋がればよいのだけれど。もちろん、できるかぎりは書いてゆこうとは思っている。


現代の日本ではこうしたテーマのブログは残念ながらマイナーで、もちろん、ランキングなど鼻から問題にならないのは承知はしているけれど、それでも時折り訪ねてくれて楽しんでくださる読者の方もおられるようで、また同好の士らしい人も、さらには哲学の国を祖国とするような奇特な人たちにも読んでいただけるのはうれしいけれど、ブログの記事は減るかもしれない。もう少し学ぶことに比重を移してゆこうと思っている。

 


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