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日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

短歌と哲学(3)

2008年10月22日 | 芸術・文化

 

短歌と哲学(3)

文学は言語のもつリズム、音韻によって本来的に音楽性を含んでいる。また言語は概念と表裏一体である同時に、たとえ抽象的ではあってもその表象が色彩や形象をもつ点で美術の性格の側面も併せもっている。それゆえ言語芸術である文学は芸術と哲学の境界に位置する。

その文学の一ジャンルである短歌は、もちろん個別芸術としてそれ自体の自立的な完全性をもち、独自の価値を追求する。その自立的な完全性は、短歌の形式である三十一文字のもつ音韻とリズム、その言語のもつ表象の象徴性のなかにある。

しかし、文学としての簡易な様式のゆえに短歌は、ちょうど画家にとってのスケッチやデッサン、あるいは音楽家にとっての練習曲のような役目も果たしうる。ちょうど画家がデッサンやスケッチにおいて絵画の基礎的な訓練を怠らないように、またピアニストがバッハなどの練習曲につねに慣れ親しむように、短歌の制作において日常生活の中から素材を発掘し、メモをとりながら主題を発想し、同時に言語の表象を彫琢し、用いる概念を洗練する。

また、その制作の推敲の過程で感性を鋭くし作品としての造型性を深めて、芸術品の創作の価値と能力を向上させてゆくなかで、どのジャンルに属する芸術においても修練としての効用をもちうるのである。もちろんその質的な内容の向上のためには、短歌においても、あらゆる芸術がそうであるように、一定以上の量的な訓練の消化を必要とすることは言うまでもない。

短歌の制作のみならず一般に芸術品の制作において、人間は文化的な社会的な存在として自然や同類である他者に関係する。人間は社会的動物であると同時に文化的な動物として、歴史的に社会的に形成された何らかの認識や行動の枠組みを学習しながら成長する。文化とはそうした思考と行動の様式でもある。

その典型が言語である。言語は人類の歴史的な産物であり文化の頂点にたつ。そして個人は日本語なり英語なり特定の言語を思考の枠組みとして取り入れることによって社会的な存在として生きる。

その意味では文化とは、人間が世界を眺めるときの「先入観」を形作るものである。そうした認識のための枠組としての道具、「パラダイム」は歴史的に社会的に作られるのであるが、その文化も弁証法的であって、人間は文化を形成するとともに、またその属する文化によって規定もされる。すべての個人は民族の子、時代の子として属する文化のもつ価値観、行動様式などの影響を受ける。 

短歌は日本を象徴する一つの文化である。その風土と歴史のなかで発展してきたもので、長く深い伝統をもっている。短歌は日本人が自然や人間などの世界を芸術として捉える一つの型である。

日本人の感覚が短歌において捉えうるものは、その生活の舞台である独自の地理や気候や風俗であり、自然や社会の物象であり事象である。歌人にとってそれらの事物、現象は、その背後に存在するもののシンボル、象徴として現れてくる。そのとき象徴されるものは、現象の背後に隠れている普遍的で恒久的なものとしての本質あるいは概念である。歌人が作歌においておいて捉えようとするものは、その象徴によって映されるさまざまな現象の背後に存在する本質もしくは概念である。

というよりも、歌人が言語によって事物の姿を捉え映そうとするとき、自ずから本質的で普遍的な事柄を現すことになる。なぜなら、言語は本来的に普遍的で抽象的な事柄しか言い現しえないからである。

そして、短歌においてもこの普遍的な事柄の言い現しにおいて、感動の基礎にあった感覚の対象としての個別具体的なものは、その作品で言い現そうとしている事柄すなわち概念の裡に保存されアウフヘーベンされている。そして、そのとき短歌はもとの個別具体的な素材から切り離されて、それ自体の独立した価値をもつにいたる。それが完成された芸術品としての短歌である。このとき短歌は、哲学の目的でもある概念を事柄として捉えることができる。ここに短歌における哲学の可能性を求めることができるのではないだろうか。

もちろん、従来の普通の歌人は歌人として心に受けた感動を言葉に言い表すだけであって、こうした哲学的な自覚は歌人にとって本来の作歌の目的ではない。カントは物自体は認識できないものとして不可知論に終始したけれども、また、現象の総体に本質を見るヘーゲルは汎神論者に誤解されるということはあったとしても、芸術であれ哲学であれ、それらが本来的に捉えようとしたものは、現象に象徴されるものの背後に存在する恒久的で普遍的なものである。この点において短歌も簡易な形式ではあるけれどもその他の芸術や宗教、哲学と同じ意義をもつことができる。

 

 


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