心に感じる痛みは人それぞれ
自分はどちらかと言うと敏感なようで
そんなことでは傷つかないことにも
落ち込み、心を掻き毟られるときがあります
だから、人と話すことに
ちょっと億劫になったりもします
そんな自分に助言をくれる人もいて
けれど、どこか心がこもらず嘘っぽく
共感ができません
僕の痛みが分からない癖に
勝手なこと言うなと
反発する気持ちも強くなります
せっかくの親切心で
言ってくれていることは分かるので
自分の心の狭さに嫌悪もしますが
心に感じる痛みは人それぞれ
自分はどちらかと言うと敏感なようで
そんなことでは傷つかないことにも
落ち込み、心を掻き毟られるときがあります
だから、人と話すことに
ちょっと億劫になったりもします
そんな自分に助言をくれる人もいて
けれど、どこか心がこもらず嘘っぽく
共感ができません
僕の痛みが分からない癖に
勝手なこと言うなと
反発する気持ちも強くなります
せっかくの親切心で
言ってくれていることは分かるので
自分の心の狭さに嫌悪もしますが
甘い香りがして
花の存在に気がつく時があります
普段は地味な沈丁花も花を咲かせれば
途端にその甘い香りで存在感を増します
思わず香り漂う方へ足を向けます
一年に一回のことですが
花屋でのぞくクチナシ
金木犀は時期になると
花が待ち遠しくなります
大切な人も香り高い花のよう
人混みにあっても
かぐわしさに直ぐ分かります
いつまでもその香りが
胸を甘くするようにと願います
子供たちの喧嘩は
本当に浅ましいです
誰が多く食べただとか
あいつが悪いのに俺が怒られたとか
人に譲ったり、ちょっと我慢をしたりすることが
損をしていることだと感じるようです
お互いに譲り合えば
喧嘩もなくなると教えるのですが
すんなりと腑に落ちないようです
確かに大人の世界でも
同じようなことをやっているので
子供にだけ理想を押し付けても
いけないのかも知れません
それが当たり前だと思い
人からも毟り取ろうとする浅ましさは
持たないで欲しいと思います
同じように育てている子供たちなのですが
いつの間にか味の好みに違いがでます
不思議なことです
例えば次男はラーメン派
長男と三男はうどん派
好みに合わせて別々に作るのも面倒です
そうして次男はここの所
クロワッサンを気に入って
喜んで食べます
親から見るとまだまだ
小さな子供の頃と変わらずに見え
クロワッサンを食べる次男の
頭を撫でて嫌がられます
食べた後にはふんわりとバターの香りも漂い
ミルクの匂いのしていた
赤ん坊の頃を勝手に思い出します
だから、うざいとか
言われるのでしょうけれど
いつもの地下鉄の出口を上りました
少し混んでいたので
前の人に合わせて上って行きました
階段を上り終えたところで
足を下ろそうとすると
その近くには羽をたたんで動かない
チャバネセセリが一頭
僕もまるで気が付かなかったのですが
出口のコンクリートの床の部分に
溶け込んでいます
どう考えても
そのままでは踏まれそうだったので
気になったのですが
僕の後ろからも人が上ってきていたので
邪魔にならないようにそのまま進みました
何故、あんなところで
羽を休めていたのか分からないのですが
あの後すぐに、飛び立ってくれたのなら良いのですが
しばらく気になっていました
朝夕が大分肌寒くなってきました
いつもの如く夜遅くまで眠らない三男を
眠らせようと一緒に眠っていました
本当は一番早く眠らせたいのですが
夜になるとハイテンションになって
子供たちの中で一番遅くまで起きています
俺、夜行性だからと言うので
昼に生活をしろと怒るのですが
それを聞いてゲラゲラと笑っていたりします
特に週末は遅いことが多く
その日も11時を過ぎていました
声を出さずに静かにしていると
やがて静かな寝息が聞こえてきました
ようやく寝たようです
それを確かめようと枕元のスタンドの灯りををつけると
毛布にくるまって首だけ出している三男の姿
まるで首だけを出している蓑虫のように見えました
そうしてその向こうには
同じような姿で寝ている長男と次男も
僕はその三人に挟まれて
窮屈な思いをしながら眠りにつきました
若い頃には人目が気になり
外を歩くのも苦痛に思うような時がありました
人が僕に悪意を持っていて
痛めつけようと向かってくるような感覚
けれど段々と年を重ねると
そんな悪意は結構少なくて
それ以上に、皆が自分のことで苦しんでいて
人に対して悪意を向ける余裕も
あまりないことを感じるようになりました
もちろん、そんな自分を持て余して
人に攻撃を向ける人も少なくはないのですが
ある意味、僕が思っている以上に
人は僕には関心が無いと言うこと
それを感じるだけで、心が少し楽になる気もします
人の目にがんじがらめにされて
動けなくっていた心が一息をつきます
自分を苦しめるものは
人ではなくて自分の考えや認識であることが多いですね
でもそれが素直に納得できるまでには
きっと時間も必要なのですが
賑やかな街を歩いていました
目的の場所に行こうと
ちょっと細い路地裏を通ると
目の前に可愛い野鳥が道路の上を歩いていました
思いがけない出会いに
鳥好きの僕は
思わず「あら」と声を出してしまいました
その鳥は初めて見る黄色を中心とした綺麗な鳥でした
その後、ネットで調べてみたのですが
一瞬の記憶もあやふやになっていて
これだと言い切れる鳥の名前は見つけられませんでした
その可愛らしい鳥は
近くに寄っても逃げることなく
僕の前をちょこちょこと歩いて行きます
僕は道案内人を得たように
その後を静かについていきました
少し前から虫が鳴き始めました
その日も随分と暑い日で
夜になっても、その暑さが続き
帰りがけ聞こえた虫の声が予想外で驚きました
自分の中では虫が鳴きだすには
まだ早いという感覚があったからです
それが簡単に打ち破られた驚きでした
まだ蝉の声も聞こえたり
ただ、確かに、朝や夜の風は秋の香りを含み
季節が交差する時分にいることを感じていました
自転車で走っていたら
畑に育つ向日葵の一つが
首をぐにゃりと曲げて下を向いていました
花が周りの向日葵よりも
異常に大きいのです
その重みに耐えかねて
首を曲げてしまったのですが
何故自分で支えられないほどに
大きな花をつけてしまったのかしらと
ちょっと哀れに思い
ブレーキをかけて一瞬
その前に立ち止まってしまいました
頭が重ければ支えきれない首も折れるのは
自然の理ですし分かりそうなものですが
振り返ると自分も頭でっかちになっていることが
往々にしてあります
ついつい理屈と言い訳が先行して
頭が一杯になってそれを自分で支えていられなくなって
向日葵を嗤う以上に自分の方が
首を折った姿でいることが多く
気が付いていなかった自分の姿を
目の前に見せつけられたような気がして
しばらくその向日葵の姿が
頭から離れずにいました