昔、学校の実験で糸電話を作り
友人と話をした覚えがあります
何故こんな簡単な仕掛けで
声が聞こえるのだろうと
とても不思議で驚きの気分だったことを
思い出します
そんな風に人の心の震えも
そのままに届くような道具があれば
便利だし、誤解も少ないのだろうなと思います
言葉に乗せるとどうしても上手く伝えられず
もどかしさばかりが募るばかりです
それでも言葉ぐらいしか
今のところ心を伝える手立てはないので
それを磨かなければと思います
昔、学校の実験で糸電話を作り
友人と話をした覚えがあります
何故こんな簡単な仕掛けで
声が聞こえるのだろうと
とても不思議で驚きの気分だったことを
思い出します
そんな風に人の心の震えも
そのままに届くような道具があれば
便利だし、誤解も少ないのだろうなと思います
言葉に乗せるとどうしても上手く伝えられず
もどかしさばかりが募るばかりです
それでも言葉ぐらいしか
今のところ心を伝える手立てはないので
それを磨かなければと思います
今年も夏の間に蔦が伸び
駅の外側から壁を乗り越えて
ホームの方まで侵入していました
毎年、楽しみにしているのですが
だんだんと、ホームへ入り込む
割合が増えている気がします
その蔦の勢いは透明な窓を眺めると一目瞭然で
今にも窓を打ち破って押し入ろうとする勢いです
そうしてそれに負けまいと力を入れる窓という構図に
夏の光が緊張感を与えていました
夏のこの時期
空を見て、雲を眺めていると
どこか懐かしさが込み上げてきます
夏の雲の形状は一つとして同じ物はなくて
何に、懐かしさが呼び起こされるのか
夏の雲の色合いなのか、質感なのか
いずれにしろ、その根っこは
子供の頃に田舎で過ごした
夏休みの思い出にあるようです
楽しかった時間は大切ですね
それが今でも胸に蘇って
自分を慰めたりしてくれるのですから
秋田に遊びに出かけている三男も
沢山の満ち足りた時間を
持って帰って来てくれればと期待するばかりです
海のそばを自転車で走っていると
白い帆を張るヨットを見かけます
海原を滑るようにで
気持ち良さそうだなと思うのですが
実際に、自分で操作したら
きっと大変なのでしょうね
僕ではもしかすると
体力的に追いつかない位に
風の流れを捉えようと
普段から感じ取っていると
その見えないものにも
敏感になるのでしょうね
僕が感じれない
風の吹いてる方向を予想できたりもして
そんなことを勝手に想像しながら
ヨットの滑る様を見ている自分です
歩道橋に上ると、一直線の道路に添うように続いている
銀杏の街路樹が、青々と茂って綺麗でした
夏空にその先端を差し出して
空に届こうとして、空からの音信を
受け取ろうとしているかのようです
きっと大きな街路樹もまだ成長をしていて
夏の空に潜む見えない手が
その幹の先端を引っ張り上げようとしている
そんなイメージが自分の中に広がりました
時々、昔、心を寄せた人を
思い出す時があります
もう音信も途絶えて
それ以降の気持ちも伝えられなくなった人
思い返せば感謝の気持ちしかありません
今ではその気持ちを伝えれば
きっと迷惑でしかないその宛名に
時々は思いを伝えたくて書き連ねる言葉
気づいてもらっても今さらという感じなのですが
どこか気づいて欲しいという気持ちもあって
人は誰かに伝えたい事だらけで
言葉を書き連ねるのでしょうね
小さな女の子が二人
波打ち際に遊んでいました
一人は見た目、1歳位
もう一人は3歳位でしょうか
いずれにしろずっと飽きずに遊んでいて
時々、歓声を上げます
何が「やったー」なのか分からないのですが
何度も「やったー」を繰り返していました
あんな夢中になれる遊びを
いつから僕は忘れてしまったのかなと
ちょっと寂しく思いました
いつからか目の前のことよりも
未来に何か、いいことが起こらないかと
遠くばかりを見ているような気がします
目の前の一つ一つに
懸命に向き合わなければいけないのだと
自分を戒めていました
波打ち際に佇んで見ていると
戻る波と
新たに押し寄せてくる波がもつれあい
行ったり来たりを繰り返します
まるで定まらない自分の心を見るようです
思い立って一瞬は気持ちが昂るのですが
それを否定する思いも湧いてきて
結局、迷いのままに
何も行動に移せない繰り返し
自分の性分なのでしょうが
我ながら情けなくなる時もあります
街で暮らしていると
沢山の視線に
体を切り裂かれるようです
きっと僕が
そうしたことを気にし過ぎるからなのでしょうが
その視点に晒されるごとに
おろおろとしていしまい
右往左往とする自分です
そんな気分は
もしかすると多少なりとも
皆感じているものかも知れませんね
心苦しさが街の雰囲気のようになって
心に毎日のしかかっています