Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

web漫画『小さな違いと大きな違い』

2015-03-21 21:52:45 | web漫画

自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。

■web漫画『小さな違いと大きな違い』

■あとがき
春分の日にちなみ春にふさわしいテーマにしました。

もちろん痴漢をしたこともしようと思った事もありません。
けど、電車とかでかわいい女性と密着すると正直ドキドキしてしまいます。
その反対に女性の下着はなんとも思いませんので、興味ある人の気持ちは全く分かりません。

でも、これだけ下着ドロが多いという事は、実行しないまでも下着自体には興味ある人も結構いるのでしょうね。

もし見てくださった方いましたらありがとうございました。

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

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web漫画『英語の響き』

2015-03-20 21:39:03 | web漫画

自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。

■web漫画『英語の響き』

■あとがき
言語は音に子音が多く含まれてるほうがかっこよく感じる気がします。
その点日本語やイタリア語は母音が多いので野暮ったく聞こえるときもあります。

ですが日本語は一音一音に意味が込められていて響きにも重みがあります。
イタリア語も動物のラテン語名は古式ゆかしい感じがして趣があります。

ジョン・ボールはLed Zeppelinのジョン・ポール・ジョーンズ、ナットクラッカーはELPの同名曲という七〇年代ロックつながりで、かねがね思っていました。

もし見てくださった方いましたらありがとうございました。

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

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続・コンプレックスにご用心

2015-03-19 22:01:17 | コラム

鳩山元首相「日本人は欧米に洗脳されている」 米国務省「鳩山氏はクレイジーだ」(FNNの記事より)    

例えば、男性が好きだった女性にもてあそばれた挙句振られたら、こう思うかもしれません。
「もう女なんて信じない!」

でも、男性で言えば、巨乳好きと貧乳好きとの間には、銀河の端と端くらいの心の隔たりがあります。
女性だってそのくらい性格や考え方にも違いがあるはずです。
それを無視して女性全般を一緒に扱うというのは、ちょっと無理があります。

でも、それでは気持ちが不安定な状態に置かれます。
信じられる女性も世の中にはいるはずなんて期待は、傷ついた心にはかえって辛いだけです。
それなら「女なんて信じない」と一括処理したほうが、気分はずっと楽です。

いわば、そういうレッテル貼りは心の防衛本能みたいなものです。
自分が受け入れやすいようにモノゴトを決めつけて、それ以上悩まないようにするのです。

さて、上記事の鳩山由紀夫元首相の話になると必ず2つのタイプの人達が現れます。
ひとつは「鳩山は東大に裏入学した」説の人たちです。
もうひとつは「勉強ができるのと頭が良いのとは全く別だ」という説の人たちです。

しかし、僕にはどちらも極端すぎると感じます。
学力が高い人達は、他の分野でもその頭の良さを発揮できる人は多いです。
でも、脳の性能が勉強のみに特化した、そういう人が結構多いるのも事実です。

前者の人たちは学力を絶対視しすぎてますし、後者の人たちは学力を軽視しすぎです。
共通しているのは、どちらの人たちも勉強に強いコンプレックスを持っているということでしょう。

でも、コンプレックスのない純粋な目で見ると、世の中とはもっと複雑で難しいものなのです。

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続・悪のメディア

2015-03-18 21:43:53 | コラム

NHK「クローズアップ現代」にやらせ発覚! (週刊文春の記事より)

K先生という画家の方が近所に住んでいて、地元の主婦を中心に半分ボランティアで絵を教えています。
僕の母もかれこれ20年近く絵を教わっています。

K先生は画業一本でやっているだけあって腕前は一流です。
けど、あまり有名ではありません。
その理由の一つにこんな出来事がありました。

昔、NHKがK先生の才能を見込んで、番組で作品が取り上げることになりました。
実際に仕事現場の撮影から、これまでの半生、そして自分の作品に対する想いまで様々な取材を受けました。
その応対には先生も好感を持っていたようですが、それも裏切られることになりました。

というのも、実際の番組が本当のこととは程遠かったからです。
インタビューが編集で切り貼りされ、自分の意見とは真逆のことを言ったことにされたりもしました。

以来先生はテレビの取材は一切断るようになったそうです。
名が売れれば作品だって高く売れていいに決まってますが、よほど腹に据えかねたようです。

しかし、その話を聞いた僕はこうも考えました。
世間でもっと名の売れているアーティストだって、同じような経験はあるはずです。
でも、金欲や功名心から、メディア側の作る虚像に半ば言いなりに従っている部分もある気がするのです。
むしろ、そうなれない人は有名にはなれないのかもしれません。

ラファエロや狩野永徳、それにダリなど商売人として優秀で、後世に伝わる作品を残した画家だっています。
ですが、メディアでおだてられてるアーティストたちには、ちょっと眉に唾をつけて見るくらいでいいのかもしれません。

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同性愛者は異性愛者をどう感じるか?

2015-03-17 22:10:31 | コラム

百田尚樹「同性とセックスしたいという願望を持つのは自由だと思うが、そういう人たちを変態と思うのも自由だと思う」(Twitterより)    

学生時代、同級生に同性愛者だとカミング・アウトされたことがありました。
何かの話の流れで身の上相談みたいな雰囲気になったのだと記憶しています。

そこで彼が言っていたことで特に印象に残っていることがあります。
「普通の人がゲイを気持ち悪いと感じるように、男女のまぐわいは気持ち悪く感じる」

当然といえば当然ですが、言われるまでそんなこと考えたこともありませんでした。

でも、これはしかたのないことでもあります。
我々は異性を好きになるか同性を好きになるかを、自分で考えて決めているわけではありません。
同じように、自分と逆のセクシャリティを持つ人を、気持ち悪く感じてしまうのもしかたありません。

お互い馴れることで、ある程度は気にならなくなります。
それでもカバーできない部分は、お互い遠慮をするしかありません。
圧倒的少数派の同性愛者のほうが多く遠慮を強いられるのも、ある意味でしかたのないことです。
でも、少数派ゆえの楽しみや個性を活かせることもあるし、そうそう悪いことばかりでもありません。

さて、上記事は仏新聞社テロが起きた時のことを思い出させます。
フランス国内で巻き起こる「Je Suis Charlie」運動に、少し違った見方をする人たちもいました。
「テロが悪いのは当然だけど、人の信仰をボロカス言う自由も無制限なのか?」

自由や権利が時に人を害することになるのはしかたありません。
ですが、傷つく人の気持ちを考えるのも当然です。
それが歴史や文化に深く根付いていたり、本人の自由にならないことであれば尚更です。

いわゆる保守言論人には、そういう冷静な意見を持つ人も多かったように思います。
しかし、この方の保守特有のマイノリティへの無理解と人を傷つける自由を主張する浅はかさには、ただただ残念です。

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議論でかならず勝つ方法

2015-03-16 21:33:34 | コラム

枝野氏「安倍首相でさえ2回目は政権運営をうまくできた。我々にできないはずがない」(日経新聞の記事より)

小学校の道徳の教科書にソクラテスの話がありました。
読んだ当時、説明こそできないものの「なんかうさんくさいオッサンだな」と思ってました。

なにか気に入らないことがあると相手に「お前は何も知らない」と難癖をつけます。
当然相手は怒って「ならお前はどうなんだ?」と言い返します。
すると「俺は自分が何も知らないことを知ってる分だけまだマシだ」というのです。

会社でこんなことを言い出す人がいたら、次の日から社史編纂室に缶詰か一日草むしりです。
私生活でなら庭に迷い込んだ野良猫か小鳥くらいしか相手してくれなくなるでしょう。

ところが、インテリの世界ではこんなわからず屋が案外偉そうにしています。
なぜならこれは議論をする上での必勝法だからです。

例えば「野球とサッカーどちらが面白いか?」で議論をしていたとします。
野球派とサッカー派に分かれて、自分の良さや相手の悪さを言い争うことになります。

そこで、こう言えばいいです。
「そもそも何を持って面白いというのでしょう?」
「スポーツとはなんなのでしょう?」
「どうしてスポーツにルールが必要なのでしょう?」
こうして議論をどんどん定義の問題にしてやります。

すると、いきなりは答えられず相手も言葉に詰まることが出てくるでしょう。
あるいは怒り出す人もいるかもしれません。
それで、まだ免疫のない若者になら「議論でこの人に適う人はいない!」と思われます。

相手が少し利口なら「それなら、お前に一体何が分かるんだ?」と聞かれるかもしれません。
そうしたら「何も知らないことを知ってる分だけお前たちよりましだ」といえばいいです。

どう考えても卑怯ですし、これに対する反論もちゃんと用意されてはいます。
でも、観客が一般人なら、十分通用する方法です。
なにせ、この手法を上手く使って「論客」としてメディアで人気の人を知ってますから。

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web漫画『秘すれば花』

2015-03-15 21:49:13 | web漫画

自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。

■web漫画『秘すれば花』

■あとがき
女の子って 何でできてるの?
糖とスパイス
それと 素敵な何か
そういうものでできてるよ(マザーグースの歌より)

この事実を知ったとき、何かエロス的なものを感じました。

もし見てくださった方いましたらありがとうございました。

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

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web漫画『誰も見てはならぬ』

2015-03-14 21:30:32 | web漫画

自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。

■web漫画『誰も見てはならぬ』

■あとがき
変換予測は隠れた趣味も分かりますし、第一候補をつなげると前に書いた文章になってしまいます。
サイト履歴や画像フォルダ以上に他人見られると致命傷になりかねません。
なので、おちおち不慮の事故で突然死ぬわけにもいきません。

もし見てくださった方いましたらありがとうございました。

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

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鎌倉高校前駅の秘密

2015-03-13 22:50:50 | web漫画

自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。

■web漫画『鎌倉高校前駅の秘密』

■あとがき
この墓場、ホームの裏の小さな斜面一杯に広がっています。
テレビ番組やCMのイメージだけで行くと、結構びっくりします。

藤沢駅側から行くと、ちょうどこの駅の手前で一気に海が見開けるポイントがあります。
その時、乗客がいっせいに海側に移るので昔はよく脱線したそうです。

個人的には江ノ電は藤沢駅からしばらくして住宅地の中をを突き進むところがとても好きです。

もし見てくださった方いましたらありがとうございました。

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

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続・武闘派女教師Y先生の思い出

2015-03-12 21:57:34 | コラム

小学生の背骨を破壊した暴力教師、周りから「熱血先生」と呼ばれていた 3年前にも生徒にケガさせる(スポーツ報知)

過去記事『武闘派女教師Y先生の思い出』したY先生の話です。

小学校低学年の時の担任だったY先生は、うら若い女性だったにもかかわらず筋金入りの武闘派でした。
美人でしたが、眼鏡の薄茶のレンズ越しにのぞく眼光は、間違いなくドSのそれでした。

まず、授業チャイムが鳴ると同時に始まるのが「処刑」でした。
宿題や勉強を道具を忘れた者を、黒板の前に並ばせて処刑していきます。
まるで中世ヨーロッパの公開処刑場を囲む民衆のような熱気が教室を包みます。

処刑方法を編み出すのにもY先生は天賦の才を持っていました。
初めは竹のものさしで太ももをはたいていたのですが「音は派手だが痛くない」と気づきます。
で、今度はもみあげを掴んで上に引っ張り上げるのにはまっていました。

中でも当時皆の語りぐさになっていたのが常連だったI君でした。
Y先生はI君のこめかみを掴むと、かろうじてついていたつまさきが床から離れて行ったのです。

それでも、Y先生のことは皆好きだったと思います。
その理由は大きく2つありました。
まず、処刑方法がフェアだったことです。
ものさしで太ももをはたくのも、女の子はわざわざスカートを上げさせていました。
そして、もうひとつは、怒りに任せて体罰を加える事がなかったことです。
むしろ、感情的になったところを見たことがありませんでした。

その後、5年生になった時、家庭科の授業で再びY先生に教わることになりました。
またしばき倒されるのかとドキドキワクワクていると、意外にもY先生の授業は穏やかでした。
上品な大人の女性といった佇まいで、それで僕はこっちが本来のY先生のなのだと知りました。

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