都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧 加藤物産KK?/旧 村井堀留店

2024-09-03 | 中央区  
旧 加藤物産KK?/旧 村井堀留店/東京中栄株式会社(倉庫)
所在地:中央区 日本橋堀留町 2-1-6
構造・階数:木・3
建設年:戦前?
解体年:2011〜13(平成23〜25)
Photo 1996.10.6

 解体直前に見て写真を撮った(3、4枚目)が、昔の名前などが判らず気になっていた建物。最近、90年代に撮ったリバーサルフィルムを見返していたら、同じ建物をたまたま撮っていたことが分かった。そこで改めて昔の住宅地図などを国会図書館などで閲覧。以前よりは少しだけ様子が分かったので再掲。

 戦前(1932年・昭和7年)の火災保険特殊地図では「内田」。なんらかの商店だったのではないかと思われるが詳細は不明。写真の建物が「内田」だったかも不明。

 戦後(1949年・昭和24年)の火災保険特殊地図では「加藤物産KK」。堀留町2丁目の一部は戦災では焼失しなかったようなので、昭和10年代とかに建てられたものなら、この建物はかつては加藤物産KKだったのかもしれない。もちろん建物の古さ加減からの推測だが。

 1963(昭和38)年発行の全住宅案内図帳・中央区では「村井堀留店」。加藤物産KKも、村井もしくは村井堀留店も今はない会社のようで、詳細は不明。同名の会社は国内にあるが、それらの創業時期や沿革から判断すると、この時期に日本橋堀留町にオフィスがあった会社ではないようだ。

 1973年、1980年の住宅地図では空き屋で、かなり前にいちど使われなくなっていたようだ。

 1995年の住宅地図では、東隣の東京中栄株式会社の倉庫。1枚目のファサード部分を少し拡大すると、隣の東京中栄株式会社のビルとほぼ繋がっているように見える。


 Photo 2011.1.26

 その後の住宅地図によれば、2000年頃以降はまた空き屋になっていたようだ。東隣にあった東京中栄株式会社のビルもなくなり、跡地には2002年にマンションが完成している。新しめのビルだけがなくなって、古い木造だけが残っていたのはなにか理由があったのだろう。

 2011年の撮影時、木造3階の建物は崩れかけていた。壁が剥落して壁裏が見えており、木造モルタル塗りだったことが逆によく分かる。
 倒壊のおそれがあるので近づかないようにという貼り紙があり、中央区役所が管理しているようだったが、どのような経緯でそうなったのかは分からない。


 Photo 2011.1.26

 写真の後、3月の東日本大震災で半壊したそうで、その後建物は解体され、現在は同所もマンションになっている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #看板建築  #モルタル看板建築 
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2 コメント

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Unknown (旅の途中のとおりすがり)
2021-09-18 12:40:00
細かいところですが、「日本橋堀留町」の「ほり」は、現在の行政地名上は手偏でなく土偏になっています。

現在の地図を見ると、跡地に建ったマンションは間口の割に奥行きがかなりあり、この建物もそういう細長い敷地になっていたのだろうと思われますね。
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Unknown (asabata)
2021-09-18 13:26:51
旅の途中のとおりすがり 様
御指摘頂きありがとうございます。
入力時に間違えたのに気付いていなかったようです。後で修正します。
確かに間口よりも奥行きの長い敷地で、建物も細長かったのかもしれませんね。
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