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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

中野四十五番街 2

2007-11-28 | 中野区  

新しいカメラで試し撮り

中野区中野5-51
Photo 2007.10.26

 多分割測光のクセがまだよく分からないので、夜景の露出補正の勘が掴めない。水銀灯で明るく照らされた路地だったせいもあってか、いくらかマイナス補正をしたにも関わらず、昼間みたいに明るく撮れてしまった。これはこれでおもしろいんだけど。

 さて、以前の記事ではあまりわからないのだが、中野四十五番街のあたりにはどうやら再開発の動きがあるようだ。ただネット上には情報がほとんどなく、法定のいわゆる市街地再開発事業が行われているわけではない模様。

 この数年の間に次第に店の数が減り、営業しているのは今では数軒になってしまった。わずかに残るお店が空き地の中で営業を続けているが、あたりは全体に静かだ。ドアに角材が打ち付けられて閉鎖された建物があったり、建物が解体されて白いシートで囲われた敷地があちこちにある。賑わいのなくなった路地では猫がこちらを見ていた。

中野四十五番街
物干し台への階段
Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #街並み 中野区 
#夕景・夜景  #路地  #商業系 

交差点夜景

2007-11-21 | 中野区  
西武新宿線新井薬師前駅南口近くの交差点
Photo 2007.10.26
Pentax K100D, smcPENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6

 一ヶ月ほど前に、念願のデジタル一眼を格安で購入。

 Pentaxのデジタル一眼で、お手軽な方の現行モデルはK100D Superだが、私が購入したのは一つ前のK100D。中野のフジヤカメラで、新品の標準ズームレンズキットが税込み49,800円。ボディだけでなくレンズを含めての価格なので、これは激安。15台が入荷したとの噂がネットに載ってから数日で残り二台になっていた。前からある程度狙いを付けていた機種だったので、店頭で在庫を確認して、すぐにATMに行き、数分後に購入。値が下がるのを結構待っていたので、買うと決めたら早い。

 普段、三脚を構えて風景を撮るわけでもなく、撮影会でモデルさんを撮るわけでもない。街撮り、スナップ的な撮り方や、資料的な撮り方がほとんどなので、美しい写真を撮りたいという欲はあまりないのだが、一応は使い方を知っておいて、気持ちに近い画を手に入れられるようになりたい。というわけでとりあえず慣らし運転で試し撮りをしたのだが、なぜか最初っから夜の撮影。

 ダスト除去機構は付いていないが、手ぶれ補正機構は付いているので、夜景を撮影して低速シャッターをちょっと試す。雨の降る夜で、傘を持ちながら半端なホールディングをしていた割にはちゃんと撮れた。やはり気合いでの手ぶれ防止より遙かに高性能なようで、これはらくちん。

 コンパクトデジカメより全然重いので、長時間持ち歩くのは辛いが、やはり撮れた写真がきれいなので、できるだけ持ち出そうと思う。コンパクトで気になる暗部のノイズが少ないのも良い。今までに撮ってきた街や建物の写真も改めて撮り直そうかと思ってしまう。

 もちろんもっと高級なデジタル一眼もあるし、高画質、高精細なカメラも多いけど、私はこの程度で当分の間は十分だなぁ。たぶんこいつも壊れるまで使い倒しそうな気がする。

 さて、正面角は、左に看板が出ているとんかつ屋さん。カーテンが閉まっているが灯りは点いている。ずーっと前から存在は知っていたが、一度も入ったことはない。窓が半開きになっている時にちらっと覗いたら、おばちゃんが一人いて、カウンターがあるようだったが、詳細は不明。玄関左脇のガラスケース内に、古ぼけたサンプルがおいてある、典型的なくたびれ系食堂。もうやってないのかと思っていたのだが、近辺のお店で話を聞いたらまだやっているという。昔からの馴染みのお客さんだけが来てるんだろうな。でもこれ、駅のすぐそばにある交差点の角地なんですけど・・・。

#街並み 中野区  #夕景・夜景 

ぎふ屋

2007-07-16 | 中野区  

 「ぎふ屋」は西武新宿線の新井薬師前駅北口商店街にあるお店。

ぎふ屋
所在地:中野区上高田5-44
構造・階数:木2
Photo 2005.6.12

 もともとは昔ながらのたばこ屋さん。タバコが並ぶカウンターの奥に、昔は看板娘だったとおぼしきおばあちゃんが、テレビを見ながらのんびり座って、お客の相手をしていた。お客さんも年配の方が多く、あとは外回りの営業マンが訪れて100円ライターを買ったり。昔は店先の公衆電話もよく使われていたが、最近はあまり使っているところを見掛けなかった。お店前面の半分以上を自動販売機が覆ってしまっていて、ある意味、典型的な老朽化タバコ店だった。

 私がこの近辺に来た当初は、このぎふ屋の並びには他に何軒かのお店が建ち並んでいた。例えば、朝日生命はRCの二階建てだったが、店舗が統廃合されてなくなった。木造のライオン食堂というのもあったが、かなりくたびれた感じのまさしく食堂で、入ることがないままいつのまにか閉店。それからたしか履物屋さんもあった。

 街並みがパタパタと変化してしまったので、昔のことをすっかり忘れていたのだが、近所で話をしている内に、急に当時の景色が甦ってきて、自分でもかなりビックリした。でもその頃の写真、全然撮ってなかったなぁ。

 いつのまにか周囲のお店が無くなり、その跡地は東亜学園の敷地に取り込まれ、数年前には学校の校舎が建て替えられて周囲の様子は一変した。道路沿いに一軒だけ残ったぎふ屋も、周囲を学校に取り囲まれる結果になり、早晩無くなるかと思われた。ところがそうはならず、このお店は営業を続けたのだった。

 さて、今年の3月頃に、お店の改装をするという貼り紙が出たので、ふーん、改装ねぇ、いったいどうするんだろ? ピンとこないなぁと、やや不思議に思っていた。改装なので建て替えではない。他のお店になるわけでもなさそう。自販機だけにして無人化しちゃったりするのかしら、さてさて・・・。

 ところが、4月下旬にふと見ると、おりょっ! それは何?! で、俄然気になりだした。GW明けにどうやら改装が完了して営業再開。あーっと驚くリニューアル~!

Photo (左)2007.5.27、(右)2007.7.8(390*520pix)

 改装というのは、「三丁目の夕日」的な、昭和30年代系レトロ化リフォームだった。2Fの戸袋には金鳥とキンチョールの大きなホーロー看板。その他にもいくつかの看板を新規に設置。近所の人の話だと、この調達には結構苦労したんだそうだ。建物の左側には井戸のポンプが飾ってある(機能していないけど)。しょぼかったビニールの庇もやめてしまって、小ぎれいな看板が付いた。庇の亜鉛引き波トタンが銀色に輝いて眩しい。昔風の裸電球の照明も可愛らしい。

 自動販売機は片隅だけになり、店内にも入れるようになった。タバココーナーは左のカウンター周辺のみ。右側や奥の方は、木製の作りつけの棚に、レトログッズや駄菓子類がズラッと並ぶ。電球の照明も明るく、なかなか面白い雰囲気。

Photo 2007.5.21

 なんでも、代が替わって、息子さん夫婦が一計を案じて、昔風の店構えに換えたのだそうだ。どうなるかと思ってしばらく様子を見ていたが、毎日、多くのお客さんが立ち寄っている。塾帰りのがきんちょだけでなく、中高生やら大学生やら、更には昔を懐かしむ30~40代のお父さん、子供を連れたお母さん。土日などは、結構ひっきりなしにお客さんが出入りしている。

 昔の本当の駄菓子屋さんやタバコ屋さんとは、微妙にディテールやボロさ加減が異なるような気がするが、最近のお店にはない風情があって、意外に良いというか面白いのではないだろうか。何よりも、これが映画の中やテーマパークの中での話ではなく、実際の街角にあるところが嬉しい。お店がなくなって塀が続くだけの商店街はなんだか寂しい。一軒だけになったけど、ぎふ屋には続いて欲しいものだ。

#古い建物 中野区  #夕景・夜景  #看板建築 

物干し台への階段

2007-05-25 | 中野区  

 窓から外に出て屋根の上へ

中野四十五番街のアパート
中野区中野5-51
Photo 2006.6.4

 某所で、跳ね上げ式非常階段で盛り上がっているので、便乗して外階段を一つ。

 後付けだと思うが、結構アクロバティックな外階段。木造の建物に取り付けた細い鉄製階段はかなり危うい感じで、外れて落ちてしまいそうだ。手摺が低いので窓から外へ出る時に落ちそうだし、タラップが狭く、一番上の段が無いのもやばい感じ。洗濯物を持って屋根上の物干し台に上がったのだろうか。途中から見たら、宙に浮いた感じなのだろう。足がすくんでしまいそうだが、ちょっと上ってみたい急階段。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中野区

NTT中野統制無線中継所

2007-05-05 | 中野区  
NTT中野統制無線中継所
所在地:中野区上高田5-15
建設年:1947〜53(昭和22〜28)の間に5基の鉄塔が建てられた。
Photo 1987.6.21

 戦前から使われていたという噂を聞いていたので、昔の地図などを調べていたが、戦前からあった証拠は見つからなかった。そして代わりに広尾の都立中央図書館で資料を偶然発見したことで、これらの塔が戦後すぐの時期に建てられたことが分かったのだった。

 「帝都地形図 第3集」(株式会社 之潮(コレジオ)、2005.3.20発行)という地図集成の中に、「帝都地形図、上高田、1/3,000」(株式会社日本地形社、昭和22年9月発行(S8.3測図、S22.7補修))が収められている。

 解説によれば、NTT中野統制無線中継所があった敷地は、もともとは三井家の墓地だったところなのだそうだ。

 三井家の墓地は、墨田区の真盛寺から1915(大正4)に移転してきたという。墓地には参詣者用の控所や、葬儀を行う礼拝堂(持仏堂)があったが、空襲で焼失。戦後は西側半分を電電公社に売却し、西側の北半分に電波塔が建てられ、南半分は公社の職員住宅となった、と記されている。

 1947(昭和22)時点の地図には、まだ三井家の墓地が大きく記され、後に無線中継所になった場所も墓地内となっている。敷地は分割売却されておらず、鉄塔も建っていない。

 1953(昭和28)の「東京航空写真地図 第二集」(写真測量所編、創元社刊、1953年3月発行、東京都立中央図書館蔵)には5基の鉄塔が写っている。従って、鉄塔が建てられたのは1947〜53の間ということになるようだ。

 この後、1956年版の国土地理院の地形図(1/10,000 新井)には5基の鉄塔が記載されており、1963〜84年の国土地理院の航空写真にも5基の鉄塔が写っている。

 しかし、1988年発行の住宅地図では4基になっており、1基が80年代半ばに既に取り壊されている。この1基は現在の中野区立上高田図書館・児童館の場所にあったもので、建物の建設に伴い解体されたようだ。


Photo 1987.10.11 朝焼けの中の鉄塔


Photo 1989.7.6 解体途中。残るは一基


Photo 1989.7.12 最後の一基も解体される。


Photo 2000.4.16 無線中継所跡地 消防訓練場として利用されていた頃の様子。

 1987年時点では3基の鉄塔が残っていたが、1989年に全て解体。その後、しばらく空地となり消防訓練場として使用された後、マンションが建設された。

 呼称は、時代と共に多少替わっている。(名称記載法の資料による違いの可能性もあり)
「江古田無線中継所」東京都全住宅案内図帳(1958・人文社)
「日本電信電話公社・江古田統制無線中継所」住宅案内地図帳(1968・住宅協会地図部編集室編 1/2,000)
「日本電信電話公社・江古田統制無線中継所」航空住宅地図帳・中野区版(1978・公共施設地図航空株式会社 1/1,720)
「NTT中野統制無線中継所」ゼンリン住宅地図(1988・ゼンリン 1/1,500)

 注)真盛寺も1922(大正11)に、墨田区横川から杉並区梅里1-1-1に移転。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #街並み 中野区 
#塔  #眺望  #夕景・夜景 

2007.04.29 訂正加筆。
2007.12.20 上高田地域センターを上高田図書館・児童館に訂正。
2019.1.14 写真と記事を集約して情報を再整理。

上高田マーケット

2007-03-01 | 中野区  

 自宅から近いのに、あまり知らない場所が意外にあったりする。

上高田マーケット
所在地:中野区上高田3-5
構造・階数:木造・2F
建設年代:1958〜60(昭和33〜35)
解体年代:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2006.11.25

 上高田マーケットも自宅から10分以内の場所にあるのに、今まで全然知らなかった。

 1階はいくつかのお店が入居している昔ながら市場系スペース。写真の左手、建物後方には、木造平屋でプレハブっぽいマーケット建物が伸びている。

 でもゲート状になっている建物の形がちょっと奇妙で、マーケット建物風の感じがなぜかあまりしない。2階部分中央に半円形に突き出した部分が唐突にあり、そこには「上高田マーケット」の文字の剥落跡がある。また窓の前面には細くてあまり冴えない木製の桟が付けられている。1階前面部分が開放的で車庫のようなつくりで、かつ装飾が全く無いので、ちょっとだけモダン気味にした2階とのバランスが変で、不思議なことになっている。

 1階側面の柱は細かいタイル貼り。単なるマーケット建物にしては、少々モダン過ぎて却って怪しい。しかも上述の2階部分の造作がやや大袈裟。戦前のいわゆるカフェーやダンスホールなどの造作にもほんのちょっと似ている。ひょっとして本物?かとも思うが、立地的に見ると、やはりそんなことは無さそう。剥落した文字などからすると、当初からマーケットだったのだろうが、それにしても、少々不思議なスタイルの建物だ。

 とりあえずマーケット自体はちゃんと営業しているので良いのだが、上高田の商店街自体は、昔からの道沿いにできた古くからある商店街で、ここもある意味、取り残され系。店員も客層も全体に高齢者中心のようなので、このマーケットの存続もやや危ぶまれてしまう。


2016.8.30 追記
 2015年秋に通り掛かったところ、既になくなっていた。Google S.V.で確認したところ、2013年夏までは建物が存続していたようだが、その後、2014.7までの間に解体されたようだ。その後、2015年時点ではコインパーキング。

2023.1.8追記
 1958(昭和33)年発行の「東京都全住宅案内図帳」では当該地は空白で、この頃にはマーケットはまだ建てられていなかったようだ。しかし、1961(昭和36)年発行の「東京都全住宅案内図帳」では「上高田食品ストアー」とあり、1960年頃に建てられたようだ。また1970年代の住宅地図では「上高田食品センター」と記されている。最終盤は魚屋さんのみになっていたようで、2006年版の住宅地図では「魚 丸権」と記されている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #看板建築  #モルタル看板建築  #マーケット 

左官業の家

2006-12-09 | 中野区  

 自宅近くを散歩していたら、壁面にレリーフある家を発見。

レリーフのある家
Photo 2006.11.25

 洋風ではなく、木造の普通のお家に、西洋館によくあるレリーフが、漆喰かモルタルで付けられている。洋風のデザインを施した家というのはよくあるが、壁面の一箇所だけ洋風レリーフというのはあまり知らない。かなりの違和感。なんだろうこれ?、と思ってあたりを眺めてみると、答えらしきものが玄関の門扉に書かれていた。

山下左官工業所
所在地:中野区上高田3-15
Photo 2006.11.25

 左官屋さんのお家だった。門扉はかなり錆びてしまっているが、辛うじて左官工業所の文字が読み取れる。玄関脇の郵便受けは、今ではもう使われていないのかもしれないが、カーブを描いた小さな覗き窓が可愛らしい。仕事の特長を活かして塀や壁面にちょっとした飾りを付けたのだろうか。

 昔のタイル屋さんや石材屋さんの建物には、そこで扱っているタイルや石が使われたりしていることがよくある。左官屋さんの場合は、こういうレリーフが作られたりするのかもしれない。

#古い建物 中野区