日本最古の道祖神がある福寿草の里信州沢底  60数年前のセピア色した田舎暮らし 週末田舎暮らしを体験してみませんか?

さわそこ里山資源を活用する会は、間伐されて放置されている木材を簡易製材機で製材し、小屋の材料、看板等に利用しています。

第6分団・第7分団合同秋季総合訓練

2017年11月13日 17時23分19秒 | 練習

まだ薄暗い5時40分から、荒神山芝生広場付近で合同秋季訓練が行われました。団員が少ない中での訓練、隔世の感があり大変ご苦労様でした。来年は厚手のコートを着て行きます。

女性班長も頑張っていました。

町民会館のロビーで、通学合宿とクリーン作戦の写真展が行われていました。

JA祭を午前中で終わり、午後は内山節講演会が行われ、100人ほどの皆さんが熱心に聴いていました。私は最後の言葉と指名されており、内容は良く聞いていませんでした。

終了後講師を囲んで夕食会、アルコール類を50年近く飲んでいないと云う事にびっくりしました。哲学者は一般人と少し変わっていました。駅まで見送り、構内で吉永小百合さんに遭遇しました。

消防屯所も順調に進んでいます。

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③照見五蘊皆空 度一切苦厄

(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)
私たち人間という存在は、身と心によって成り立っている。だから私は、自分とは何かを知るために、この身と心のどこに自分が存在しているのかを確かめようとした。

しかし、物質的な肉体も、視覚・聴覚といった感覚作用も、それを受けとる知覚も、あるいは意思や認識といったあらゆる精神作用すべて、どれを詳細にみても「これこそが自分だ」というようなものを見つけることはできなかった。確固たる自分は、どこにも存在しなかったのだ。驚いたことに、「自分」という実体は、じつはこの世界のどこにも存在しなかったのである。その真実を知って私は驚きを隠せなかったが、同時に苦悩から解き放たれるような安らぎを覚えた。

コメント
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