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マイスター/読響 マーラーSym3

2017-12-12 | コンサート
マーラーの中では最も苦手な3番。それでも、最近聴けるようになってきた。
そこへもってきて、マイスターはまさに、サラッと入ってきた。
きっとそんなことはないだろうが、無作為に、あたかも指揮者が存在しないかのように。

ソロの藤村は、響きを作るというのがどういうことなのかをみせつけられたよう。圧巻。
ただし、この曲には個人的には硬質に過ぎたように思う。



アッシジの聖フランチェスコ

2017-11-19 | コンサート
カテドラルの部分日本初演から30年たっての全曲初演。



当時は呆気に取られた印象が強いが、解った気になってる部分はこのひと月の予習の賜物なんだろうけど、
宗教的作品の場合常に思うことなのだが、信仰心のない者には心底理解することはできないんだろうという感慨が深い。
第7景を聴いて、「声」が聴こえてしまうの奇跡と「声」が聴こえない悲劇(「沈黙」、ジャンヌ…)の落差。
(因みにこの景の後半、舞台上手側の吊りマイクがやけに揺れていたのだが、空調とか音圧なんだろうなあ…。)
(第8景前にBrotherベルナルドのミネラルウォーターが転落したのは、長距離ランナーが給水取り損なった雰囲気なんだろうか?)

ホールに入ると舞台上にオンドがない。オルガン台に1台と、LA,RA後方に2台。
舞台上に設置できないことによるんだろうけど、特に5景で効果を発揮。
とは言え、なんとなくあっちから聴こえるのではなくダイレクトに入ってくる。

バラートは余韻をあたかも自在にコントロールしているかのような歌唱で、ある意味非人間的表現だったのかもしれない。
←冷静に考えれば、オンドのオブリガートなんだろうな。楽譜みたことないけど。

語学は全くダメなのだが、フランシスと歌ってるのに字幕はフランチェスコと表示されるのがなんとも違和感がある。
(もっとも、フランシスと聴こえているのに勝手に003が脳裏に浮かぶのはご愛敬)

舞台上演に接する機会はあるんだろうか?

シャルク版。

2017-05-19 | コンサート

今宵は、ブルックナーの5番。
ブルックナーはごく一部溺愛している曲があるだけ。
版についても存在は知っているが詳細となると…。
素人でもわかるフィナーレは、「その昔、社会主義リアリズムというものがありました。」
といった風に聴こえました。
まあ、共産圏のオケって実演では数えるほどしか聴いていないのだけれど。

何処かで書いたけど、この指揮者にはもっと多彩な演目を期待したいものです。
ハウエルズとか、ルリエとか。


マタイ/BCJ

2017-03-25 | コンサート

BCJのマタイは3回目?と思いながら指揮者の登場を待っていると…息子!!!
優人といえば、読響でチェンバロを弾いていたり、モーツァルトのレクイエムの校訂(録音を聴く限りちょっと残念だった印象)があったり活躍のようだ。


嘗て大きなカタルシスを築き、ドラマティックに聴かせた大指揮者たちの時代の後、ピリオド全盛~OVPPとなり、バッハの大規模声楽曲は重唱曲となる…。
全体は受難を意識させないかのようにサラサラと淀みなく美しく流れていく。。。
優人の年代だと現在の演奏形態が当たり前となっているのだろう。古楽系としては色気のある歌手も含まていたように思うがそれを含めてこれで正しいのだろうと思う。

ガラコンのあとのような雰囲気はいただけないんだよなあ。