アーノンクール 天地創造

2010-10-30 | コンサート

アーノンクールの(声楽付きの)最後の来日公演がモーツァルトでもベートーヴェンでもなくハイドンであった事は幸福だったかも知れない(勿論モンテヴェルディでも、ヴェルディでも、シューマンでも、ドヴォルザークでも、シュミットでも歓迎しただろが)。

ロ短調ミサで聴かせた「いびつさ」はもはや天地創造にはない。ミサでは合唱団のしなやかさと反比例するかのような、ソリスト(特に男声は素人かと思う部分すらあったのだが)はおそらくは指示だったのだろう。作り込まれた演奏は陳腐で窮屈にも聴こえた。

ヘンデルが作曲することのなかった台本につけたオラトリオは演奏効果の現れにくい曲(特に第3部)という認識にはこの日の演奏でも変わることはない。ハイドンだけを聴いているという人生はおそらく幸せなのだろうと感じられた。

モーツァルトは行かないので、アーノンクールの来日公演とはこれで終止符。

健康に留意され演奏を続けてくれることを!

ついでに極東の端にも演奏の一端でに伺えるとうれしい。

しかし、2時間の演奏会を終え、おそらくそれと同じくらいの時間サインをしている80過ぎってどうなのよ。


ロ短調2日目

2010-10-26 | コンサート

嘗ては過激な解釈でならしたが、

この曲に関しては来日演奏が四半世紀遅れたのではないか。

ひび割れてはいないが骨董の範疇だろか…。

最初にアーノンクールを聴いてから35年位たつだろうか、既に若いとは言えない自身と重ね合わせていた。


アーノンクール初日

2010-10-24 | インポート

最初の時は来日記念盤を買っただけで小遣いが底をつき、2回目(その間の魔笛があったが迷った末買わなかったが結局は振らなかった)は転勤中という事で30年待った。

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最初の来日時のチラシ

ロ短調という演奏効果が低い曲ながら、オケの配置を変える、合唱団をドッベルに配置、フーガの入りをソリストだけに歌わせたり、4声の合唱曲でS1を歌わせない… 変化を付けていた。

全てが効果的で、正しいとは考えにくいが曲の特異性やエンターテイメント的には充分。

会場の音響的はは不安もあるが火曜日にも期待。