荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

京成立石仲見世のお昼休みに訪問したら、

2018年07月16日 | 散文
いつも開いている「奥戸せんべい」がシャッターを下ろしています。
13時過ぎの仲見世入り口です。


向かいのラーメン屋はやっていました。
初めて気付いたのですが、仲見世の左右で番地が違うんですね。


仲見世はいつもに増して静かです。


店名看板の軒下は全てシャッターが下りています。
異空間に迷い込んだようです。








ここまでで、美容室だけ開いていました。


いつも開いている総菜屋「玉起屋」も休憩中です。


新たに閉店宣言した店もあります。






仲見世の中心地です。


半分が休憩中です。








このモツ煮込み屋は本日休みです。


この立ち食い寿司屋も、本日休みです。


京成立石駅前の仲見世入り口です。


総菜屋「トリゼン本店」は営業しています。


振り返るとこんな感じですが、もう半分以上の店が営業を辞めているのです。
寂しいね。


頑張れ!!
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京成立石「呑んべ横丁」の謎の看板

2018年07月16日 | 散文
久し振りの呑んべ横丁です。


昼間でこうなのだから、さぞかし夜はディープだと思います。






一見客は入り辛い雰囲気の店が並んでいます。
夜に訪れたい横丁ですが、私みたいにスカした奴は歓迎されない世界だと思います。


一方、私にとって居心地悪い場所だとも思います。


沢山ある店で、この看板が気になりました。
「マツコ立寄所」はマツコ・デラックスが立ち寄る訳ではなくて、「警察官立寄所」のパロディーですよね。
それは分かりますが、隣のメニューに、その味が想像出来ないものがあります。
「コーヒーハイ」って何ですか?
アルコールとコーヒーを同時に呑む感覚が理解不能です。


その下の「コーヒー牛乳ハイ」って、なに?
コーヒーハイをマイルドにしたものでしょうか?
その下の「ホンチョサワー」て、なに、なに!?
「ホンチョ」が想像つきません。
その下の「ガリガリ君サワー」って、あのアイスのガリガリ君でしょうか?
・・・、、美味しそうな気がしてきました。


う~ん。ますます魅惑的な横丁です。
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江戸川球場/2018年 大差のコールドゲーム

2018年07月15日 | 散文
第3試合が始まります。
両校のプロフィールは対照的です。
1塁側が後攻の、日本最大のマンモス大学の附属高校です。
大学進学を目的として入学し、そして多くは大学でも野球を続ける生徒達のチームです。
一方3塁側の先攻は、多くは家庭の経済的理由で、手に職を付けて早くから社会に出る事を目的とする公立の実業高校です。
そしておそらくその3年生全員が、最後の公式試合になる夏です。


あっという間に先攻の攻撃が終わって、あっという間に、いきなり10点を取られました。


22点を取られた後、4回に初めてヒットを打ちました。


4回裏です。
やっと2アウトを取りましたが、28点を取られています。


突然、レフトの選手が倒れました。
足がつったようです。


担架でベンチに運んで治療します。


他の野手もベンチに帰りました。
給水をして守備に付こうとしたセンターが、ベンチの段差に躓きました。


そのままうずくまっていました。


治療後守備に付きましたが、2アウトのまま更に5点を追加された時、足を押さえて又うずくまりました。


大差のスコアボードの前を、担架で退場します。
それにしても、ピッチャーは堪りません。
24安打もさることながら、4回で7エラーです。
交代のピッチャーは居ないようです。


結局センターが交代しました。
交代した所に打球が飛ぶと言われています。
正にそのジンクス通りにセンターに打球が飛びました。
観客が息を呑みましたが、無事キャッチできました。
チェンジです。


交代して打球を取ったセンターが、まるで凱旋です。
たった1球の出場でしたが、もう守らなくて良いのです。

どう足掻いても5回コールドですが、一矢報いたいものです。
ヒットがダメなら、せめて塁に出たいものです。


が、観客の予想通り、3者3三振で呆気なく終わりました。


試合終了です。




5回裏の攻撃をしないでの33点は、東京地区予選の新記録かも知れません。


君達、打ちのめされた思いでしょうが、人生経験豊富なオイチャンには分かります。

大丈夫だよ。人生にコールドゲームは無いから。
それに、人生そんなに大差は付かないから。
辛くてもちゃんと生きていれば、どこかでそれなりにチャンスが訪れて、人それぞれに幸せがあります。
幸福度はそんなに違いません。
育ててくれた家族を見れば分かる筈です。

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江戸川球場/2018年夏に思う。

2018年07月15日 | 散文
いつもより早起きして球場へ行きます。
どんなに早く行っても良い席は高校野球好きのオヤジに取られています。
あちらのバックネット裏3塁寄りの、柵の最前列で陽射しが差し込まない席です。


そしてこちら。
ホームのクロスプレーが良く見える場所です。
こちらは10時半頃になると陽射しが隠れます。
1時間半辛抱すれば快適です。


さて、第1試合がコールドで終了です。
次の試合の整備をするグラウンドです。


第2試合もコールドゲームです。
サクサクと試合が進みます。


座りっぱなしなので、トイレに行ったついでに腰を伸ばします。
球場の外を見ます。
旗掲揚ポールの向こうは陸橋、その向こうにはスカイツリーが見えます。
夏の空です。


球場の下です。
球場内と敷地内は禁煙です。
あの道路は「球場敷地外」なのです。
タバコを吸いに集まります。
吸い終わると入場券の半券を提示して場内に戻ります。


試合の進行が早いので、次の試合まで1時間あります。
応援団はまだ着いていません。




観客もそれぞれに過ごしています。




スプリンクラーが廻って、観客席にも涼風が渡ります。


ふと思います。
幸福の尺度は人それぞれですが、こうして災害も事故も無く、昼も夜も野球を見て過ごせるのはありがたい事です。
夜はプロ野球中継を観るつもりです。


そして、こうして何の生産活動もしないで暮らせるのはありがたい事です。
来し方を思うと、ほんの少しの辛抱ともっと少し頑張った記憶はありますが、殆ど運です。


そんな事を思いながら試合開始を待ちます。
グラウンドの向こうは夏の空です。



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雑司が谷の路地に、「雑二ストアー」があった。

2018年07月14日 | 散文
雑司が谷の路地に迷い込んでいます。




住宅街の通りへ出て来ました。


この道を行きます。


ん!?「雑二」?
店舗のようですが、向こう側の通りが見えます。


行ってみます。
左右に民家があります。


ここが「ストアー」ですかねえ?


左右とも八百屋かなあ?


そっと通り過ぎて振り返ります。
何か不気味さ漂う空間です。
これで客がくるのかなあ?


そそくさと出口へ向かいます。


外は明るいです。
何だかホッとしました。


あの空間を、自転車を押して通り抜けて来ました。
あそこは異空間です。


出た所は「雑司が谷弦巻通り商友会」です。


生還した思いです。


「雑二」って、「雑司が谷二丁目」の事なんでしょうね。

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史跡 江戸城外堀跡 牛込見附(牛込御門)跡

2018年07月14日 | 散文
手前の水路は江戸城の外堀です。
その向こうの土手から向こうが江戸城の敷地です。


説明板に沿って話を進めます。
「この石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために『見附』と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置した『桝形門』という形式をとっています。」




「この牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建築されました。」


これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、石垣の下に保存されています。」




「江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする『上州道』の出口といった交通の拠点であり、また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。」




その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも最も良く当時の面影を残しています。」


「この橋は、『牛込橋』といいます。『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、牛込口とも呼ばれた重要な交通路でした。」




また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる以前は広大な草原で、その両側は、『番町方』(千代田区側)と『牛込方』(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。」


最初の橋は、寛永13年に外堀が開かれて時に阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。現在の橋は、平成8年3月に完成したもので、長さ46メートル、幅15メートルの銅橋です。」
平成8年3月


あの外堀が千代田区との境です。


橋を渡ると新宿区です。


神楽坂に繋がっています。

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雑司が谷弦巻通り商友会を行く。

2018年07月13日 | 散文
都営荒川線の雑司ヶ谷駅脇の坂を鬼子母神駅方面へ下ると、丁度坂の中間位に大鳥神社があります。


その向かいに踏み切りがあります。


踏み切り脇にお洒落な店がある路です。


雑司が谷2丁目の路です。


商店街の看板がありますが、殆どが民家です。


やっと商店が見えて来ました。


この辺りが中心地でしょうか?
あの角を右に行きます。


振り返ると、交差点の左右2軒が古い店の特徴を保っています。


昔で言う「乾物屋」でしょうか?
左右とも同じ経営者なのかの知れません。
何となくそんな気がする店です。




表通りへ戻ります。




雑司が谷に、まだ銭湯がありました。


廃業した美容室です。
「パーマ屋」なんて呼んでいましたっけ。


こんな看板があります。


路地の奥で焼いていました。
煙突があります。


やがて商店が無くなりました。


大きなお屋敷でしょうか?


塀の先の門に守衛室あります。
ここは何だろう?


何と、「日本女子大寮」に至る商店街でした。




隣にはこんな料亭がありました。

ネットで調べたらこんな紹介がありました。
「大正から昭和にかけて、菊地寛をはじめ多くの文士が居を構えた雑司が谷。黄昏れが訪れる頃、不忍通りの裏通りの一角に温かな燈が点ります。提灯に誘われて黒塀をくぐり、玄関に立つとそこに広がるのは、どこか懐かしい空間。山岳小説家三角寛の居宅をそのまま残した邸宅料亭『寛』寛ぎの時間をお楽しみください。」

この界隈、面白そうです。




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江戸川球場/2018年(熱中症)

2018年07月13日 | 散文
地区予選2回戦でも満員の江戸川球場です。
真夏日です。


グラウンドではキャッチャーが足を引きずっています。
先ほどファールフライを追いかけて、足がつりました。
ベンチで10分くらい治療して出てきました。


ゲームの再開を前にピッチャーと打ち合わせする向こうで、皆が集まっています。


どうやらショートも足がつったようです。
審判も来て治療していますが、治らないようです。


とうとう担架でベンチに運ばれました。


このチームは8回にタイムリーヒットを打ったセンターの選手が、2塁ベース上で足がつりました。
その時は治療に時間が掛かって、「臨時代走」を使いました。
これで3人目の熱中症です。


スコアボードを見ます。
熱中症を起こしている後攻のチームは、先ほどやっと1点を取って追い上げ中ですが、相手チームに13安打も打たれています。
更に3個のエラーと6個の四球を出しています。
その上、相手チームに追加点を取られるピンチを何度も凌いでもいます。
つまり、圧倒的に守る時間が長いのです。


「あとストライク一つ取ったらチェンジなんだから、適当にやればいいじゃないか」との老野球ファンの声が聞こえますが、審判は治療を待ちました。
今日はあと2試合予定されていて時間が気になりますが、どちらかのチームの最後の試合ですもの、ちゃんとやらせてやりたいです。


結局3人の治療で小刻みに3回、30分くらい中断しました。
再開後、初球で三振を取ってチェンジです。
さあ、最終回の攻撃に移ります。


9回の裏です。
ランナーが3塁に居て、先ほど足がつったショートの打順ですが、空振り三振で試合終了です。




試合に負けました。
この球場では色々な青春に立ち会えます。

弱小チームなので、卒業しても、もうこれ迄のような野球はやらないと思います。
こんなに烈しい戦いの記憶を残して、高校3年生の野球生活が終わりました。

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まるで梅雨空の壱岐坂下

2018年07月12日 | 散文
昨夜の雨が未明に上がりました。
蒸し暑い今日の東京です。
信号待ちで空を見上げます。
ジェットコースターは動いていません。
休園日のようです。


看板の上を良く見ると、


安全点検中ですかね。

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松本楼でランチを食べる。

2018年07月12日 | 散文
真夏の陽射しに佇む松本楼です。
この季節も好いです。


ここはカレーライスが名物です。
年に一度「100円カレーの日」があって、何度かその行列を見た事があります。


会社人だった頃、日比谷公園のすぐ隣に勤めていて、窓の下の公園の四季折々を見ながら仕事をしていました。
東日本大震災の時、公園に避難した人々が私達のビルを指差して見上げていたのを覚えています。
激しく揺れていたのでしょうね。
勿論、ビルの中は大揺れでした。


そんな立地もあって、松本楼はちょっとした社内の送別会とか顧客とのちょっとしたディナーとかでよく利用していました。
その後ブラブラ歩いて銀座へ行くのがお決まりのコースでした。


それなのに、一度もここでランチを食べた事がありませんでした。
おそらく、のんびりと昼ご飯を食べるゆとりが無かったのでしょう。
松本楼は、ゆっくりと時間を過ごす場所だと思っていたのです。


真夏日のこの日、家内とランチに来ました。
案の定席空き待ちの混雑でしたが、テラス席だったら空いているとの事です。
暑いので人気が無い様です。


今日の私の目的は、松本楼のテラス席でカレーライスを食べる事なのです。
すぐに案内されてラッキーです。


席から見る公園の景色が好いです。




念願のカレーライスです。
「野菜たっぷりカレー」にしました。
初めての料理写真です。


松本楼のテラス席でカレーランチを食べる夢が、数十年経ってやっと叶いました。

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雨の愛宕神社

2018年07月11日 | 散文
ちょっと古い話です。

雨に濡れた朱鳥居が鮮やかです。




石段を見上げます。
86段あります。


今日も一気に上がりました。
濡れた石段が好いです。
が、息が切れて、口の中が乾いています。


さて、雨の愛宕神社です。


しっとりとした風情です。


あの店の雨の風情を見に行きます。


神社裏の坂を下ります。


虎ノ門ヒルズが雨に煙ります。


この風情を見に来ました。






帰りは裏参道です。


雨に濡れた階段周辺の風情が好いです。




愛宕山隧道です。


振り返る参道です。



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千駄ヶ谷三丁目商盛会を行ってみたら、

2018年07月11日 | 散文
新宿から原宿への明治通りを南下していたら、こんな商店街看板がありました。
自転車のハンドルを切ります。


下り坂の商店街です。




正確にはこう言うようです。


この辺りが坂の底です。
向こうには上り坂が見えます。


古い街が商店街の姿を残そうと努力しているのを感じます。
古い民家の前面でコンビニを経営しています。


こんな大都会で米屋を続けています。


実際に営業を続けているのか分かりませんが、畳屋の看板を下ろすことなく、家業を主張しています。


坂を上って行きます。


通りは商店より民家の方が多いです。
いつの間にか、商店街は「千駄ヶ谷大通り商店街」に変わっていました。

いつの間にか「千駄ヶ谷三丁目商盛会」がフェードアウトしています。

その坂の頂上に、鳩森神社がありました。
涼を求めて境内へ行きます。


「将棋堂」なるものがあります。


1月には将棋ブームもあって、棋会関係者だけでなく一般の将棋ファンも多数集まって、盛大に「将棋祈願祭」が執り行われたそうです。


東京に良くある「富士塚」もあります。




古くから千駄ヶ谷一帯の総鎮守として村民の崇敬を受けた神社らしいです。
神社を中心とした暮らしは、都会も田舎も一緒です。


こんな商店街でした。


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男はつらいよ/さくら像のサインが消えた。

2018年07月10日 | 散文
柴又駅前です。
兄を送る妹さくらの像です。




その土台に書かれた倍賞千恵子さんと山田洋二監督のサインですが、建立当初の取材で心配していたとおり、殆ど確認出来なくなりました。
皆さんなぞったのでしょうねえ。




さくら像のお披露目当時はこちらをご覧ください。
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奥の細道 矢立初めの地

2018年07月10日 | 散文
千住大橋を渡った所の公園です。


松尾芭蕉が旅立った時の最初の上陸地です。


当時は大川と呼ばれていた、隅田川の堤防に階段があります。


その脇には「橋詰テラスへどうぞ」の看板です。
行きます。


堤防を越えて階段を下りた所が芭蕉上陸の地です。
彼は深川から船でここに来たのでしょう。


色々な説明板があります。




芭蕉関係だけではなく、この地域に伝わっていた民話の紹介もあります。


文字が霞んで読み辛いですが、この「大緋鯉」の話は面白いです。
鯨のように大きな緋鯉が千住大橋の橋脚の位置を不揃いにした話です。
「大亀」も同様に、亀が橋脚を不揃いにした話です。


実際は、川底に大きな岩があって、均等な間隔で橋脚が建てられなかったそうです。
その大岩の端が近くの素戔嗚神社に延びており、祀られています。


現在の大川(隅田川)の姿です。






そして、千住大橋の姿です。






さて、千住大橋を渡って現代の東京に帰ります。

今も交通の要所です。


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高砂エビス通りを往く。

2018年07月09日 | 散文
柴又をふらふらと南下していたら、「高砂エビス通り」に行き当たりました。
黄色い街路灯が印象的です。


誰も居ません。


この商店街を行きます。


ちょっと好い感じの看板のパン屋です。




緑の館があります。


印象的なので、ちょっと離れて見ます。


緑の館脇の路地に入ると、子育地蔵と妙榮院がある路地が住宅街へ続いています。




緑の館前にイタ飯屋(もうこんな呼び方する人居ないでしょうね)がありますが、


すぐに京成高砂駅に行き当たります。
イトーヨーカ堂の看板がとても目立つ商店街でした。



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