荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

京島と押上を行ったり来たりの夏/2018年ー3

2018年07月24日 | 散文


猛暑日の京島の路地を行きます。


緑のドラム缶の様な物体は、防火用水瓶です。
ここ京島でよく見ますが、他では隣の押上以外で見かけません。
文化がよく似ている町同士が東武亀戸線を挟んで存在しています。


5つ目の踏み切りに出ました。


ここにも防火用水瓶があります。


踏み切りを渡れば押上です。


更地があります。
アパートでも建つのでしょうか?
空き地がすぐに建物に替わる町です。


押上から京島に戻ります。






京島の路地から押上のスカイツリーを見ながら行きます。


高層マンションが近くなりました。


軒先からスカイツリーを見上げます。
家と家の間が近いです。


京島の掲示板です。
この時計は、最近狂ったまんまです。


京島の空き地です。




押上と違って京島は空き地が出ると、積極的に「不燃化促進用地」にします。
木密度が高い街なので、「火避け地」を造っている町なのです。
そして、数軒の家を再開発して共同住宅化して木密度を下げようとする計画ですが、地権が複雑であったり独居高齢者が投資を嫌がったりで円滑に進みません。


この話、続きます。



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京島と押上を行ったり来たりの夏/2018年ー2

2018年07月23日 | 散文


京島の路地を入って行きます。


突き当たりは旋盤工場です。
バイト屑があります。


その左が3つ目の踏み切りです。


遮断機が下りて、電車の通過を待ちます。




ワッ!!電車が近いです。


押上3丁目から踏み切りを振り返ります。


猛暑日の京島です。


踏み切りを越えて京島の路地です。
向こうに高層マンションが見えます。
京島は新旧が混在する街です。


4つ目の踏み切りに出ました。


踏み切りを越えます。


押上へ行きます。


押上から京島を振り返ります。
一方通行の路です。


電車が来ます。


ここでも電車が近いです。
前の電車と、車体の色とラインの色が逆の電車が走ります。


玄関の脇はすぐ線路です。
猛暑日の街です。


この話、続きます。



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京島と押上を行ったり来たりの夏/2018年ー1

2018年07月23日 | 散文
墨田区に京島2丁目と押上3丁目があります。
その境界は、東武亀戸線の線路です。
その間に7つの踏み切りがあります。


先ずは、東の端の京島側のセブンイレブンから、スカイツリーを見ます。
その手前の踏み切りが、東武亀戸線です。


踏み切りを渡ります。


押上3丁目から見る、京島2丁目の街です。


警報が「カンカンカン」と鳴って電車が通ります。


猛暑日の踏み切りで電車を迎えます。


見送ります。
まだ午前中なのに日陰が恋しいです。


京島に戻りました。
左の路上を行きます。


スカイツリーがそびえる路地です。


2つ目の踏み切りです。


踏み切りを越えます。


向こう側はスカイツリーが在る街です。


そこは「十間橋通り商店街」が始まります。
スカイツリーのバナーが風に揺れます。


振り返ると京島の街です。


踏み切りを戻ります。


そこは、「下町人情キラキラ橘商店街」が始まる路です。

こんな風に猛暑日の散策が始まりました。
この話、続きます。
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猛暑日の谷中の一本杉/2018年

2018年07月22日 | 散文
今年の暑さは異常です。
谷中の丘の上に来ました。
いつもとは逆のルートですが、暑さが伝わる画だと思います。


みかどパン店は、一本杉の木陰で涼しげです。




一本杉はその大きな幹でパン店を包んでいます。
そして、広い枝葉で木陰を提供しています。


丘の上の三叉路に立つ一本杉。
涼しげな一角です。


猛暑日の谷中より。


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「日出優良商店会」へ再び。

2018年07月22日 | 散文
真夏日が続く東京下町です。
大塚六丁目の信号の右に商店街があります。




都電の線路に向かう商店街です。






魚屋があります。


専業の魚屋が少なくなった昨今です。
眺めます。




脇道は坂の上です。
つまり、おそらく沢が流れていた谷底の商店街です。


ほぼ中央に「八百勘」の屋号がありました。


その風情を愉しみます。




商店街の正面に建設中のマンションが見えます。


完成したら、商店街から見上げるマンションになります。
商店街を見下ろすマンションになります。


マンションの門前町のような形態になる商店街です。
形態はともかく、繁盛するきっかけになったら良いです。








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伊勢五

2018年07月21日 | 散文
文京区千石の丘の上に広がる住宅街です。
日当たりの良い清潔な街です。


蔵のある家屋がありました。
好い雰囲気です。
古い街に古くからある商店でしょう。


大きな看板があります。
おそらく創業者が「伊勢五郎右衛門」とか言う名前だったのではないでしょうか。


蔵を左に見て、庭も広く良く手入れされています。


奥には屋敷神を祀っているようです。


お米屋です。
どの町でも米屋は庄屋とか地域の名家が営んで来ました。
そういう家なんでしょうね。
「登録有形文化財」でもあります。


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雑司が谷駅の案内画に促されて、

2018年07月21日 | 散文
雑司ヶ谷霊園を出て都営電車脇の急坂を下りたら、地下鉄の雑司が谷駅があります。




出入り口脇に、夏目漱石が言います。
猫も言います。

「散歩してる?」
「どうかな」
「霊園へいくなら、回れ右して後ろへ歩いて下さい」
「この先の踏切りを渡れば鬼子母神が見えてくるよ」

分かりました。
霊園からやって来たので、この先の踏切りを渡ります。
それよりそこ、暑くないですか?
丁度都電がやって来ました。




都電鬼子母神駅脇の踏切を渡ります。


すっかり葉が繁った参道です。


真夏の太陽光が深緑の葉に遮られた参道は、この写真で見るより暗いです。






薄暗くて、涼しい参道です。




見上げれば、光溢れ風渡る緑の欅並木の参道です。


木漏れ日の鬼子母神です。




武芳神社の朱鳥居が鮮やかです。


上川口屋のけだるい午後です。

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「猿江」の地名の由来とは(猿江神社)

2018年07月20日 | 散文
前回の扇橋閘門耐震工事の続きです。

新扇橋の袂に、「猿江船改番所跡」の案内板があります。


「猿江」って、変わった地名です。
この新扇橋の南(右)側の地名が「扇橋」、北側が「猿江」です。


地名の由来を訪ねました。
すぐ近くに「猿江神社」があります。






境内脇に「猿江地名発祥之地」碑がありました。

やっぱりこういう事は神社か寺院を訪ねれば手掛かりがありますね。

拝殿の手前に「猿江神社由来記」がありました。


読み辛いですが。

なるほど、源頼義の頃の発祥ですか・・・。
「猿藤太」と「入江」の合成ですか。なるほど。

「由来記」にある「猿江稲荷神社」と「日蓮宗寺院本覚山妙寿寺」も探しましょう。
拝殿脇を通って、神輿蔵前を抜けて、裏側へ行きます。




「猿江稲荷神社」銘の灯篭があります。


猿江神社拝殿の真裏に稲荷神社がありました。


ここかな?

普通の稲荷神社の様です。

と思って、道路の向かい側を見ると、そこにありました。
「妙寿寺 猿江別院」と「猿江稲荷社」が隣り合わせです。


猿江稲荷神社にお参りして、疑問が解けました。


猿藤太の屍が流れ着いてから1000年近く時代が下って、ここが入江だったなんて想像もできません。
鳥居前はマンション街です。

現在の海は、およそ10km先です。
大雑把にいうと、海までの間に複数の相撲部屋、清澄庭園、松平定信の墓、阿茶の局の墓、富岡八幡宮、洲崎球場跡、夢の島公園等々があります。
陸の隆起もあったでしょうが、よく埋め立てたものです。
「隔世の感」とはこのことですね。



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扇橋閘門耐震工事を見に行くー3

2018年07月20日 | 散文
前回の続きです。

小松橋から新扇橋橋へ来ました。


橋げた脇には扇橋閘門の説明があります。


岸壁のテラスには、現在行われている耐震工事の説明があります。


この扇橋橋から工事の全容が良く見えます。


橋の袂には「民営機械製粉業発祥の地」碑があります。


右の銅板を読みます。
「 明治12年(1879)、明治を代表する実業家雨宮敬司次郎は、水運の便のよい小名木川に着目して、この地にそれまでの水車動力に代わる蒸気機関を動力源とした、民営では最初の近代機械製粉所「泰靖社」を創設しました。
 欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は、蒸気機関のほか石臼製粉器、節器などの製粉装置を米国から輸入して製粉事業の経営に成功をおさめました。
 雨宮の製粉事業は東京製粉合資会社に受け継がれ、明治29年(1796)に日本製粉株式会社に改組されました。また、小名木川沿岸には明治30年代に製粉会社が次々と設立され、全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。こうして泰靖社は、小名木川沿岸にさまざまな近代的工場が進出してくるさきがけともなったのです。
 なお、明治初期の機械製粉所には、開拓使により札幌に設立された磨粉機械所(明治9年〔1876〕)、大蔵省による浅草蔵前の製粉所(明治12年〔1879〕)の2つがありましたが、これらの官営製粉所はともに日本製粉株式会社がその事業を継承しました。
 江東区」

東京製粉があった場所から小名木川と扇橋閘門を見ますが、その痕跡もありません。


再び工事現場を見ます。


閘門左にあった管理室も取り壊した様です。


・・・これはカヤックの活動を工夫しなければなりませんね。


活動していた時の扇橋閘門の様子です。






「民営機械製粉業発祥の地」碑の反対側の袂には、「猿江船改番所跡」の説明板がありました。
色々な歴史がある小名木川周辺です。


記載の「猿江」って、変わった地名です。
近くには「猿江神社」があります。
行ってみます。
報告は、後日。

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扇橋閘門耐震工事を見に行くー2

2018年07月19日 | 散文
先日カヤックで閘門の工場現場に来ましたが、水上からは工事の全容が見えません。
自転車で小松橋に来ました。


先日、カヤックでこの橋の下へやって来ました。
(先日)




(今日)




橋に並行している水道橋の橋げたの隙間から見ました。


小松橋の橋げた脇に説明板があります。
分かり難い文章ですが、そのまま紹介します。

「江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっています。そこで昭和46年策定の江東内部河川整備計画では、東側を常に水位を一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感潮部を耐震区域として整備をすることになりました。
この閘門は、両区域の接点に当たる小名木川の中間に位置し、水位差を調整して船舶の航行を可能にするための施設です。30億円の事業費と5年3ヶ月の歳月を費やして昭和52年に築造されたものです。この方式はパナマ運河と同じです。」

ここからでも、イマイチ工事の状況が分かりません。


反対側の橋へ行きます。
この話、続きます。
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扇橋閘門耐震工事を見に行く-1

2018年07月19日 | 散文
我々カヌークラブは扇橋閘門を利用して豊洲へ行ったり花見をして遊んでいました。



それが去年の10月に閉鎖されました。
しばらくは旧中川や横十間川を使って活動していたので不自由していませんでしたが、毎週水上からスカイツリーを見ても飽きるし、扇橋閘門が利用出来ない辛さが分かってきました。
そこで、工事具合を見に行く事にしました。
自分を納得させる為でもあります。
カヤックで小松橋へやって来ました。


通常はここで水位を調整してもらって、隅田川方面へ漕ぎ出していました。
あの両側の白いのが、ゲートが上下していた塔です。


閘門の赤扉がありません。
黒くて分厚そうな鉄板で塞がれています。


皆で眺めて見学しました。


扇橋閘門の東側にはかつて「東京製粉」がありました。
(水上から見た工場)
この工場の特徴は、この水路を利用して船で資材や製品を納入・出荷をしていた事です。
この小名木川沿いにはかつて沢山の工場があって皆水路で運送をしていたのですが、東京製粉が最後の水路利用工場だったのです。


既に閉鎖・解体して、このマンションになっています。

おそらく江東区は東京製粉の操業停止のタイミングを図って、この工事を実行したのでしょうね。

この閘門を再使用できるのは、平成31年4月です。
まだまだ当分は、狭い範囲の水路で遊ぶしかありません。

水上からはよく分かりません。
後日陸上からも確認します。
従って、この話続きます。

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柳小路商店会

2018年07月18日 | 散文
小さな商店街がありました。
小粋な名前です。


小さくて出入り口が複数ある商店街です。






自転車を押して歩きます。


これは商店街と言うより「呑み屋街」ですね。


なるほど、小粋な名前の意味が分かりました。


街の中心部で解体工事が行われています。


火事があったようです。


呑み屋街を歩きます。




この八百屋が唯一、一般の商店らしいです。


広い道路に出ました。


出た所は、王子駅前です。


こんな所にこんな商店街がありました。



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ど根性蝉

2018年07月18日 | 散文
猛暑日が続く東京です。
暫く雨が降っていません。
そろそろ渇水のニュースがありそうです。

さて、アスファルトやコンクリートの隙間から雑草が生えているのは珍しい事ではありませんが、蝉がアスファルトやコンクリートの隙間から地上に出てきたのは、初めて見ました。


更に、これは逆さに脱皮しています。
逆さの脱皮も初めて見ました。

羽のある昆虫は、背中側にそっくり返る事によって、羽を伸ばしながら殻から体を抜くと理解していました。
この体勢で、ちゃんと羽は正常に抜けて、使えるように伸びたのでしょうか?
だとしたら、とてつもなく凄い蝉です。




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夏の三四郎池ー2

2018年07月17日 | 散文
木漏れ日の遊歩道を行きます。


青紅葉が清々しいです。






池へ降りて行きます。


水位が低いです。


あの石に腰を下ろします。


緑の池を眺めます。


清々しいです。




青紅葉を見上げます。
蝉の声が聞こえます。


涼やかな水辺です。


木漏れ日が落ちます。



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夏の三四郎池ー1

2018年07月17日 | 散文
三四郎池にやって来ました。
この時期に訪れるのは初めてだと思います。


昨夜の雨の跡の石段を下りて行きます。


木漏れ日が石段に、斑に落ちます。




まだ紫陽花が残っていました。


随分と水位が低いです。


橋の傍まで、普段水がある池の底を行きます。


橋の左右を見ます。




この石を上がります。
石段のように簡単に上がれました。


棚が涼しいです。


三四郎池に空が映ります。


涼しげな緑の水面です。


この棚はよくある藤棚ではありません。


葛の棚です。


暫く涼を取ります。


さて、遊歩道を歩きます。




この話、続きます。


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