荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

唐子浜の赤レンガ館

2017年08月17日 | 散文
唐子浜に居ます。
赤レンガ館と遠く赤灯台を見ています。


この建物は「島しょ部灯台守官舎」だったのを、20年くらい前ここに移設したものです。
赤灯台もその頃に移設したように思います。


趣がある建築物なので、取り壊すのに忍びなくて、移設したものだと思います。


灯台守のくせにと言っては失礼ですが、オシャレな家に住んでいたのですね。
農民とは大違いです。


今は殆ど海水浴客が来なくなった砂浜にひとり佇んでいます。


玄関と右の窓です。


玄関と左の窓です。


真正面からの風情です。
やっぱり雰囲気あります。
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椀船の港/夏

2017年08月17日 | 散文
椀船の港にやって来ました。


昔、桜井商人が漆器を満載して、割賦販売の手法と共に、あの入り江を出てい行きました。


白い雲が眩しい夏の海です。


河上を振り返ります。
港の堤防が水没しています。
満潮の港です。


「伝へきく椀船河岸やドンコ釣り」




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下灘駅の日没/2017年8月

2017年08月16日 | 散文
18:37の電車が出て行きました。 夕暮れのホームが残ります。 今日の日没は19:00です。 ここからは説明不要です。 日没です。 息を呑みます。
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駅のポスター

2017年08月16日 | 散文
駅にJR四国のポスターが貼ってありました。


先日、この鉄橋を見上げました。
今度はこの観光列車「伊予灘ものがたり」に乗って、あの海を見下ろしたいものです。
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下灘駅で次の電車を待ちます。/2017年8月

2017年08月16日 | 散文
下灘駅では18時台に2本の電車が停車します。
その代わり19時台の電車はありません。
下灘駅の夕暮れを楽しみます。


駅前は夏が花盛りです。




待ち合い室に西日が射します。


駅向かいの移動販売車では、夕日に染まって休憩中です。


ホームに出ます。


伊予灘の夕焼けです。




17:37の電車がやって来ました。






この電車でも沢山の人が下車します。


出発の合図です。




電車が行きます。


そして夕暮れが残ります。




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下灘駅に18:08の電車が来ます。/2017年8月

2017年08月15日 | 散文
下灘駅の夕方です。




今日の日没は19:00です。


夕映えの駅から海を見ています。


電車がやって来きました。




停まりました。


思ったより沢山の人が下車します。
外国人も降ります。
皆この駅の夕焼けを撮りに、電車でこの駅に来た人たちです。


夕暮れ近い駅と海と電車です。




出発の合図です。


電車が出ます。


駅が残ります。
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予讃線串駅近くの鉄橋のシルエット/2017年8月

2017年08月15日 | 散文
夕映えの鉄橋を見ています。




山蔭に入りました。


青空と海に鉄橋が浮かびます。




ガードレールの隙間からも青い海が見えます。




このシルエット好いです!
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予讃線串駅近くの鉄橋を見上げる/2017年8月

2017年08月14日 | 散文
民家の間の小路を降りて行きます。




鉄橋を見上げます。


この景色が好きです。




ここから見る海も好きです。


更に見上げます。


橋に差す光の明暗を楽しみます。






移動しながら、なおも見上げます。







観賞は続きます。
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予讃線串駅近くの鉄橋の夕映え/2017年8月

2017年08月14日 | 散文
帰省したらここに来ます。


西日に照らされています。


鉄橋の夕映えです。














夏の夕方が近づいています。


伊予灘に西日が傾きます。

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早稲田の刈取り

2017年08月13日 | 散文
頭集簡易郵便局の向こうの百日紅の花の下に、トラクターが引き出されていました。






少し走ったらここにもトラクターがスタンバイしています。


ここでは稲刈りの最中です。






ここでは今まさに稲刈を始めるようです。


背中越しに尋ねました。
「これが小学校で習った高知の『米の二期作』ですか?」

「いいえぇ~、早稲の刈取りですよぉ。この辺りでは二期作はしていません~。南国辺りでないとぉ」
熱帯地方の事ではなく「南国市」の事だと思います。
「二期作だとぉ、稲刈りはもっと早いよぉ」

残念・・・。
来年は二期作を見に南国へ行く決意です!
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柏島へ行くー3(柏島橋を渡って)

2017年08月13日 | 散文
柏島に車を停めて漁港方向へ行きます。


海水浴場としては整備状況がイマイチです。


橋を行きます。




柏島を振り返ります。


再び橋を行きます。
突き当たり、つまり陸地の端は漁港です。




小さな漁港と駐車場です。
夏だけの賑わいのようです。


橋を渡った所にある海の家です。


民宿がありますが、収容人数は少なそうです。




振り返ります。

既報の風景と透明度をアピールすれば、町興しになると思います。
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柏島へ行くー2(透明度)

2017年08月12日 | 散文
柏島は透明度が高い事で人気の海水浴場です。


蒸し暑く暮らしている方々へ清涼感をお届けします。
















山の上からも好いです!


息を呑む碧です!





涼しくなりましたか?
ここお勧めです。
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柏島へ行くー1(形状美)

2017年08月12日 | 散文
高知県大月町の柏島にやって来ました。
5時間近く運転しっぱなしでしたが、行ってよかった!!
先ずは、島の形状美から。




昔陸から地盤沈下か侵食によって分離して島ができた形状が良く分かります。




陸と橋で結ばれています。




そして、養殖いけすの形状美です。







そこにプラスされる作業船の躍動美!




この景色、見飽きません。
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「桜井の史跡と伝説」-14/篠塚伊賀守(世田城)

2017年08月11日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


14.篠塚伊賀守(世田城)
篠塚伊賀守重広は武蔵の国の人で、初め新田義貞に仕えていた。
大舘氏明に従って伊予に入り周桑郡楠河の世田城に氏明を補佐して活躍していた。
興国三年九月北朝方の讃岐の細川頼春の大軍に城を包囲されその間十数日城内保有の糧食悉く尽きて九月四日、氏明以下門を開いて城外に打って出て奮戦これつとめたが遂に敗れ、氏明は部下17人と共に討死したが、その時、篠塚伊賀守重広は大きな鉄棒を揮い次々に敵兵をたおし、「吾こそは、篠塚伊賀守重広なり、我と思わん者は進みでて我を斬り賞を得よ」と声高らかに叫びながら奮戦した。
敵兵共はその勢いにおそれて誰一人近寄る者もありませんでした。
こうして伊賀守は十重、二十重の囲みを破って、今治の浜辺まで落ちのびた。浜辺には敵の空船があり一人の舟子が姿を見せていた。
(筆者:桜井海岸から見る世田山)


伊賀守は岸辺から海におどり込み、その舟に泳ぎついて舟に躍り入り「吾は官軍の敗将篠塚伊賀守なり、吾を直ちに此の舟で因の島へ送れ」と自分で錨を抜いて舟を出させた。

(筆者:桜井海岸から見る島々)


舟に乗った伊賀守は船屋に登って高いびきでねむっていたということです。


こうして、沖の島(魚島)へ渡ったといい、魚島には篠塚伊賀守の墓といわれる宝筐印塔(県指定)があります。



<筆者>
前回の記事ー13と重複しますが、紹介しておきます。


尾根に沿って西側の笠松山方向に移動すると、案内板がありました。
例によって記載します。

「世田山 328米
東予市(筆者注:現西条市)旧楠河村に属し、峰続きに朝倉の笠松山に連なり国立公園地帯である。
興国三年の頃(1342)守将大館氏明は、伊予官軍(筆者注:南朝方は「官軍」である)の勢力を盛り返そうとして脇屋儀助卿を迎えたが不幸にも病没しそのすきに阿波讃岐の敵将細川勢が大挙して来襲し世田城を包囲攻撃した。
守兵達はこれに対してよく奮戦したが遂に落城し氏明は戦死した。
この時脇屋卿の家来篠塚伊賀守はただ一人城門より打って出て自慢の鉄棒を揮い敵中を突破して今張(筆者注:「いまはる」と読む。現今治)の浦に至り敵船を分捕って沖の島に上陸したという。
沖の島は今の魚島といわれている。
守将氏明や戦死した兵を祀る碑が山麓の医王院(世田薬師)の傍にある。」

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寺山地蔵へ行く。

2017年08月11日 | 散文
旧国道沿いに、山裾に向かう石畳があります。


「寺山地蔵」との表示があります。


寺山地蔵から見る石畳の参道の先は白砂青松の唐子浜です。


入って行きます。


境内のように広くなっていて、数体のお地蔵さんが祀られています。
石のベンチもあります。


隣は廃屋ですが、


お地蔵さんの周囲は清潔に保たれています。
これだけ大切にされているのをみると、何か由緒がありそうです。
立地からもそう思います。


この場所は、伊予を治めた福島正則の「お屋敷」があった場所の近くであり、今治城の前身である国府(唐子山)城の麓になります。




すぐ北側には「今治藩主の墓」もあります。


絶対に由緒がありそうです。

何でも知っている老幼なじみならここも知っていそうです。
今夜尋ねてみます。
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