荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「日の出屋」で食べるかき氷−2

2022年09月09日 | 散文

「ミルクブルーハワイ」です。涼しげでしょう!前回「ミルクイチゴ」を食べながら見ていた隣の女性の「ブルーハワイ」が綺麗でした。

 

メニューに無いけどシロップの範囲で作ってくれます。味もイチゴと一緒だし・・・。そうそう、大盛りも作ってくれます。

 

子供の頃には無かったブルーハワイですが、食べる途中も涼しげで、朱いテーブルによく映えます。

・・・今日も氷の山を崩す時にこぼしてしまいました。こぼさないで食べるのは難しいです。

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逆井の渡し跡

2022年09月09日 | 散文

旧中川の土手に「逆井の渡し跡」碑が有ります。猫じゃらしが揺れて秋の風情です。

 

説明板を読みます。「江東区登録史跡   逆井の渡し跡     逆井の渡しは、江戸時代から明治時代の初期まで中川にあった渡しで、亀戸村(江東区)と西小松川村(江戸川区)を結んでいました。もとは逆井村(西小松川村の北隣)と亀戸村を結んでいたため、逆井の渡しと称されました。この場所は、万治二年(1659)に開削された竪川の北岸沿いに通る佐倉道と中川の合流点であり、江戸と下総方面をつなぐ交通の要所でした。川幅は四十間(約73m)ほどで、船は二艘が備えられ、一艘は亀戸村、一艘は西小松川村持ちでした。  (『新編武蔵国風土記稿』)。

  開設時期の詳細は不明ですが、延宝八年(1680)の『江戸方角安見図』には、『総州さくら海道』(佐倉道)と中川が結節する地点に、『小松川舟わたし』の記載が見られ、この頃には渡船が運航していたことがわかります。また、明治時代の記録には、竪川の開削に携わった徳島屋兵右衛門らが寛文年間(1661〜73)に渡船場を開設したとも記されています。渡船場周辺の様子は、嘉永三年(1850)の『絵本江戸土産』などによると、のどかな田園風景が広がる緑豊かな景観が風流人たちに好まれ、川を渡る人は船上からの眺めを楽しんでいたことがうかがわれます。   渡船は明治以降も続き、『東京府総計表』によると明治十年(1877)頃の渡し賃は人が、銭一厘五毛、牛馬・人力車が三厘、馬車が一銭五厘などとなっていました。明治十二年に亀戸村と西小松川村により木造の逆井橋が架橋されると、渡しは交通機関の役割を終え、廃止されました。  」

歌川広重「逆井のわたし」(『名所江戸百景』)何処かの田舎の風景ですね。

 

「逆井の渡」(『絵本江戸土産』)随分川幅が広かったようです。

 

現在の「逆井橋」です。

 

旧中川を覗きます。水色の逆井橋の上には、首都高速小松川線が走ります。

 

橋を渡ります。現在の「佐倉道」です。「旧千葉街道」とも呼んでいます。

 

見下す旧中川です。向こうは墨田区方面です。

 

渡りきった所に神社が在ります。小松川神社です。

 

ここにも「逆井の渡し」の說明版が有ります。こちらは江戸川区によるものです。川の両側100m弱の場所に、まるで競うように夫々の区による說明が有ります。こちらは新しくて読みやすいので文字化しません。

 

現在図が有って分かりやすいです。

 

「小松川神社」の由来記も有ります。

 

社殿はコンクリート造りで新しいです。

 

 

しかし、石柱や狛犬は一見して古いものだと分かり、歴史ある神社と知れます。

 

 

 

拝殿から振り返る景色は、大型マンションが建ち並ぶ東京下町の姿です。

 

・・・旧中川の遊歩道にも案内表示が有ります。冒頭に見た石碑を案内しています。

 

さて、私は思い立ってこの遊歩道を行きます。川風を楽しみます。

秋を感じさせる夕方です。

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