荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「王貞治記念碑」を見に行く。

2022年09月07日 | 散文

駒形橋を西に渡った所に案内板が有ります。偶々行き当たりました。もう随分昔から有るのですが、時々書き換えているのか、他の案内板に比べると綺麗です。「下町ウォッチャー」を目指している私は、最近散策対象がマンネリ化していると自覚しています。そんなこともあって、染み染みと眺めました。新規開拓の参考にしようと考えました。

「将棋名人  木村義雄住居跡」その人を知らないので興味が湧きません。「平岡熙の墓」?何した人でしょうか?「浩養園」を知らないので跡地に興味はありません。「夜寉井銘の碑」って何?「大石三平の墓」って誰?「六面地蔵塔」って何?「ちいさな硝子の本の博物館」はちょっと興味あり。「篠塚地蔵と縁日」もちょっと興味あり。知らない事ばかりに驚くと共に、名所の多さにも驚きます。流石は古い街本所です。困っていたら、中央の上端辺りに、「王貞治記念碑」ってのを見つけました!唯一知っている人です。今日の訪問先が決まりました。

やって来ました東駒形3丁目です。

 

窓枠に耐震工事を施した本所中学校です。

 

校門の先に石碑が有りました。丸い玉が乗っています。あれに違いありません。

 

おお、

 

王さんの揮毫の「気力」でしょうね。

 

開校40周年記念です。それでももう35年前です。つまり、開校75年になる中学校です。

・・・でも王さん関係はこれだけです。

 

見回したら、奥にあんなものが有ります。「明徳小学校百十周年記念」と「明徳小学校跡」碑です。こちらの方に興味が湧きました。その奥に説明版らしきものが見えますが、校門脇には「本校にご用のある方は必ず受付に連絡ください。無断で校舎内に入ることを禁じます。」と書いていました。本校1階の資料館に「明徳校友会」が有るようですが、そこまで行って調べる気はありません。

帰宅して調べたらこういう由来です。

「1872(明治5)年に学制が公布され 公立学校が設立されることになり, ここ本所地区でも 本久寺に寺子屋が開設された。これが 後の明徳小学校である。
その3年後に 、南東に400m先(現在の本所中学校)に移転。 1923(大正12)年の関東大震災で校舎が焼失し, 7年後に 鉄筋の新校舎が完成したが, 1945(昭和20)年の東京大空襲で再び全焼し, 翌年 国民学校の廃止に伴い廃校になった。
この発祥碑は 今年(2006)6月に 開校130周年記念として建立された。」

 

「王貞治記念碑」を確認したので退出します。

 

周辺はスカイツリーが屋根を突き抜ける下町です。・・・その記録とか人格とかと合わせて、下町出身だったことも王さんの人気の一つの要因だったのだろうと改めて思いました。

ではあそこへ行こう!スカイツリーの向こうへ行こうと思いました。この話、続きます。

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滝野川「稲荷湯」と長屋クラウドファンディング

2022年09月07日 | 散文

コインランドリーから稲荷湯の全体像を見ています。左には住居でしょうか?・・・そうそう、煙突を見なければいけません。

 

ああ、懐かしい、長屋です。

 

振り返る長屋です。稲荷湯は長屋も持っているようです。往時は町の中心的存在だったのだろうと思わせます。

 

長屋を過ぎたら狭い路地が在りました。上部を切られた煙突が現れました。入って行きます。

 

煙突です。

 

しげしげと見上げました。歴史を纏った姿です。

 

 

この奥がボイラーで、入っていくと最初に見た庭に出られそうですが、行きません。人様の土地です。

 

路地を出て長屋に戻りました。

 

そこにはこんな物が貼られていました。この長屋を保存する為のクラウドファンディングの募集告知です。先ほど見た銭湯の玄関脇には「登録有形文化財」となっていましたが、長屋は対象外なのでしょうか?

・・・文化財に登録されても、その維持は持ち主の負担です。長屋も保存するとなったら、維持費が大変です。クラウドファンディングも保存の手段ですね。初めて出逢ったけど残して欲しい景色です。

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