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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「荻野吟子開業の地」に出遇う。

2020年10月31日 | 散文

こんな説明板に出遭いました。萩野吟子開業の地です。私が知っている顔とは随分違います。高齢時の写真ですね。私が知っている雑司ヶ谷霊園の像は若々しくふっくらしています。

 

振り返るとマンションです。ここが荻野医院跡ですか!?

 

向島の花街から離れた川淵の国道6号線水戸街道沿いです。

 

周辺は最近再開発されて綺麗になりつつある「ミズマチ」です。

 

 

荻野吟子は幸せな後半生を送ったものと思っていました。著名人が沢山眠る雑司ヶ谷霊園でも凛とした石像はとても目立つ存在だもの・・・ 余談ですが、こちら萩野吟子と竹久夢二と羽仁もと子が繋がっていた話です。

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雑司が谷の「せんべい小倉屋」

2020年10月31日 | 散文

雑司が谷弦巻通り商友会は両側の丘の谷間の商店街です。谷底の曲がりくねった道なので、元は川だったと思います。雑司が谷らしいお洒落な店もありますが、人通りの少ない閑静な商店街です。

 

「鉄板焼」の看板があります。魚介類とかの焼き物の店かと思ったら、左側に「せんべい 製造・販売」の文字があります。右側には矢印と「工場この奥 製造販売」の文字もあります。

 

その下には、政治家のポスターの左にせんべいを焼いている写真もあります。

 

矢印の先には立て看板があります。

 

 

路地を覗くと、「せんべい・あられ」、「いらっしゃい」、「工場入口」等の文字が見えました。

 

路地を入って行きます。ブリキの煙突のようなものもあります。

 

袋小路を戻って見ています。

 

工場の中が見えます。思ったより広いスペースで作業中です。そもそもせんべいというのは、柴又などでよく見るような、火鉢の上で、トングでひっくり返しながら焼くイメージしかありませんが、なるほど、これは確かに工場です。

 

こちらが工場から続いている部屋の出入り口兼店舗です。中にはお客さんがいます。

 

通り過ぎて振り返ります。一度食べてみたいです。1枚でも売ってくれるのだろうか? それは失礼だろうか?

 

商店街に出て来ました。

閑静な商店街です。

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多聞寺の狸塚

2020年10月31日 | 散文

萩の花が終わった多聞寺にやって来ました。前回「隅田川七福神巡り」で訪問して以来です。あの時に気になっていながら七福神巡りで疲れてしまって放置した、「狸塚」を調べたいと思いました。

 

踏み入れた門内の正面には本堂があって毘沙門天像が祀られていますが、目的はそっちではありません。左手に狸の像が有ります。

 

これです。

 

ここにも石碑が有ります。

 

その脇に、壊れた塚のような岩が有ります。

 

その岩を辿るとシキミが活けられていて、「奉納」と書かれた石の奥に穴が有ります。

 

覗き込みました。よく見えないけど、狸でしょうか?

 

全体像です。

 

 

岩の上にも狸の置物置かれています。

 

説明板です。「狸塚のいわれ むかし、江戸幕府が開かれる前の頃、今の多聞寺のあたりは、隅田川の河原の中で、草木が生い茂るとても寂しいところでした。 そこには、大きな池があり、ひとたび見るだけで気を失い、何ヶ月も寝込んでしまういう毒蛇がひそんでいました。また、牛松と呼ばれる、おとなが五人でかかえるほどの松の大木がありました。この松の根元には大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人々をたぶらかしていたのです。 

そこで、ばんかい和尚と村人たちは、人もよりつくこともできないような、恐ろしいこの場所に、お堂を建てて妖怪たちを追い払うことにしました。 まず、大きな松を切り倒し、穴をふさぎ、それから、池を埋めてしまいました。 するとどうでしょう、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、いたずらはひどくなるばかりです。 ある晩のことでした、和尚さんの夢の中に、天までとどくような大入道があらわれて、『おい、ここはわしのものじゃ。さっさと出て行け! さもないと、村人たちを食ってしまうぞ』とおどかすのでした。 和尚さんはびっくりして、一心にご本尊様を拝みました。 やがて、ご本尊毘沙門天のお使いが現れて、妖怪狸に話しました。『おまえの悪さは、いつかおまえをほろぼすことになるぞ』次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。 これを見つけた和尚さんと村人たちは、狸がかわいそうになりました。 そして、切り倒してしまった松の木や、埋めてしまった池への供養のためにもと、塚を築いたのでした。 この塚はいつしか『狸塚』と呼ばれるようになりました」

 

こんな場所でした。

 

さて、お参りして帰りますか。

 

要は、現在塚がある場所が、牛松という松の大木や池があった場所なんですね? そこに狸が住んでいて云々閑ぬんと? ・・・そうですか。よく分からない話でした。

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