「一之橋」の袂に説明板があります。
上部には「忠臣蔵」の文字が見えます。
説明文は読んで頂くとして橋を見ます。
頭上には首都高速小松川線が走っています。
平仮名で名前が記されています。
竪(たて)川に架かる、隅田川から最初の橋です。
この橋の東には「二之橋」、「三之橋」があります。
近くには「横川」もあります。
説明文にあるとおり隅田川或は江戸城から見た「縦」(東西)「横」(南北)です。
江戸(旧東京時代も)は隅田川と江戸城を中心に地理を表現しました。
江東区は隅田川(江)の東であり、当初は城東区(江戸城の東)との名称でした。
竪川の東です。
「大横川」に交わって「横十間川」を越えて旧中川も越えて、荒川に至ります。
現在、大横川以東は親水公園になっています。
橋の西側を見ます。
高速道路が大きくカーブしたその先に水門が見えます。
橋の西側に移動します。
こちら側は漢字で橋名が記載されています。
あの水門は「竪川水門」です。
水門の向こうは隅田川です。
そして、その先が東京の中心部です。
さて、説明文に「忠臣蔵」が出ていました。
この一之橋から200mの所に、大石内蔵助らが討ち入りした吉良邸跡があります。
ここから上野介の首を持って一之橋を渡り、渡ると武家屋敷が多い両国橋を避け、更に南の永代橋で隅田川を越えて泉岳寺に向かったのです。
もうすぐ12月になると、この界隈では「義士祭り」があります。
この説明文に記載さてれいないもう一つの逸話があります。
橋を渡ったすぐ近くに、江島杉山神社があります。
盲目でありながら修業を重ねて検校となった杉山和一が、その鍼・按摩の技術で将軍の医師となって功績を重ねたある日、将軍から問われます。
「何か欲しいものはないか?」
「望みは唯一つ。目が欲しい」
その答に将軍は涙して、
「・・・いかな将軍でも目はやれぬ。一つ目をやろう」
と言って本所一つ目の地1,892坪余および河岸附792坪余の所領を賜ったのです。
土地を貰った杉山検校はここに「杉山流鍼治導引稽古所」を建てて多くの盲人を育成し、生計を立たせてやりました。
それは現在でも「杉山鍼按治療所」として継続されています。
ちなみに、現在も行われている筒に入った鍼を打つ方法は、盲人でも簡単に鍼が打てるよう彼が考案したものなのです。
その粋な将軍は、5代徳川綱吉です。
彼は「生類憐れみの令」で悪名が高いですが、実は多くの善政を行っているのです。
それは又の機会に・・・。