荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

麻布中学へ行ってみる。

2018年04月24日 | 散文
前回の記事の続きです。

義父の父親が数学教師をしていた麻布中学へ行ってみます。
南青山から高級住宅街の坂を上り下りする路です。




義父もその兄もこの路を通学したのだろうかと考えましたが、ここは近年開発された新興の住宅地のようです。


義父たち兄弟は曲がりくねった山裾の道を通ったのだと思います。




現在は中高一貫校になっています。


こちらは裏門でした。


近くにはサウジアラビアの「イマーム ムハンマド イブン ザウード イスラーム大学 東京分校 アラブ イスラーム学院」がありました。
長い校名ですね。




こちらが正門です。


学校の隣はカタール大使館です。


大使館が多くある街です。


元麻布ヒルズが見える角を曲がると、


マダガスカル大使館があります。




近くにはアルゼンチン大使館もあります。




そして有栖川宮記念公園がある、そんな丘の上です。


夏の匂いです。
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義父の本籍地、南青山へ行く。

2018年04月24日 | 散文
南青山6丁目の交差点に来ました。


通称、骨董通りです。
義父は「高樹町」で生まれたと言っていました。


南青山6丁目のバス停があります。


半田市にある義父母の家の売却に際して、家内たち兄妹が両親の除籍証明を取りました。
亡くなった人の謄本、除籍謄本です。


目的地の南青山6丁目12番地です。
除籍謄本に記載されている義父の本籍地です。
道路工事中です。


義父はここで大正10年3月に、麻布中学の数学教師の2男2女の末っ子として生まれました。
余談ですが、奇しくも私の亡母と誕生日が一緒でした。


謄本には12番地の後の「号」が記載されていません。
この一角が12番地です。
殆どがマンションになっています。


ここが南青山6丁目12番1号です。
周囲を探りながら、謄本の中身を想います。
長男が父方の姓を継いで、母親が一人娘だったので、二男である義父が母方の姓を継いだと聞かされていたとおりの謄本内容です。
母の母と祖母は同じ姓の人と2代続いて結婚しています。
これは偶然ではなく、義父の家名継承以前から、その家名を継ぐ意図があったと考えられます。
父親は富山県の出身で、母親が東京の出身です。


その母には離婚歴(義父の姓とは別の人)があり、離婚数年後、義父の父と結婚する2日前に配偶者の甥を養子に迎え、結婚8日目に養子縁組を解消しています。
それと同時に、祖父から譲り受けていた家督を母親(義父の祖母)に譲渡しています。
父親(義父の祖父)は既に亡くなっていたのだと思います。


登記する手間が現在以上に大変であったろう大正2年に、わざわざ登録登記しながら10日後に登録抹消の手続きをしています。
この辺りは詳しく聞きたいところですが、義父はおろか、その兄弟姉妹も生存していません。


除籍謄本で初めて知りましたが、義父は祖母の養子になって、後に家督を継承しています。
母方の姓を持っていた唯一の人が祖母だったからでしょう。
祖母も一人娘でした。
義父はこの時点で生母と姉弟になった訳です。
義父は戸籍上姉になった母親とずっと一緒に暮らしたので、私も彼女と会っています。
上品で穏やかな、細面の優しい人でした。
緑内障が進んでもう眼が見えなくなっていましたが、初対面の私の顔を長い指の細い手で撫で回して、「綺麗なお顔ね」と言ってくれました。


そんな彼女は、義父の父親と駆け落ち同然に結婚したと聞かされています。
情熱的ですね。
家内の実家に義父の父親の肖像画が遺されていて、義父によく似た面差しをしています。
駆け落ちもどきのいきさつは聞いていません。
今、彼と彼女のお墓は義父の兄夫婦と、義父母とは義父の戸籍上の母(実の祖母)の墓が、多磨霊園にあります。
兄が結婚する際に、それぞれ互いの家の墓を同じ場所に求めたそうです。
このように何度も切れかけた糸を繋いで繋いで維持してきた姓が、子供がいない家内の兄を最後に途絶えてしまいます。
養子を貰って繋ぐ必要がある姓でも、またそんな時代でもありません。


・・・一方、余談ですが、家内の母は0男5女の長女なのですが、出生届けでは両親の苗字が異なっています。
婚姻届けが出生届けの後になったようです。


昔はそういった事がよくあったようで、我が両親の場合は、私の出生届けと両親の婚姻届けが同時に行われています。
子供が生まれて初めて嫁と認められる時代だったのかも知れません。


12番地をぐるり一周して、南青山6丁目の交差点に戻りました。
除籍謄本だけの手掛かりなので、これ以上は探す事が叶いません。
近隣を巡ります。


南青山6丁目交差点から美術館通りを少し下がると、根津美術館があります。




時あたかも、この美術館のシンボル的存在の竹林に竹ノ子が育っています。


陽射しは夏のものです。


義父の本籍地の北側は、新緑の表参道です。




若き日の義父はこの道をバスに乗って大学に通ったそうです。
その話を聞かされたのは、この道の突き当たりの神社で行われた彼の孫娘、クラシック音楽が好きだった義父が手塩にかけてバイオリニストに育て上げた孫娘の結婚式の日でした。
義父にとって、数十年振りで、最後の故郷だったのです。
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