トマス・アクィナスの「形而上学叙説」という岩波文庫を
取り寄せている。
副題が「有と本質について」というものだ。
なんのことやら、と皆思うかも知れない。
私が過去に「神学大全」の抄訳でわかったのは、
どうやらトマス・アクィナスは、神を「有りて有る者」と
見ているらしい。
その神の「有るという性質」を万物は分け持っている
というのだ。
だから、物事の「本質」もまた、神の「有る」を分けてもらう
ことで、眼に見えるかたちで顔を出す、というのだ。
多分、今わたしが書いたようなことが、
この本には繰り返し書かれていると思う。
それを確かめるために岩波文庫を取り寄せてみた。
1930年代の日本語訳なので、旧漢字で、旧字体で読みづらいだろう。
だけど、岩波文庫のアンセルムスの本は読んで意味が判った。
何とかなるだろうと期待している。中世神学文庫全集でも刊行されないものか。
需要が少ないのでムリかもしれない。なぜかそういう話に興味津々である。
万物は神のところの「有る」という素質を内に分け持っている
取り寄せている。
副題が「有と本質について」というものだ。
なんのことやら、と皆思うかも知れない。
私が過去に「神学大全」の抄訳でわかったのは、
どうやらトマス・アクィナスは、神を「有りて有る者」と
見ているらしい。
その神の「有るという性質」を万物は分け持っている
というのだ。
だから、物事の「本質」もまた、神の「有る」を分けてもらう
ことで、眼に見えるかたちで顔を出す、というのだ。
多分、今わたしが書いたようなことが、
この本には繰り返し書かれていると思う。
それを確かめるために岩波文庫を取り寄せてみた。
1930年代の日本語訳なので、旧漢字で、旧字体で読みづらいだろう。
だけど、岩波文庫のアンセルムスの本は読んで意味が判った。
何とかなるだろうと期待している。中世神学文庫全集でも刊行されないものか。
需要が少ないのでムリかもしれない。なぜかそういう話に興味津々である。
万物は神のところの「有る」という素質を内に分け持っている
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