竹田青嗣著、「はじめてのカント」読む。
理論理性は、感性と、悟性(=理解力)で、現れとしての物をそれと理解できる。
感性の先天的形式は時間と空間。時間と空間がないとすれば、何も判らない。
時間と空間を知っているので、悟性の枠が成り立つ。
悟性の枠があれば、物をそれとして、知ることができる。
さて、自由とか、魂の不死とか、神がいるかを理性で考えると
あるとも言える、ないとも言える、という矛盾に陥る。
この問題は、理性で証明することは、できない。
だが人は実際生きていくうえで、道徳を必要とし、
道徳的に生きていくために、神を必要とする。
そこで人の反省的判断力は、自然を合理的に作った創り主がいると
仮定し、その創造の目的は、実現が期待される最高善である、とする。
そのようにカントが考えていたという、頭の整理がついた。
認識の受け皿がまず先に有り、その対象がそれと知られる
理論理性は、感性と、悟性(=理解力)で、現れとしての物をそれと理解できる。
感性の先天的形式は時間と空間。時間と空間がないとすれば、何も判らない。
時間と空間を知っているので、悟性の枠が成り立つ。
悟性の枠があれば、物をそれとして、知ることができる。
さて、自由とか、魂の不死とか、神がいるかを理性で考えると
あるとも言える、ないとも言える、という矛盾に陥る。
この問題は、理性で証明することは、できない。
だが人は実際生きていくうえで、道徳を必要とし、
道徳的に生きていくために、神を必要とする。
そこで人の反省的判断力は、自然を合理的に作った創り主がいると
仮定し、その創造の目的は、実現が期待される最高善である、とする。
そのようにカントが考えていたという、頭の整理がついた。
認識の受け皿がまず先に有り、その対象がそれと知られる