昨日は喫茶シュベールで昔からの友人と会って話した。彼は仏教が好きで秋月龍氏の「禅問答」という本をくれた。後で読んだが大層おもしろい。飄々とした昔風の挿絵が心和ませる。友人とはユングの「赤の書」の話をした。ユングが幻覚などをばんばん見て、無意識と対決していたときに私的に書かれた大量のイメージ図や走り書きが今まで封印されていたのだが、このたび封印を解かれたのである。図版満載で原語付きだがやたらと高価なのである。友人はユングの「赤の書」の絵で展覧会をしたら面白いだろうなと言った。確かにその通りである。ユングが画家としてどう受け取られるか興味の尽きない話である。
それから60年代にアメリカで活躍した禅師の鈴木俊隆氏の話を聞いた。鈴木大拙ではなく俊隆である。あとでユーチューブでサウンドアンドノイズという俊隆の説法を見た。「鳥が鳴いてるとき禅者なら言うだろう。私はあの鳥だ、と。」と言っていた。初心禅心という英語の本を一冊書いて「禅へのいざない」という題で紀野一義氏の訳で出版されていることも知った。読んでみたいが中古で高く出回っている。英語の原典のほうが千円ぐらいで買える。
今日は「禅問答」を読みながら、バーンスタイン指揮のマーラーの「復活」のDVDを見ていた。最終楽章の合唱で高揚がピークに達する。バーンスタインは自ら役者のように歌って泣いて飛び跳ねる。見甲斐のある映像である。コーヒーを飲んで「復活」を聞いていたら自分まで復活してきた。
「禅問答」の秋月龍氏の語り口が好きである。友人が言うには師の大拙よりも学者肌だというが、私には大拙より判りやすい。大拙はとてつもなく幅広く、龍氏は理屈にならないことを理詰めで書き切ろうとする。そこが私には合っているのだろう、龍氏の文章とは相性がいい。
そんなわけで仕事以外は「禅問答」とマーラーの「復活」で過ごしている。
辺界の光こぼれる二輪草、禅問答と復活の歌